本書は平成十九年(2007)の年末に刊行されたもので、明らかに翌年の大河ドラマ「篤姫」を意識したものである。ただし、大河ドラマの放映も終了して七年が経過してなお書店に並んでいるということは、大河ドラマとは別に相応の評価を得ているという意味であろう。
副題に「天璋院と薩摩藩」とあるように、天璋院と薩摩藩を中心に取り上げている。
本書によれば、「多摩地域の女性は、江戸城大奥や徳川家一門、譜代大名家に奉公に行くことが多い(P.144)」そうで、その中の一人として、八王子宮下村の名主荻島家の娘、喜尾(まさ・滝尾とも)を取り上げている。この人は、薩摩藩の奥女中右筆を務め、その間数多くの書簡を残している。八王子郷土資料館では「荻島家文書」としてこれをまとめて発刊している。本書では、荻島家文書によって、当時のかなりリアルな大奥の風景を描き出すことに成功している。これによれば、薩摩藩始め、各藩は大奥を通じて盛んに情報戦や外交を展開していたことが分かる。
東征軍が江戸に迫ると、和宮(静寛宮)と天璋院は、ともに実家に働きかけ、江戸城総攻撃の中止、徳川家の存続、慶喜の助命嘆願に動いた。一般には、勝海舟と西郷隆盛の会談により江戸城無血開城が成ったとされるが、本書では、「攻撃中止は天璋院の書状を受け取ったときにほぼ決まっていた(P.179)」とする。本当にそうなのだろうか。両雄の会談の前に天璋院の書状が西郷に届いたことは検証されているが、それを受け取った西郷が即座に攻撃中止を決定したのか。その点については何の解説もないのだが、もう少し裏付けを明確にしてもらいたかった。
副題に「天璋院と薩摩藩」とあるように、天璋院と薩摩藩を中心に取り上げている。
本書によれば、「多摩地域の女性は、江戸城大奥や徳川家一門、譜代大名家に奉公に行くことが多い(P.144)」そうで、その中の一人として、八王子宮下村の名主荻島家の娘、喜尾(まさ・滝尾とも)を取り上げている。この人は、薩摩藩の奥女中右筆を務め、その間数多くの書簡を残している。八王子郷土資料館では「荻島家文書」としてこれをまとめて発刊している。本書では、荻島家文書によって、当時のかなりリアルな大奥の風景を描き出すことに成功している。これによれば、薩摩藩始め、各藩は大奥を通じて盛んに情報戦や外交を展開していたことが分かる。
東征軍が江戸に迫ると、和宮(静寛宮)と天璋院は、ともに実家に働きかけ、江戸城総攻撃の中止、徳川家の存続、慶喜の助命嘆願に動いた。一般には、勝海舟と西郷隆盛の会談により江戸城無血開城が成ったとされるが、本書では、「攻撃中止は天璋院の書状を受け取ったときにほぼ決まっていた(P.179)」とする。本当にそうなのだろうか。両雄の会談の前に天璋院の書状が西郷に届いたことは検証されているが、それを受け取った西郷が即座に攻撃中止を決定したのか。その点については何の解説もないのだが、もう少し裏付けを明確にしてもらいたかった。