(潜竜寺)
潜竜寺
雄和町種沢の潜竜寺は、九月九日、庄内藩によって焼かれた。現在の本堂は再建されたものであるが、背後にある樅の木は当時からのもの。根元には当時の焼け焦げが残る。
(普門院)
普門院
慶應四年(1868)八月十七日、普門院も秋田藩の手によって放火されて焼かれた。当時、普門院は十棟も堂宇を有する大きな寺院であった。
新波橋
(椿台城跡)
椿台城跡
現在、秋田空港や国際教養大学のある秋田市雄和町付近は、秋田藩領における最後の戦場となった場所である。
九月十日、糠塚山(標高百二㍍)を奪おうとした庄内藩を秋田藩軍が撃退し、ようやく庄内藩の進撃は停止した。秋田藩および新政府軍はここで踏みとどまり、庄内藩の秋田城下新軍を食い止めた。
椿台に城が築かれたのは、慶応四年(1868)三月になってからのことである。藩主佐竹義尭は、佐竹支藩の佐竹壱岐守義諶(よしづま)に命じてここに城郭を築かせた。建設半ばにして戊辰戦争がこの地に至り、期せずしてこの地が秋田城下防衛の最前線となった。戦後、椿台城は義諶の子、義理(よしさと)に引き継がれるが、間もなく義理も岩崎に転封された。椿台城はわずか二年で廃城となった。現在、城郭の遺構はほとんど残っておらず、わずかに土塁が残されているのみである。
(椿台カントリークラブ)
椿台カントリークラブ
戊辰戦争砲台跡
ゴルフと縁を切って久しい。ゴルフ場に足を踏み入れるのも八~九年振りである。「砲台グリーン」があるゴルフ場は珍しくないが、ホンモノの砲台跡が存在するゴルフ場は、全国でもここだけではないか。
何とかコースの途中にある「砲台跡」を見学したかったが、折しも連休中の書き入れ時で、のんきに写真撮影にコースをうろついていてはつまみ出されるのがオチである。翌朝、出直すことにした。
ホテルを五時前にチェックアウトし、秋田市内の史跡を探索した後、再度椿台カントリークラブを訪れた。流石に早朝六時にコースに客はいない。前日、キャディさんに聞いたとおり、「つばきコース」の1番ホール途中の小高い丘の上に「戊辰砲台跡」の木柱を発見した。木柱は根っこが腐って折れていた。取りあえず建て直しておいたが、きちんと手入れをしてもらいたいものである。
(陣笠墓地)
五十嵐永吉墓
雄和町陣笠地区の山裾にある陣笠墓地に、五十嵐永吉の墓がある。五十嵐永吉は、庄内藩四番大隊士で、八月十八日の雄物川渡河作戦の戦いにて戦死。享年二十。

潜竜寺
雄和町種沢の潜竜寺は、九月九日、庄内藩によって焼かれた。現在の本堂は再建されたものであるが、背後にある樅の木は当時からのもの。根元には当時の焼け焦げが残る。
(普門院)

普門院
慶應四年(1868)八月十七日、普門院も秋田藩の手によって放火されて焼かれた。当時、普門院は十棟も堂宇を有する大きな寺院であった。

新波橋
(椿台城跡)

椿台城跡
現在、秋田空港や国際教養大学のある秋田市雄和町付近は、秋田藩領における最後の戦場となった場所である。
九月十日、糠塚山(標高百二㍍)を奪おうとした庄内藩を秋田藩軍が撃退し、ようやく庄内藩の進撃は停止した。秋田藩および新政府軍はここで踏みとどまり、庄内藩の秋田城下新軍を食い止めた。
椿台に城が築かれたのは、慶応四年(1868)三月になってからのことである。藩主佐竹義尭は、佐竹支藩の佐竹壱岐守義諶(よしづま)に命じてここに城郭を築かせた。建設半ばにして戊辰戦争がこの地に至り、期せずしてこの地が秋田城下防衛の最前線となった。戦後、椿台城は義諶の子、義理(よしさと)に引き継がれるが、間もなく義理も岩崎に転封された。椿台城はわずか二年で廃城となった。現在、城郭の遺構はほとんど残っておらず、わずかに土塁が残されているのみである。
(椿台カントリークラブ)

椿台カントリークラブ

戊辰戦争砲台跡
ゴルフと縁を切って久しい。ゴルフ場に足を踏み入れるのも八~九年振りである。「砲台グリーン」があるゴルフ場は珍しくないが、ホンモノの砲台跡が存在するゴルフ場は、全国でもここだけではないか。
何とかコースの途中にある「砲台跡」を見学したかったが、折しも連休中の書き入れ時で、のんきに写真撮影にコースをうろついていてはつまみ出されるのがオチである。翌朝、出直すことにした。
ホテルを五時前にチェックアウトし、秋田市内の史跡を探索した後、再度椿台カントリークラブを訪れた。流石に早朝六時にコースに客はいない。前日、キャディさんに聞いたとおり、「つばきコース」の1番ホール途中の小高い丘の上に「戊辰砲台跡」の木柱を発見した。木柱は根っこが腐って折れていた。取りあえず建て直しておいたが、きちんと手入れをしてもらいたいものである。
(陣笠墓地)

五十嵐永吉墓
雄和町陣笠地区の山裾にある陣笠墓地に、五十嵐永吉の墓がある。五十嵐永吉は、庄内藩四番大隊士で、八月十八日の雄物川渡河作戦の戦いにて戦死。享年二十。