(厳正寺)
嘉永六年(1853)六月、ペリー率いるアメリカの艦隊が浦賀沖に現れると、直ちに各藩に沿岸警備の命がくだされた。同月九日、幕府は久里浜に設けた応接所にてペリーが携えてきたアメリカ大統領の親書を受理した。その日の夕刻、四隻の黒船は、江戸湾深く侵入し、金沢沖に姿を現した。この時、長州藩主毛利敬親は、大森厳正寺(大田区大森東3‐7‐27)を本営と定め、自らそこに入ったが、十二日に米艦が金沢沖から消えたため、幕府からの撤兵命令を受けて十五日には江戸桜田の藩邸に帰った。
厳正寺(ごんじょうじ)
厳正寺山門には、梵鐘が置かれている。この梵鐘は、安永元年(1772)に大森村などの檀信徒によって寄進されたものである。