透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「縄文の思考」

2013-01-17 | A 読書日記



 なるほど!こういう理解のしかた、捉え方もあるのか・・・。『縄文の思考』小林達雄/ちくま新書を読んでいて何回も思った。

著者は土器を「足し算型造形」、それ以前の石器や骨器、牙器などをを「引き算型造形」だと両者を対比的に捉えている。ああ、確かにな、と思った。

石器などは用意した素材を割ったり、剝いだり、削ったりという作業、つまり引き算する作業によって最終目的の形態をつくり出すが、土器は最初に用意した素材に継ぎ足し、継ぎ足ししながら、つまり足し算する作業によって最終目的の形態をつくり出すという捉え方。なるほど!

引き算型の造形は素材の物理的な特性の制約上似たような形に収斂しがち。それに対して土器は無限の形が可能で、それ故に現代にまで継承されているのだという指摘。なるほど!

竪穴住居の炉について、灯かりとり用が主目的だとは考えにくい、暖房目的だけで火が燃やし続けられたとも考えにくい、煮炊き料理用の可能性も無きに等しいと、著者は教科書的な理解には異を唱え、炉の火を「象徴的聖性」だと捉えている。それは祭壇的な性格を有し、心が必要とし、心が拠りどころとすべき目印だったのだと。なるほど!

土木的な記念物には1000年以上も長期にわたる継続工事であったものもあるという。著者はこのような記念物について、継続することにこそ意義があったのだという見解を示している。完成を回避し続けることに「縄文哲学」があったのだと。

未完成を目指す縄文哲学。なるほど!こういう捉え方もあるのか・・・。付箋を貼りながら読み進んだ結果、付箋だらけになった。


 


「三匹のおっさん」

2013-01-15 | A 読書日記

 昨日(14日)は未明から夕方まで雪が降り続いた。積雪量は40センチ近くに達した。こんな日はこたつでみかんでも食べながら本を読んで過ごすのがいい。

『三匹のおっさん』有川浩/文春文庫を読んだ。400頁超の長編を一気読みした。この痛快な小説を「アラ還男三人組 町内のワル退治 全六話」と括っておく。

中年おばさん相手の結婚詐欺、中学校で起こった動物虐待、痴漢騒動、孤独な老人を狙った悪徳商法、女子高生を狙ったいかがわしいモデル勧誘・・・。 町内で起こる様々なトラブルを昔悪ガキだった3人のおっさんが見事に解決していく・・・。

さて本好きのRさんがこの小説に私宛のメッセージを託しているとしたら、それはなんだろう・・・。

U1さん ジジくさい服装やめてくださいね。でないともう書店で見かけても無視して声なんかかけませんよ。いや、還暦になっても三匹のおっさんのように元気ハツラツ、オロナミンCな生活をしてくださ~い、といったところか・・・。


 


38 縁

2013-01-14 | C 名刺 今日の1枚



38

 縁の意味を改めて問われると、うまく答えることができない。縁には意味がいくつかあるが・・・。ネット検索してみた。「縁とは人と人を結ぶ人力を超えた不思議な力」という説明がみつかった。そう、今回はこれ。

人と知り合いになるのには単なる「偶然」ということで片づけることのできない、なにか不思議な力がはたらいているような気がする。偶然の後ろにかくれている必然、、縁とはそんなものかもしれない。

Oさんは東京の出身で、現在は安曇野市内で暮らしている。何年か前に、大学の後輩の紹介で知り合いになった。縁があったのだろう。

昨日(13日)の午後、とあるカフェでご主人(と書けばなんだか他人行儀、だからO君と書く)と共に再会した。ふたりとは1年以上会っていなかった。時の経つのは本当に早い。カフェではO君の仕事の話をとても興味深く聴いた。そのあと車で移動して、O君の仕事場も見せてもらった。自分の仕事場を持つことが念願だったのだ。

別れ際、Oさんに名刺を渡した。なんだか、名刺を知り合いの女性に渡すことが多いなあ・・・。本来の使い方ではないが名刺が話のタネになればそれでもいいか。  


 


「東北―つくられた異境」

2013-01-13 | A 読書日記



 『東北―つくられた異境』 河西英通/中公新書を読み終えた。中公新書は総じて中身が濃く、2時間で読了、というわけにはいかない。本書も2日からのこま切れ読書でようやく読み終えた。

終章の冒頭にまとめられている本書の総括。**近世後期から明治末期までの約120(筆者注:本文では漢字表記)年におよぶ東北の自己認識と他者認識の相克を、論の展開として追ってみました。あらためて驚くことは、をめぐる語り口は実に多様であったということです。**(184頁)

東北地方の新聞や機関誌(共に多くは明治時代のもの)の論説をはじめ、厖大な資料を丹念に読み解いて明らかにした「東北」像。書名に注意深く「異境」というニュートラルなイメージの言葉を用いて、東北の負のイメージだけではない多様性を表現している。

東北旅行ということばはあっても中部旅行ということばが無いのは何故か?東北を一つに括ってしまう傾向が未だあるのは何故か?本書からこのような疑問の回答も読みとることもできる。

食わず嫌いならぬ読まず嫌い解消というのも、今年の課題。本書はそのための1冊。


 


37 新年会

2013-01-12 | C 名刺 今日の1枚

■ 昨晩(11日)、H君とYさんと私、3人の新年会。忘年会はスケジュールの調整がつかず、新年会にした次第。鍋を囲んで夜遅くまで楽しく飲んだ。某ゼネコンに勤めるH君、会話での「名言」をメモしておいた。

□ 最後にできる形はひとつしかない。  そう、その通り。だから常に究極的な選択を迫られる。 

□ 施工図の線によって形が決まっている。  確かに、と納得。これは当たり前の指摘ではあるが、ずっと、このような認識ではなかった。

ここに載せることができない大人の会話(なんてしたかな)は省略。

37

お店でアルバイトしているSさんは大学生。訊けば出身は北陸の某県某町。持っていた名刺を渡した。

酔っ払い中年の名刺なんか今頃ゴミ箱の中かも・・・。ま、いっか。


 



― 安曇野の伝統行事 御柱

2013-01-12 | A 火の見櫓っておもしろい


火の見櫓と御柱(高さ約15m)のツーショット 1月8日に「建て御柱」が行われた。


藁で編んだ福俵 14日の朝、御柱は倒されて福俵の引き回し、「福俵曳き」が行われる。
(安曇市無形民俗文化財)


御柱のてっぺんの様子 「先端のデザイン」


「繰り返しの美学」

冬のフォトアルバム 安曇野市豊科新田の御柱 撮影日130112


 


「縄文の思考」を読む

2013-01-10 | A 読書日記



 『福岡ハカセの本棚』福岡伸一/メディアファクトリー新書に紹介されている『縄文の思考』は是非読みたいと思った。

福岡さんはこの本について次のように紹介している。**縄文文化の研究者である著者は、土器、土偶、さらには三内丸山遺跡などのモニュメントから縄文人の思想や世界観を探ります。いったいなぜ縄文土器は、かくもデコラティブで使いづらい形をしているのか。7000個もの石をわざわざ運んでつくった大湯環状列石は、何のために建てられたのか・・・・。そうした謎の建造物の一つに、栃木県にある寺野東遺跡の環状盛土があります。
直径165mの輪っか状の土盛。それを形成する土層の数が、工事のおおまかな回数を示します。各層に交ざる土器から推定するに、トータルの工事期間はざっと1000年。つまり、数十世代にわたって工事が続けられた計算です。**(55頁)

完成させることが目的ではなく、未完成を続けるところにこそ意味があった記念物・・・。大変興味深い。今日(10日)入手できたので、『東北―つくられた異境』河西英通/中公新書の後で読むつもり。


 


「行動建築論」黒川紀章

2013-01-08 | A 読書日記



 先日読んだ『福岡ハカセの本棚』福岡伸一/メディアファクトリー新書の第3章「生き物としての建築」に本書が取り上げられていた。

メタボりズムというのは生物の新陳代謝を建築に適用した概念で、本書で著者の建築家・黒川紀章はメタボりズムについて広範な知識を駆使して論じている。

メタボリズムを具現化した代表的なというか、唯一といってもいい建築作品が黒川紀章の「中銀カプセルタワービル」だ。このビルのカプセルは古くなれば新しいものに交換して、ビル全体として性能を保持し続ける、福岡さん言うところの「動的平衡」というアイデア。

本書の初版の刊行は1967年、黒川紀章33歳のときで、「中銀」はその5年後の竣工だから残念ながら本書には取り上げられていない。それにしても30代前半でこれだけの論考をし、しかもその概念を具現化してしまったなんて・・・。ただ凄いとしか言いようがない。


過去ログ




再会

2013-01-07 | A あれこれ

 今日(7日)の朝刊に**フェイスブックで72年ぶり再会 大戦で別離 ボスニアの姉妹**という見出しの記事が載っていた。

記事は第2次世界大戦で生き別れたボスニア・ヘルツェゴビナの80代の姉妹がお互いの消息を知り再会を果たしたことを伝えている。姉妹の子どもどうしがフェイスブックで知り合い、途切れていた糸がつながったそうだが、確かにこの奇跡的な再会はニュースになって当然だろう。

私は今月末に昔の同級生と43年ぶりの再会を約束している。こちらは新聞記事になるほどではないが、ブログネタとしては「あり」だろう。

Rさんとは小学校の時から、いや記憶にはないが保育園の時から一緒だったと思う。中学の時も同じクラスだったが、高校は別々で、Rさんは女子高に、私は共学校に進学した。高校も近かったから見かけることくらいあったかもしれないが、言葉を交わしたことはなかった、と思う。

7年くらい前に中学の同級会をしたが、Rさんは出席しなかった・・・。だが、その時に住所が分かったので、年賀状を交換するようになっていた。

今月末に中学の同級生7人で1泊旅行をすることになっているが、宿泊する旅館の宴席に顔を出してもらえることになって、再会が実現することになった。

43年ぶりか・・・。でも会って話せば空白なんてすぐ埋まるだろう・・・。


 


正月のランドマーク

2013-01-06 | A あれこれ


三郷北小倉中村の御柱 撮影日130104

 安曇野市三郷(旧三郷村)北小倉の下村、中村、上手(わで)村の3ヶ所で元日の未明に御柱が建てられる。御柱は歳神降臨の依り代だという。要するにランドマーク、目印というわけだ。なるほど、山際の集落、中村に立てられた御柱は遠くからでもよく目立って、降臨柱だという説に素直に頷くことができる。正月の神様はこの御柱を目印にこの地に降りてくるのだ。

3ヶ所とも御柱の下には道祖神が祀られている。御柱と道祖神とは不可分の関係にあるということだが、今回はそのことには触れない。


三郷北小倉上手村(上区)の御柱

こちらは中村の隣の集落、上手村の御柱。御柱の上部に取り付けた赤い日天(にってん)と白い月天(がってん)を東に向けて立ててある。御柱は元日、初日が昇る前に立て終わるという。


三郷北小倉下村の御柱

北小倉の御柱の準備は前年の10月、秋祭りが終わるころ子どもたちによって始められるというが、子どもの人数も減ってきているだろうし、何かと大変だろう。我が僻村の御柱は絶えて久しい。

伝統的な行事とはいえ毎年継承していくことは大変なこと。きちんと御柱をしている各地区の皆さんに拍手!


*北小倉の御柱は長野県無形民俗文化財に指定されている。

御柱立ての様子(のぶさんのブログ)


街並みに秩序を与える小旗

2013-01-05 | B 繰り返しの美学



■ 新しい年を迎え、松本駅前からあがたの森に至る大通り(あがたの森通り)では街灯の腕木に頌春という小旗と日の丸が掛けられている。

ふたつの小旗が大通りに添って等間隔に続く。バラバラなデザインのファサードが続く通りが秩序づけられて、♪リズムうきうき 心ずきずき わくわく と、かなり古いが東京ブギウギ的な気分になんとなく なるから不思議。

同じものを直線状に繰り返すという単純なルールによって秩序づけられた光景は美しい。そう、これは「繰り返しの美学」による効果だ(と決めつけてしまう)。

温泉街であれば、通りに面する旅館の軒下に同じデザインの提灯(ちょうちん)を吊り下げるのもいいのではないかと前々から思っている。夜、提灯の灯りが点々と続く道を街中の公衆温泉まで歩いていく・・・。風情のある光景が目に浮かぶ。

このような場合、小旗や提灯は通りに秩序を与えるストリート・ファーニチャ、装置だ。

バラバラなファサードが続く街並みに繰り返しの美学を!秩序を!


過去ログ1

過去ログ2



 


「福岡ハカセの本棚」

2013-01-05 | A 読書日記



 ロンドンオリンピックの名言「康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない」に倣って「本を1冊も読まずに正月を終わらせるわけにはいかない」と書いておく。

昨日(4日)、松本市内の書店で『福岡ハカセの本棚』福岡伸一/メディアファクトリー新書を手にして目次を見た。第3章が「生き物としての建築」となっていた。他の章も例えば第1章が「自分の地図をつくる マップラバーの誕生」、第2章「世界をグリッドでとらえる」など興味深い内容だ。で、買い求めてスタバで一気読みした。

福岡さんおすすめの本100冊の紹介。読書の履歴と共に福岡さんの半生が語られている。「マップラバー」から「マップヘイター」へと転身していく過程でどのような本を読んだのか、という大変興味深い内容。

巻末に2011年5月14日から2012年3月18日までジュンク堂書店池袋店で開催された推薦書フェア「動的書房」のために著者が選んだ約400点のリストが載っている。

大人が読んでも楽しい本  0冊/8冊
ドリトル先生の世界を知る本  1/29
センス・オブ・ワンダー  3/14
いのちを旅する本  3/12
光の粒たち―フェルメールの世界  3/16
建築もアートも「流れて」いるから生きている  4/20
生物の世界  3/28
読み継がれるべき科学の本文学の持つ力 3/23
文学の持つ力 4/24
食べることは、生きること―食にまつわる本 2/16
福岡ハカセの好きな女性 8/33 
福岡ハカセが対談した方々 2/18
知の道標(みちしるべ) 1/16
福岡ハカセの書評・推薦本 3/53
福岡ハカセのインタビュー・寄稿・講演録掲載本 0/6 
本書で新たに取り上げた本 8/51
福岡ハカセの著作・翻訳本 5/26

以上の分類項目によって福岡さんは専門の生物学に関する本や小説はもちろん、理系、文系を問わずあらゆるジャンルの本を紹介している。リストにある本で私が読んだのは53点、少ないか・・・。


*『偶然と必然』はタイトル他表紙の文字が斜めにレイアウトされている。

福岡さんは**『偶然と必然』は、私の学生時代、必読書の一つでした。それはダーウィンの進化論のエッセンスだけを偶然と必然という概念から語り直したもので、いま読み返せば、ダーウィニズムのメカニズムをあまりにも単純化しているように見えます。しかし、当時はこうした切れ味のよさがなんとも格好よく、私たちもすっかりそれに魅了されていたのです。**(113、4)と紹介している。

『利己的な遺伝子』でリチャード・ドーキンスが示した「生物とは遺伝子の乗り物にすぎない」という考え方は有名。


『生物の世界』 今西錦司/講談社文庫 U1のゴム印と購入日 なつかしい!

 

『アンドロメダ病原体』マイクル・クライトン/ハヤカワ文庫 マイクル・クライトンの作品を科学少年をノックアウトする小説だと紹介し、この作品については**宇宙生命を地球の生命体の延長線上に想定してしまう私たちの思い込みを揺さぶるものです。**(170頁)と評している。

私もクライトン作品にハマって何冊も読んだ。過去ログ 



福岡さんが最終章「地図を捨てる マップヘイターへの転身」で取り上げている本の中にこの2冊が入っている。

ふたりの作品は巻末のリストでは「福岡ハカセの好きな女性」という項目に分類されている。川上弘美のこの連作小説集を一番最後に紹介していることがうれしい。

この章を**形のない記憶。自分の周囲だけにかろうじて紡がれる関係。私たちにの人生には、全体を見渡せる鳥瞰図も、計算された設計図もありません。ジグソーパズルのピースを一つひとつ埋めるように、あるいは一つの細胞が前後左右に向かって少しずつ増殖を繰り返し、いつか生命を形づくっていくように、おそらくは、それが本当の世界なのです。**(213頁)と結んでいる。

**マップラバーは鳥瞰的に世界を知ることを好み、(中略) 世界全体の見取り図を手にしたいのです。**(15頁) 「はじめに」で福岡さんはこのように書き、少年のころはマップラバーだったと告白している。

そう、前述のように、この本は単なる書評集ではない。「マップラバー」から「マップヘイター」へと転身していく過程を読んできた本を通してふり返る半生の記だ。


正月休み中にあと2冊、リストの本を読もう(読めるかな・・・)。

『縄文の思考』小林達雄/ちくま新書
『二重らせん』ジェームス・D・ワトソン 江上不二夫、中村桂子訳/講談社ブルーバックス


 


年の始めの伝統行事 御柱

2013-01-04 | B 繰り返しの美学

 松本平の各地で年の始めに行われている伝統行事、御柱。昨年見逃した御柱を見てきた。

まずは、松本市波田(旧波田町)上波田中町地区。生活道路の脇に立っている御柱。


撮影日 130104


これも繰り返しの美学。

次は松本市梓川(旧梓川村)上野花見(けみ)地区。地区の広場に立っている御柱。


この御柱は松本市の重要無形民俗文化財に指定されている。


御柱は各地区それぞれ形が違う。

カラフルなオンベ(御幣)は御柱倒しの後に外され、無病息災のお守りとして各戸に配られる。


歳神降臨の依り代として立てられる御柱。それは厄病神や貧乏神など、厄神の目印にもなる。派手な飾りは厄神を威嚇するためだという(友人の論文:「道祖神の柱立てと火祭りとの関係 ―安曇野・松本平・上伊那の事例から―」による)。


ちなみに道祖神の熱々カップルも集落へ厄神が入り込むのを防ぐためだという。過去ログ


 


干支の「なぜ」

2013-01-04 | F 建築に棲む生き物たち


棲息地:善光寺近くの店の入り口のドア 観察日130102

今年の干支は

詳しく十干十二支で言うと癸巳(みずのとみ)。十干の方はあまり話題にはならないから実はどれか知らなかった。ああ、情けない・・・。

ネコは十二支には入っていない。神様が動物たちに招集をかけた時、ネズミがネコに召集日を偽って元日ではなく2日だと伝えたため、ネコは間に合わなかった。で、十二支から外されてしまった。怒ったネコはネズミを追いかけまわすようになった。

本当はウシがいちばん先に召集場所の神殿に着いたけれど、ちゃっかり背中に乗っていたネズミがぴょんと飛び降りて、 ♪あんたが2番、私が1番、ハ、ドンドン と歌ったかどうか・・・。

ここで疑問が・・・

神様が動物たちに集合!と号令をかけたとき、なぜへびは召集を知ることができたのだろう・・・。そして集合場所の神殿に行くことができたのだろうう・・・。

へびは冬眠中だったのでは、なんせ冬なんだから。