(川汲温泉ホテル)
川汲温泉
箱館戦争川汲戦戦死者慰霊碑
川汲(かっくみ)温泉ホテルに慰霊碑が建てられている。この地における箱館府兵の戦死者は七名であった。
鷲ノ木に上陸した旧幕軍は、人見勝太郎率いる遊撃隊と本多幸七郎の伝習歩兵隊三十人とともに先行させ、それを追うように大鳥圭介指揮の五百二十人(伝習士官隊、遊撃隊、新選組、砲兵隊)が続いた。これとは別に土方歳三は別働隊(額兵隊、陸軍隊、衝鋒隊)を率いて佐原、川汲を経て箱館を目指した。
土方隊が川汲に到着したのが、明治元年(1868)十月二十四日。土方隊は峠に布陣していた箱館府の守備兵を撃退すると、川汲に戻って温泉を楽しんだと伝えられる。疲れを癒した後、翌朝五稜郭に向けて進発した。
実は川汲峠付近に、二股口の台場山とは別の、もう一つの台場山がある。標高は485メートル。山頂には土方隊が築いた砲台跡があるというが、登山口が分からなかった。
川汲温泉
箱館戦争川汲戦戦死者慰霊碑
川汲(かっくみ)温泉ホテルに慰霊碑が建てられている。この地における箱館府兵の戦死者は七名であった。
鷲ノ木に上陸した旧幕軍は、人見勝太郎率いる遊撃隊と本多幸七郎の伝習歩兵隊三十人とともに先行させ、それを追うように大鳥圭介指揮の五百二十人(伝習士官隊、遊撃隊、新選組、砲兵隊)が続いた。これとは別に土方歳三は別働隊(額兵隊、陸軍隊、衝鋒隊)を率いて佐原、川汲を経て箱館を目指した。
土方隊が川汲に到着したのが、明治元年(1868)十月二十四日。土方隊は峠に布陣していた箱館府の守備兵を撃退すると、川汲に戻って温泉を楽しんだと伝えられる。疲れを癒した後、翌朝五稜郭に向けて進発した。
実は川汲峠付近に、二股口の台場山とは別の、もう一つの台場山がある。標高は485メートル。山頂には土方隊が築いた砲台跡があるというが、登山口が分からなかった。