史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

大森 Ⅴ

2020年03月14日 | 東京都

(厳正寺)

 嘉永六年(1853)六月、ペリー率いるアメリカの艦隊が浦賀沖に現れると、直ちに各藩に沿岸警備の命がくだされた。同月九日、幕府は久里浜に設けた応接所にてペリーが携えてきたアメリカ大統領の親書を受理した。その日の夕刻、四隻の黒船は、江戸湾深く侵入し、金沢沖に姿を現した。この時、長州藩主毛利敬親は、大森厳正寺(大田区大森東3‐7‐27)を本営と定め、自らそこに入ったが、十二日に米艦が金沢沖から消えたため、幕府からの撤兵命令を受けて十五日には江戸桜田の藩邸に帰った。

 

厳正寺(ごんじょうじ)

 

 厳正寺山門には、梵鐘が置かれている。この梵鐘は、安永元年(1772)に大森村などの檀信徒によって寄進されたものである。

 

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小金井 Ⅲ

2020年03月14日 | 東京都

(小金井神社)

 この日の最終訪問地は、小金井神社である(小金井市中町4‐7‐2)。拝殿は令和二年(2020)十一月まで工事中で、青いシートで覆われていた。

 朝から京王線で調布、京王線と銀座線を乗り継いで青山霊園に移動し、青山霊園からは都バスで白金台へ。白金台から東急バスと山手線を乗り継いで高田馬場。そこから歩いて大江戸線中井駅に向かい中野坂上駅へ。丸ノ内線から中央線に入って武蔵小金井駅まで移動した。万歩計の歩数は二万二千歩を越えた。腰椎ヘルニアの激痛に苦しんだ半年前はとてもこれほど長時間歩くことはできなかったが、よくもここまで回復したものだと感慨深いものがある。

 

小金井神社

 

小金井小次郎寄進の狛犬

 

 小金井神社の鳥居前の狛犬一対は、小金井小次郎が寄進したもの。台座には、「願主 關小治郎」という小次郎の本名と「明治十三年九月吉日」という日付が刻まれている。

 

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中野坂上

2020年03月14日 | 東京都

(成願寺)

 中野坂上駅近くの成願寺は、近藤勇ゆかりの寺である(中野区本町2‐26‐6)。

 子母沢寛の「新選組遺聞」によれば、近藤勇の妻ツネと一人娘の瓊子(たまこ)は、勇が甲州に出て間もなく、牛込廿騎町の自宅を引き払い成願寺の座敷を借りて移り住んだという。子母沢寛の著作は、聞き書きのようでいろいろと作家の創作も交じっているので、これも史実かどうか定かではないが、参考記録として。

 

成願寺

 

鍋島家墓所

 

 成願寺の墓地には、佐賀鍋島家の支藩蓮池藩鍋島家の墓所がある。

 

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高田馬場 Ⅱ

2020年03月14日 | 東京都

(観音寺)

 

観音寺

 

 高田馬場から徒歩二十分弱で観音寺に着く(中野区高田馬場3‐37‐26)。

 本堂前でカメラのレンズを交換していると、中から一人の女の子が出てきて、「何か用事ですか」と訊かれた。「無明橋の石碑を探しています」と答えると、「これですか」と本堂横に案内された。女の子が教えてくれた石碑は、私の探していていたものとは違ったが、すぐその横に無明橋の碑があった。写真を撮っていると「石碑の写真を集めているんですか」と女の子は不思議な生物でも見るような目でオジサンを見ていた。

 

無明橋 山岡鉄舟書

 

 無明橋の碑は、山岡鉄舟の書。由来は不明。

 

 

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