(東海寺大山墓地)
本虚院透雲紹徹居士(渋川春海の墓)
暦学者渋川春海(はるみ)は、幕府碁方安井算哲の子。それまで我が国では中国の宣明暦を使っていたが、春海は自ら計算して新しい暦(貞享暦)を作成した。我が国で初めて日本人の手によって作られた和暦である。春海は幕府最初の天文方に任じられ、屋敷内に天文台を設けて天体観測にあたった。正徳五年(1715)、七十七歳にて没した。東海寺大山墓地には渋川家代々之墓が並んでいる。
大機院仁翁滄洲大居士(渋川景祐の墓)
渋川景佑(かげすけ)は江戸幕府天文方。高橋至時の次男で、天文方の渋川正陽の養子となった。同じく天文方の高橋景保の弟。日本最後の太陽太陰暦である天保暦の作成者として知られる。文化二年(1805)には伊能忠敬に従って東海地方・紀伊半島・中国地方の測量に従事している。
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本虚院透雲紹徹居士(渋川春海の墓)
暦学者渋川春海(はるみ)は、幕府碁方安井算哲の子。それまで我が国では中国の宣明暦を使っていたが、春海は自ら計算して新しい暦(貞享暦)を作成した。我が国で初めて日本人の手によって作られた和暦である。春海は幕府最初の天文方に任じられ、屋敷内に天文台を設けて天体観測にあたった。正徳五年(1715)、七十七歳にて没した。東海寺大山墓地には渋川家代々之墓が並んでいる。
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大機院仁翁滄洲大居士(渋川景祐の墓)
渋川景佑(かげすけ)は江戸幕府天文方。高橋至時の次男で、天文方の渋川正陽の養子となった。同じく天文方の高橋景保の弟。日本最後の太陽太陰暦である天保暦の作成者として知られる。文化二年(1805)には伊能忠敬に従って東海地方・紀伊半島・中国地方の測量に従事している。