透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「しましま本店」中止

2020-03-16 | A あれこれ



 4月12日(日)に予定されていた「しましま本店」は中止になりました。理由は書かなくても分かりますよね。残念ですが仕方ありません。私は上高地線の電車の中で火の見櫓講座をさせていただく予定で、先日パソコンの動作確認をしたのですが、全く問題なくパワーポイントの画像を車内のモニター画面に映すことができました。いつかこの企画が実現するように願っています。過去ログ


 


「スクランブル」

2020-03-15 | E 週末には映画を観よう

 「ブレードランナー2049」で主人公・ロス市警のKのAI恋人役を演じたアナ・デ・アルマスが出演している映画を観たいと思った。調べてみて何作かあることが分かったが2017年公開の「スクランブル」をDVDで観た。

この作品は兄弟が高級クラシックカーを、あっと驚く手段で盗むクライムアクション映画。マフィアが所有する車(ブガッティ*)を盗んでしまったからさあ大変。敵対するマフィアの車(62年型フェラーリ*)を盗むはめに・・・。

今はこれでもか、これでもか、と観る者の鈍くなってしまっている感性を刺激するようなCG多用のド派手なアクション映画が多いが、それらの映画と比べるとちょっと物足りないと感じてしまうかも。

この映画に登場するクラシックカーはひとつも知らなかったが、チャーミングなアナ・デ・アルマスを見ることができたから満足。


*車には全く疎いので名前は調べた。


「空海に学ぶ仏教入門」

2020-03-15 | A 読書日記



 『空海に学ぶ仏教入門』吉村 均(ちくま新書2017)再読。カバー折り返しの本書紹介文には**仏教の全体像を描き出す、画期的な仏教入門。**とあるが、さて・・・。

**本書で紹介する空海の十住心は、(中略)インドや中国から伝えられた様々な教えを、十の心のあり方に対応するものとして、体系化したものです。(009頁 はじめに)** 

本書ではこの十住心を第一 異生羝羊心、第二 愚童持斎心から第九 極無自性心、第十 秘密荘厳心までを説いている。「仏教用語の基礎知識」の無い私には本書に書かれている内容、心のあり様をを理解するのは難しい。 

まあ、何でも読んでやろう精神で再度目を通してみた、といったところ。


高野山 根本大塔 

もう一度高野山には行ってみたい。


 


映画を観よう

2020-03-14 | E 週末には映画を観よう

 「映画を観よう」というカテゴリーを設定してあることだし、最近DVDで観た映画を記録として載せておこう。

「未来世紀ブラジル」1985年公開のSF映画

C君、Tさんお気に入りの映画だと知り、観た。管理社会を風刺した映画。映像を高く評価する向きもあるようだが、私の好みではなかった。

「ブレードランナー2049」2017年公開のSF映画

「ブレードランナー」の続編。なかなか深い内容、もう一度観たい。主人公・ロス市警のKのAI恋人の役を演じたアナ・デ・アルマスはチャーミング。調べると彼女は007の最新作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」のボンドガール。 この作品はこの4月に公開の予定だったようだが、新型コロナウイルスの感染拡大に備え、確か11月まで延期された。公開されたら是非観たい。

「マネーモンスター」2016年公開のサスペンス映画

ハラハラドキドキ感が今一つ。ストーリーが分かりにくい映画は歓迎しないが、この映画はシンプルに過ぎ、株価操作のからくりも説明的。必要な映像を都合よく短時間で探し出せるというのも、なんだかなぁ。犯人があっけなく射殺されてしまうラストはどうだろう。別のパターンもありだと思うが。


 


「震災以降の生活の転換者たち」

2020-03-14 | A 読書日記



 昨日(13日)の朝カフェ読書は『建築雑誌2020年2月号』日本建築学会。

2011年3月11日に発生した東日本大震災、福島第一原発事故をきっかけに大きくライフスタイルを変えた人たちがいる。『建築雑誌』の特集は「震災以降の生活の転換者たち」。

都市から農村へ生活の場を移した人たちや電気をできるだけ使わない生活を始めた人たちの生活ぶりから地域のコミュニティの重要性や地球環境に配慮した生活の予兆が見えてくる。

「生きるサイズを考え直す」

新聞記者だったIさん(記事は実名、写真も掲載されている)は原発事故の後、電子レンジや掃除機、冷蔵庫などの家電を処分したという。今は鍋で炊いたご飯をおひつに入れているそうだ。冷蔵庫が普及する前、一般家庭で普通に行われていた方法だ。洗濯は手で洗うというのも洗濯機が普及する前にはどこの家庭でも行われていた方法。箒と雑巾でする掃除然り。

**便利なものって、「自分の生きるサイズ」をわからなくして、欲をどんどん肥大化させてしまう。冷蔵庫のせいで食品を買い込み、腐らせてしまう。食べきることができる量さえわからなくなっているんです。**(10頁) なるほど、確かにそうだなぁ。

**家電もガス契約もない暮らしを始めてみると、外の世界に頼らざるを得ません。近所の銭湯がお風呂だし、コンビニが冷蔵庫、ブックカフェが本棚。つまり、「街全体が我が家」になったんです。そうなってみると、これまでのように、自分さえよければいいとは思えなくなった。**(10頁)

**本当の豊かな社会とは、自己完結する社会ではなく、近所がなんとなく互いを知っていて、助け合いながら安心して暮らせる社会だと思います。**(11頁)

この件(くだり)を読んで『本所おけら長屋』畠山健二(PHP文芸文庫2013)に描かれている長屋の住人の暮しぶりが浮かんだ。かれらは自己完結からは程遠い、持ちつ持たれつの暮らしをしている。

現代人の暮らしより、貧乏長屋の住人たちの暮らしの方が豊かだったのかもしれない。

高級マンションで孤独死か・・・。

再読を始めた『空海に学ぶ仏教入門』吉村 均(ちくま新書2017)のカバー折り返しには**私たちが苦しみから離れることができないのは、欲望のままにものを追いかけ続ける心のあり方にその原因がある。**との紹介文が載っている。

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「大和古寺風物誌」亀井勝一郎

2020-03-10 | A 読書日記



 『大和古寺風物誌』亀井勝一郎(新潮文庫1953)を読む。

**いざ大和へ行って古仏に接すると、美術の対象として詳に観察しようという慾など消えてしまって、ただ黙ってその前に礼拝してしまう。**(59頁)

**かくも無数の仏像を祀って、幾千万の人間が祈って、更にまた苦しんで行く。仏さまの数が多いだけ、それだけ人間の苦しみも多かったのであろう。一軀の像、一基の塔、その礎にはすべて人間の悲痛が白骨と化して埋れているのであろう。久しい歳月を経た後、大和古寺を巡り、結構な美術品であるなどと見物して歩いているのは実に呑気なことである。**(70頁)

このような文章から亀井勝一郎が仏像が美術品ではなく信仰の対象だと信じていたことが分かる。

新潮文庫に収録されて既に70年ちかく経つ。やはり名作は読み継がれる。



また奈良に行きたくなってきた・・・。






1239 安曇野市穂高牧の火の見櫓

2020-03-08 | A 火の見櫓っておもしろい


1239 安曇野市穂高牧 離山公民館 3脚〇〇型 撮影日2020.03.08



 やや太目のプロポーション。見張り台の高さは約7メートル(梯子の段数と間隔の寸法で求めた値)。外付け梯子。脚元に道祖神。




屋根は反り付きの円錐で避雷針に大きな風向計が付いている。半鐘はセンターを外して吊り下げてある。




脚部。斜材は柱材の下端に達していない。小さなガセットプレート、リベット接合。


網羅的に長野県内の火の見櫓を掲載しているそれがしさんのブログでこの火の見櫓を知った。感謝。


消えゆく火の見櫓

2020-03-08 | A 火の見櫓っておもしろい

 
松本市波田中波田の火の見櫓(1965―2020) 撮影日2020.02.24(左)2020.03.08(右)




撮影日2020.02.24

 しばらく前にこの工事看板を見かけて、火の見櫓が撤去されることを知った。今朝(8日)は春の雪(*)だったが、様子を見に出かけた。松本市内でも最も背が高い部類の火の見櫓が風景から消えていた。いまや絶滅危惧種の火の見櫓。1基、また1基と姿を消していく・・・。


*「春の雪」は三島由紀夫の小説 


「気象予報と防災」

2020-03-07 | A 読書日記



 新書は中公、文庫は新潮。『気象予報と防災 ―予報官の道』永澤義嗣(中公新書2018)

書店ではまず新書、それも中公新書の書棚を見る。買い求める本を決めていないときはいつもそうだ。この本は帯の**自然災害との格闘**という大きな文字に目が行き、即買い求めた。

朝カフェ読書@スタバ。いつもの大きなテーブルを避けた。

**新聞でも、記者名が記載された記事が増えてきた。担当者名を表示することは、責任の所在が明確になるので、製造元と利用者との間に信頼関係が生まれる。逆にいえば、担当者名が表示されないものは、どこまで信用していいのかわからないということになる。天気予報も、それを作成した予報官や気象予報士の署名入りで発表するようにすれば、作成する側はより緊張感をもって作成し、利用する側はより安心して利用できるようになり、発表者と利用者との信頼関係が増すのではないか。少なくとも、製造元の表示は行うべきである。**(第四章 天気予報の実像 75頁)

本の内容と直接結びつかないような箇所を長々引用した。この件(くだり)を読んで、著者の永澤さんは厳しい方だろうなと思った(おそらく自分にも部下に対しても)。いままで新聞やテレビで報じられる天気予報に予報官の署名があった方が良い、などと考えたことは無かった。

案の定というべきか、読み進むと次のような件が。

**予想最高気温は35℃で、猛暑日が予想されています。**(120頁) この表現を著者は危うい解説だと断じている。なぜ?と思って読み進むと**予想最高気温は1℃刻みの数値で発表されるから、「35℃」は34℃台後半から35℃前半までの幅がある。ゆえに、最高気温が予想通りであっても、その日が猛暑日になるとは限らない。**(120頁)と、理由が説明されていた。

まあ、確かにそうだけど・・・。気象予報士からはそこまでシビアな指摘をするかなぁ、といった声が聞こえて来そうだ。

読了後に感想を書きたい。


 


火の見やぐらの記事

2020-03-06 | A 火の見櫓っておもしろい



 長野市民新聞に「現役 火の見やぐら」という記事が連載されている。連載が始まった2019年11月7日付の記事に**現在、長野市消防団が管理している火の見やぐら(警鐘楼)は438基(市消防局)。現存する火の見やぐらを市街地を中心に順次紹介する。**とある。

2月25日付の同新聞には見開きで19基の火の見櫓が紹介され、昭和20~50年代に火の見やぐら(新聞記事の場合、櫓はひらがな表記が一般的)を製作していたという鉄工所の現会長の話も載っている。記事によると、3本柱か4本柱かは発注者の希望に沿い、細かいデザインは各鉄工所が決めていたという。また、1基造るのに3~6か月かかったそうだ。

柱を3本にするか4本にするか、即ち櫓の平面形を4角形にするか、3角形にするかは発注者の希望によって決めたとのこと。松本エリアでは3角形がおよそ8割、諏訪エリアでは逆に4角形が8割だが、この比率もこのようなことに因るのだろうか・・・。このことを合理的に説明することができないものだろうか。

『あ、火の見櫓!』に載せた火の見櫓建設工事の契約書によると、工期は昭和30年7月9日~8月20日となっており、1か月半だ。工期がずいぶん違う。火の見櫓建設事情は鉄工所によって全く違っていた、ということだろう。


新聞は長野市在住のT君から郵送されてきた。T君ありがとうございます。


「祈りの対象か美しさを愛でるものか」

2020-03-06 | A 読書日記

 『仏像と日本人』碧海寿広(中公新書2018)を続けて二度読んだ。仏像を祈りの対象として捉えるのか、美術品として鑑賞の対象として捉えるのか、人それぞれだということは前稿に書いた。両者の中間的な捉え方ももちろんある。

**和辻哲郎は、仏像は美術品だと考えた。(中略)亀井勝一郎は、仏像は美術品ではなく信仰の対象だと信じた。(中略)白洲正子は、仏像は美術品として美しいからこそ、俗世を超えた感動を自分に与えてくれると思った。美か宗教かではなく、美ゆえに宗教なのである、と。**(243頁)

仏像を前に、美的感性が刺激されて感動するのか、知的好奇心が刺激されて興味を覚えるのか。どちらか一方ということではなく、おそらく両方だと思う。両者のバランスが人によりそれぞれ違うということだろう。

建築家のブルーノ・タウトが桂離宮を「涙が出るほど美しい」と絶賛したことはよく知られているが、タウトは桂離宮を前に知的好奇心を刺激されてこのことばを発したということではなく、美的感性を刺激されて発した、と理解するのが妥当ではないか。

では、自分はどうだろう・・・。過去には秋篠寺の仏像・伎芸天についてこんな記事を書いているが(過去ログ)、よく分からない。白洲正子と同じなのかもしれない。

この本に亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』が取り上げられているが読んでいない。読みたい。


 

和辻哲郎の『古寺巡礼』を読んでいる人にはおすすめの1冊です、読んでいない人にも。


「仏像と日本人」

2020-03-04 | A 読書日記



 『仏像と日本人 宗教と美の近現代』碧海寿広(中公新書2018)を読み終えた。副題の「宗教と美の近現代」が本書のテーマを的確に示している。

宗教の対象としての仏像、美術品として鑑賞対象の仏像。美術という概念が持ち込まれた近代以降の仏像に対する人々(知識人)の向き合い方、立ち位置はそれぞれ。仏像を美術品だと捉えた和辻哲郎、仏像は美術品ではなく、信仰の対象だとした亀井勝一郎。

本書で取り上げている岡倉天心、和辻哲郎、亀井勝一郎、高村光太郎、土門 拳、入江泰吉、白須正子、みうらじゅん等(ら)が仏像をどのように捉え、どのように向き合ったのか。土門 拳、入江泰吉についての論考は優れた写真論でもある。

久しぶりに読みやすい本と出会った。


 


庚申塔2基

2020-03-03 | B 石神・石仏

  

 所用で大町へ。長性院という寺院の前に2基の庚申塔があった。上の庚申塔はそれ程古く見えず、昭和55年(1980年)の建立かと思いきや、万延元年(1860年)の建立だった。大江健三郎に『万延元年のフットボール』という作品があるので、この年が1860年ということは知っていた。干支は共に庚申(こうしん、かのえさる)。

 

下の庚申塔も損耗しておらず、古く見えない。裏面に刻まれている建立年は文久4年(1864年)。この年の干支は甲子(きのえね、こうし)で、庚申ではない。

次の庚申の年は20年後、2040年。





あれ?

2020-03-01 | A あれこれ



 昨日(02.29)の朝カフェ読書@スタバで、馴染みの店員さんから当面マグカップで提供しないことになったことを知らされた。昨日が初日だったようだ。

これも新型コロナウイルス感染対応、ということなのだろう。カップはきちんと洗浄すれば何ら問題ない、と思う。この対応、レストランに適用するのは無理だ。まあ、石橋を叩いて渡るというか、叩いても渡らないというか。念には念を、ということなのだろう。この対応がいつまで続くのか分からない。しばらくマグカップで飲むことができないが仕方ない。

『なぜ迷う?複雑怪奇な東京迷宮駅の秘密』を読み終えた。2月最後の読了本。