■ 『大和古寺風物誌』亀井勝一郎(新潮文庫1953)を読む。
**いざ大和へ行って古仏に接すると、美術の対象として詳に観察しようという慾など消えてしまって、ただ黙ってその前に礼拝してしまう。**(59頁)
**かくも無数の仏像を祀って、幾千万の人間が祈って、更にまた苦しんで行く。仏さまの数が多いだけ、それだけ人間の苦しみも多かったのであろう。一軀の像、一基の塔、その礎にはすべて人間の悲痛が白骨と化して埋れているのであろう。久しい歳月を経た後、大和古寺を巡り、結構な美術品であるなどと見物して歩いているのは実に呑気なことである。**(70頁)
このような文章から亀井勝一郎が仏像が美術品ではなく信仰の対象だと信じていたことが分かる。
新潮文庫に収録されて既に70年ちかく経つ。やはり名作は読み継がれる。
また奈良に行きたくなってきた・・・。