史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

天王寺 Ⅴ

2025年02月08日 | 大阪府

(稱念寺)

 

原敬による陸奥宗光敬慕碑

 

 原敬は、陸奥が外務大臣の折、外務次官だった関係で、陸奥の没後十年に建てた石碑である。

 

夕日岡(夕陽丘)命名の地

小松帯刀墓所跡

 

夕日岡阡表碑

 

 夕日岡阡表碑は、陸奥宗光が実父伊達宗広の行実を漢文で述べたもの。宗広は紀州藩の重臣で、政敵によって蟄居させられたが、赦免後脱藩して、主に京都で勤王活動を行った。

 宗広は、鎌倉初期の歌人藤原家隆を敬愛しており、明治初期この地にきて、自分も家隆卿の傍に眠りたいとして、自在庵を建てた。家隆卿の和歌に因んで、当地を夕日岡と名付け、伊達・陸奥一族の墓地と定めた。以来、陸奥宗光や妻子など合わせて九人が葬られたが、昭和二十八年(1953)に鎌倉にある寿福寺に改葬された。

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天下茶屋

2025年02月08日 | 大阪府

(天下茶屋公園)

地下鉄堺筋線の終点天下茶屋駅は、往時紀州街道上にあり、太閤殿下あるいは天下人豊臣秀吉に因んで「天下茶屋」と呼ばれるようになった。天下茶屋には、明治天皇にまつわる二つの石碑がある。

 

天下茶屋公園

 

明治天皇駐蹕遺址

 

慶應四年(1868)三月二十三日の往路と復路、並びに明治十年(1877)二月十四日に明治天皇が滞在した是斎屋(天下茶屋)跡。藤沢南岳の書。

 

明治天皇聖躅

 

 同じく明治天皇の滞在を記念した石碑が公園入口にある。

 

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関目高殿

2025年02月08日 | 大阪府

(関目高殿駅)

 関目高殿駅前に立つ明治天皇聖躅碑は、かつて関目神社の境内に明治天皇御駐輦之跡碑と並んで建てられていたものである。

 慶應四年(1868)三月二十三日、明治天皇が滞在した西井茶屋の跡である。

 

明治天皇聖躅

 

(関目神社)

 

関目神社

 

明治天皇御駐輦之跡

 

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大阪城公園 Ⅳ

2025年02月08日 | 大阪府

(京橋口)

 

明治天皇聖躅

 

京橋口交差点の近くに明治天皇聖躅碑が建てられている。側面には「砲兵工廠」の文字が見える。今も砲兵工廠の(旧化学分析工場の)建物が、幽霊屋敷さながらにそこに建っているが、立入はできない。

 明治十年(1877)二月十四日および明治二十年(1887)二月十六日、明治三十一年(1898)十一月十五日の三度にわたり、明治天皇が砲兵工廠に滞在したことを記録したものである。

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本町 Ⅲ

2025年02月08日 | 大阪府

(坐摩神社)

 坐摩(いかすり)神社は神功皇后が新羅より帰還した際、淀川南岸の大江田簑島の渡辺の地に奉祀させられたことに始まる。天正十年(1582)、秀吉の大阪築城の際、替地を命じられ、寛政年間に現在地に遷座した。神社の目の前の通りは「渡辺筋」というが、元の地名が移されたことによる。この神社は、全国の渡辺・渡部姓の発祥の地と称されている。

 

坐摩神社

 

明治天皇聖躅

 

 明治元年(1868)、明治天皇の大阪行幸の折、この神社境内で相撲を天覧した。境内には明治天皇聖躅碑が残されている。

 この石碑は先の大戦の戦火によって砕けてしまったが、その後石片を繋ぎ合わせて復元された。

 

佐久良東雄先生寄寓奉仕之處

 

 佐久良東雄は弘化四年(1847)、坐摩神社の神官渡辺資政との縁で来阪し、境内に住んでいた。その後、桜田門事変の首謀者を庇護した疑いにより幕府に捕らえられ、獄中で亡くなった。

 嘉永五年(1852)坐摩神社では明治天皇の御生母中山慶子の懐妊に際し、中山家より祈祷の依頼があり、安産祈願が行われた。佐久良東雄が祈願を行い、「天照らす日嗣のみこの尊ぞと深く思へば泪し流る」と詠んだ。

 

(靭公園)

 

靭公園

 

大塩平八郎終焉の地

 

 大塩平八郎の乱が鎮圧されると、平八郎・格之助父子は、靭油掛町の美吉屋五郎兵衛宅に潜伏したが、天保八年(1837)三月二十七日、幕吏の包囲のうちに自焼して果てた。民衆に呼びかけた檄文は、密かに書き写され、全国にその挙が伝わった。大塩平八郎終焉の地の碑は、平成九年(1997)、大塩平八郎の乱160周年記念事業として、終焉の地にほど近い天理教飾大分教会(西区靱本町1丁目18)の前に建てられた。その後、令和三年(2021)に飾大分教会の建て替えに伴い、靭公園内に移設された。

 

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阿波座 Ⅱ

2025年02月08日 | 大阪府

(大阪府立江之子島文化芸術創造センター)

かつてこの場所に大阪府庁が置かれており、そこに明治天皇が巡幸したことを記念した石碑が建てられている。

 

明治天皇聖躅

舊大阪府廰

 

 明治十年(1877)二月十五日、明治天皇が滞在した大阪府庁跡。明治七年(1874)から大正十五年(1926)までの間、当地に府庁舎があった。

 

(薩摩堀公園)

 

 

薩摩堀公園

 

地下鉄阿波座駅の近くに薩摩堀公園と称する公園がある。想像するにこの付近に周囲を堀で囲われた薩摩藩の屋敷があり、その名残なのだろう。公園内には「薩摩堀川」と記された石碑もある。

明治初年にはこの場所に願教寺または廣教寺という寺院があって、英公使オールコックが宿泊した記録も残されている。

 

薩摩堀川跡

 

(アメニティ江戸堀)

 

薩摩藩中屋敷跡

 

アメニティ江戸堀という建物の植え込みの中に薩摩藩中屋敷跡碑が埋もれるように建てられている。

 

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土佐堀 Ⅲ

2025年02月08日 | 大阪府

(三井倉庫㈱関西支社ビル)

 土佐堀の三井倉庫㈱関西支社の建物の北西の角に明治天皇聖躅碑が建てられている。

 

明治天皇聖躅

 

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田蓑橋 Ⅱ

2025年02月08日 | 大阪府

(NTTテレパーク堂島第二ビル)

 テト(旧正月)休暇が一週間も続く。その間、ハノイ市内のレストランやスーパーなどは軒並み閉まってしまう。タクシーで移動しようとしても、ほとんどつかまらない。生活にも支障があるし、何より退屈なので、この時期はハノイを脱出するのが賢明である。

 深夜1時にハノイを出て、朝7時に関西空港に着く夜行便にて大阪に降り立った。飛行機の中では、いつものことながら十分寝ることはできなかったが、そんなことは言っていられない。体力の続く限り、大阪市内の史跡を訪ねる。

 最初に訪ねたのは、NTTテレパーク堂島第二ビルの南側に建つ朝陽館の碑である。何十年振りとなるが、明治天皇聖躅碑と並んで、大村藩蔵屋敷跡碑が建てられていることを新たに発見した。建碑は長崎県立大村高等学校関西同窓会による。

 

明治天皇聖躅

 

 明治十年(1877)二月十六日、明治天皇が製藍所(朝陽館)に滞在したことを記念したもの。

 

大村藩蔵屋敷跡

 

(ABCホール)

知らないうちに福沢諭吉誕生地碑の横に中津藩蔵屋敷跡碑が建立されていた。

 

豊前國中津藩蔵屋敷之跡

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