史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

信濃町 Ⅲ

2020年07月18日 | 東京都

(習成館)

 

習成館

 

 剣道場「習成館」は、明治十二年(1879)、旗本出身の柴田衛守が創設したもので、現在都内では最古の剣道場といわれている(新宿区信濃町11‐12)。

 柴田衛守は、幕末鞍馬流の免許皆伝を得た剣客で、維新後は駿府に移り、明治六年(1873)頃、東京に出た。西南戦争にも陸軍看護長として出陣した。明治十二年(1879)、四谷警察署の撃剣世話掛となり、四谷箪笥町に道場を開いたが、この道場は流行らず、その後は四谷の地で幾度か道場を開いては潰すことを繰り返したという。明治十九年(1886)、四谷左門町に新たな道場を開いた際に勝海舟により習成館の名付けてもらった。戦前までは海舟揮毫の「習成館」の文字が道場に掲げられていたそうだが、残念ながら戦災で焼失してしまった。習成館が現在地に移ったのは大正七年(1918)のことで、現在も柴田家によって鞍馬流剣術が引き継がれている(「勝海舟関係写真集」(出版舎 風狂童子)より)。

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千駄ヶ谷 Ⅲ

2020年07月18日 | 東京都

(沖田総司終焉の地)

 

伝 沖田総司逝去の地

 

 久しぶりに沖田総司終焉の地を訪ねると、平成二十六年(2014)に新宿区が設置した説明板が置かれていた。たまに史跡を訪ねて現況を確認することも必要だと痛感した。

 

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新宿 Ⅴ

2020年07月18日 | 東京都

(新宿御苑つづき)

 

戦前の温室の遺構

 

 広大な新宿御苑内を隈なく見渡しても、明治時代の農作物試験場の名残を見つけることは難しい。唯一、温室の入り口近くに、戦前の温室の遺構が保存展示されている。現在の温室建設時に発掘されたものである。

 初期の温室は、明治二十六年(1893)から大正三年(1914)にかけて建てられ、皇室御用の園芸試験場としての役割を担った。

 

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四ツ谷 Ⅷ

2020年07月18日 | 東京都

(鈴新)

 

菊輪葵紋瓦

 

 荒木町10-28のとんかつ屋鈴新(すずしん)の店先に「紋瓦」が置かれている。この紋瓦は、高須藩松平家の菩提寺である行基寺の屋根に使われていた松平家ゆかりの菊輪葵紋瓦である。

 とんかつ屋鈴新では、煮かつ丼、かけかつ丼、ソースかつ丼を「かつ丼三兄弟」と名付けて売り出しているが、これはひょっとして高須四兄弟とかけているのだろうか。一度、この店のかつ丼を食べてみたい。

 

(荒木公園)

 

荒木公園

 

 金丸稲荷神社や鈴新の裏手にある荒木公園に「美濃国高須藩主松平摂津森上屋敷跡について」という新宿区の建てた説明板が設置されている(新宿区荒木町10)。おそらく以前来たときにはなかったので、最近建てられたのであろう。

 

美濃国高須藩主松平摂津森上屋敷跡について

 

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