透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

火の見やぐらの記事

2020-03-06 | A 火の見櫓っておもしろい



 長野市民新聞に「現役 火の見やぐら」という記事が連載されている。連載が始まった2019年11月7日付の記事に**現在、長野市消防団が管理している火の見やぐら(警鐘楼)は438基(市消防局)。現存する火の見やぐらを市街地を中心に順次紹介する。**とある。

2月25日付の同新聞には見開きで19基の火の見櫓が紹介され、昭和20~50年代に火の見やぐら(新聞記事の場合、櫓はひらがな表記が一般的)を製作していたという鉄工所の現会長の話も載っている。記事によると、3本柱か4本柱かは発注者の希望に沿い、細かいデザインは各鉄工所が決めていたという。また、1基造るのに3~6か月かかったそうだ。

柱を3本にするか4本にするか、即ち櫓の平面形を4角形にするか、3角形にするかは発注者の希望によって決めたとのこと。松本エリアでは3角形がおよそ8割、諏訪エリアでは逆に4角形が8割だが、この比率もこのようなことに因るのだろうか・・・。このことを合理的に説明することができないものだろうか。

『あ、火の見櫓!』に載せた火の見櫓建設工事の契約書によると、工期は昭和30年7月9日~8月20日となっており、1か月半だ。工期がずいぶん違う。火の見櫓建設事情は鉄工所によって全く違っていた、ということだろう。


新聞は長野市在住のT君から郵送されてきた。T君ありがとうございます。


「祈りの対象か美しさを愛でるものか」

2020-03-06 | A 読書日記

 『仏像と日本人』碧海寿広(中公新書2018)を続けて二度読んだ。仏像を祈りの対象として捉えるのか、美術品として鑑賞の対象として捉えるのか、人それぞれだということは前稿に書いた。両者の中間的な捉え方ももちろんある。

**和辻哲郎は、仏像は美術品だと考えた。(中略)亀井勝一郎は、仏像は美術品ではなく信仰の対象だと信じた。(中略)白洲正子は、仏像は美術品として美しいからこそ、俗世を超えた感動を自分に与えてくれると思った。美か宗教かではなく、美ゆえに宗教なのである、と。**(243頁)

仏像を前に、美的感性が刺激されて感動するのか、知的好奇心が刺激されて興味を覚えるのか。どちらか一方ということではなく、おそらく両方だと思う。両者のバランスが人によりそれぞれ違うということだろう。

建築家のブルーノ・タウトが桂離宮を「涙が出るほど美しい」と絶賛したことはよく知られているが、タウトは桂離宮を前に知的好奇心を刺激されてこのことばを発したということではなく、美的感性を刺激されて発した、と理解するのが妥当ではないか。

では、自分はどうだろう・・・。過去には秋篠寺の仏像・伎芸天についてこんな記事を書いているが(過去ログ)、よく分からない。白洲正子と同じなのかもしれない。

この本に亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』が取り上げられているが読んでいない。読みたい。


 

和辻哲郎の『古寺巡礼』を読んでいる人にはおすすめの1冊です、読んでいない人にも。