史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

城官寺 多紀楽真院の墓

2008年09月23日 | 東京都
東京 上中里に多紀楽真院元堅の墓をアップしました。

多紀一族の墓のある城官寺には、以前も訪れたことはあったが、法名を刻んだたくさん墓石の中から楽真院のものを特定することができず、懸案となっていた。墓には「江戸侍医法印尚薬兼医学教諭茝庭(さいてい)多紀先生墓」と刻まれている。
司馬遼太郎先生の小説「胡蝶の夢」によると、多紀一族はもともと古い医家の家系である丹波氏から出たという。丹波氏は宮廷の医官をつとめ、やがて徳川幕府が将軍の医師団を組織したとき、京都の宮廷医から人選した。その中に楽真院の祖先である元孝がいたという。多紀家からは元徳、桂山といった名医を生んだが、多紀楽真院もその流れを継ぐ幕府奥医師であった。「胡蝶の夢」では「先祖の功業に拠って威張りかえっている」楽真院を実にいやらしく描いているが、貴賤の別なく診療する聖人だったという説もあり、本当はどういう人物だったのか見当がつなかい。ただ「胡蝶の夢」が、悪役楽真院の存在によりとても面白い小説に仕上がっているのも事実である。
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史跡訪問の楽しみ

2008年09月23日 | 幕末維新史跡訪問
 史跡を巡り始めて何年になろうか。これまで何箇所の史跡を訪ねたか分からないが、ますます史跡を訪れる楽しみは尽きない。
 史跡に触れる楽しみは、史実と空間を共有する喜びに他ならない。後世の我々は、タイム・マシンでも発明されない限り時間を共有することはできないが、同じ空間を共有することは可能である。或いは同じ空間を汗を流して移動することで、先人の体験を共有することも可能である。
 かつて宮崎県の可愛岳という標高727メートルほどの山を登ったことがある。勿論、登山家が好んで挑戦するような山ではなく、歴史に登場することがなければ誰も目を向けないような山である。明治十年の西南戦争で、追い込まれた薩摩軍は闇に紛れて官軍の包囲網を突破した。薩軍の「突囲」と呼ばれる。汗だくになって可愛岳を登りながら、当時の薩軍の進軍に思いを馳せるのは無上の楽しみであった。薩軍は夜間の進行で、官軍に知られないよう、物音も発せず黙々と崖を攀じ登ったことであろう。山を登っているだけで薩軍の息使いが感じられる。これが史跡訪問の醍醐味である。
 史跡を訪問する目的が歴史的事件との接触であれば、歴史上の人物との接触を可能にするのは、その墓を訪ねることである。著名人の墓を参ることを「掃苔」という。歴史上の人物の墓前に立つと、それまで書物の上での登場人物であったその人が急に現実に存在した一個の人間としての現実味を帯びてくるのである。
 私は歴史とともに音楽を好む。特にCD録音よりもFMで放送されるライブ録音が好きである。スタジオで作られる音楽というのは、確かに演奏の良い部分だけを繋ぎ合わせて理想的な音楽を編集することはできるかも知れないが、そういう完璧な音楽を聴いてもあまり感動しないのである。ライブというのは、観客のしわぶきや楽譜をめくる音、時には指揮者のうなり声や雑音も混じるし、勿論ミスやほころびもあるが、それが時に演奏者も予期しない効果を生むことがある。そして何よりも演奏者と聴衆の作る緊迫感、演奏者の熱気が伝わってくる。スタジオで淡々と作られる冷静な音とは全然違う。
 若き日のアバドとポリーニの熱気溢れるブラームスピアノ協奏曲第1番、クレーメルの奏でるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(カデンツァはシュニトケ)の独特の世界、チェリビダッケの雄叫びの聞こえるブルックナーなど、30年以上も音楽を聴いてきても、これぞという名演奏に出遭うことはそう多くはない。それでも飽きもせずに毎日のようにFMのライブ放送をチェックするのは「もしかしたら凄い演奏に出遭えるではないか」という期待感があるからである。
 ライブ録音の臨場感と、史跡を訪ねた時に感じる臨場感は共通するものがある。ものに憑かれたように史跡を訪問し、FM放送を聴くのも根は同じところにあるように思う。

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