東京 上中里に多紀楽真院元堅の墓をアップしました。
多紀一族の墓のある城官寺には、以前も訪れたことはあったが、法名を刻んだたくさん墓石の中から楽真院のものを特定することができず、懸案となっていた。墓には「江戸侍医法印尚薬兼医学教諭茝庭(さいてい)多紀先生墓」と刻まれている。
司馬遼太郎先生の小説「胡蝶の夢」によると、多紀一族はもともと古い医家の家系である丹波氏から出たという。丹波氏は宮廷の医官をつとめ、やがて徳川幕府が将軍の医師団を組織したとき、京都の宮廷医から人選した。その中に楽真院の祖先である元孝がいたという。多紀家からは元徳、桂山といった名医を生んだが、多紀楽真院もその流れを継ぐ幕府奥医師であった。「胡蝶の夢」では「先祖の功業に拠って威張りかえっている」楽真院を実にいやらしく描いているが、貴賤の別なく診療する聖人だったという説もあり、本当はどういう人物だったのか見当がつなかい。ただ「胡蝶の夢」が、悪役楽真院の存在によりとても面白い小説に仕上がっているのも事実である。
多紀一族の墓のある城官寺には、以前も訪れたことはあったが、法名を刻んだたくさん墓石の中から楽真院のものを特定することができず、懸案となっていた。墓には「江戸侍医法印尚薬兼医学教諭茝庭(さいてい)多紀先生墓」と刻まれている。
司馬遼太郎先生の小説「胡蝶の夢」によると、多紀一族はもともと古い医家の家系である丹波氏から出たという。丹波氏は宮廷の医官をつとめ、やがて徳川幕府が将軍の医師団を組織したとき、京都の宮廷医から人選した。その中に楽真院の祖先である元孝がいたという。多紀家からは元徳、桂山といった名医を生んだが、多紀楽真院もその流れを継ぐ幕府奥医師であった。「胡蝶の夢」では「先祖の功業に拠って威張りかえっている」楽真院を実にいやらしく描いているが、貴賤の別なく診療する聖人だったという説もあり、本当はどういう人物だったのか見当がつなかい。ただ「胡蝶の夢」が、悪役楽真院の存在によりとても面白い小説に仕上がっているのも事実である。