鹿児島に勤務していたときは薩摩藩に肩入れし、四国に住んでいたときは土佐藩や長州藩に傾倒した。東京に来てからは幕府側の視点で維新史を見るようになった。そういう中で星亮一氏の著作に出会った。星亮一氏は一貫して会津藩の正当性を主張し、擁護に努めている。会津藩の視点というのは、私にとってとても新鮮であった。
私は会津若松を訪れたことはないが、機会さえあればいつでも大丈夫なように、日頃から研究している。およそ史跡探訪ルートも計画済みである。会津若松探訪への想いは日々募り、星氏の著作も色々読んだが、今回書店で見つけた「会津藩VS薩摩藩」に関して言えば、特に目新しさは感じられなかった。
会津藩は致命的に政治が下手であった。そのことが会津の悲劇の背景にある。薩摩藩と比べると、その下手さ加減が明白である。
当初はともに手を取り合って長州の追い落としに協力した薩摩藩が、いつの間にかその長州と結んで今度は官軍として攻め込んできた。まさに昨日の味方が、今日の敵になったのである。会津としては何が起きたかわからないうちに朝敵に陥れられたというのが実感だと思う。薩摩は会津藩の降伏に際して非常に寛容に対処したというが、薩摩にしてみればかつて手を結んだ相手に対し、徹底的にやっつけるのは流石に気が咎めたということだろう。
私は会津若松を訪れたことはないが、機会さえあればいつでも大丈夫なように、日頃から研究している。およそ史跡探訪ルートも計画済みである。会津若松探訪への想いは日々募り、星氏の著作も色々読んだが、今回書店で見つけた「会津藩VS薩摩藩」に関して言えば、特に目新しさは感じられなかった。
会津藩は致命的に政治が下手であった。そのことが会津の悲劇の背景にある。薩摩藩と比べると、その下手さ加減が明白である。
当初はともに手を取り合って長州の追い落としに協力した薩摩藩が、いつの間にかその長州と結んで今度は官軍として攻め込んできた。まさに昨日の味方が、今日の敵になったのである。会津としては何が起きたかわからないうちに朝敵に陥れられたというのが実感だと思う。薩摩は会津藩の降伏に際して非常に寛容に対処したというが、薩摩にしてみればかつて手を結んだ相手に対し、徹底的にやっつけるのは流石に気が咎めたということだろう。