(吹上宿)
吹上は、鴻巣と熊谷の間に位置する「あいの宿」として発展した街である。幕府公認の宿場ではなく、宿泊は禁じられていたが「立場」と呼ばれる休憩所が設けられていた。
文久元年(1861)十一月十二日の午前、和宮一行は吹上で小休をとっている。残念ながら、和宮が休憩をとったとされる立場の位置はよく分からない。
中山道 至鴻巣宿
吹上駅から中山道に沿って歩いてみたが、宿場の両端に石碑が建てられている以外、往年の宿場町を偲ぶものは見当たらない。
ただ一つ吹上神社は、恐らく江戸の頃よりこの場所にあったのだろう。
吹上神社
中山道 間(あい)の宿
吹上神社をさらに熊谷宿方面に進むと、JR高崎線をわたる跨線橋のたもとに石碑がある。ここから徒歩で二十分ほど東に行った踏切の手前にもう一つ石碑がある。
中山道 間の宿吹上
吹上宿は、日光東照宮を警護する八王子千人同心が通る日光火の番道(八王子道・千人同心道とも)と中山道が交差する要衝にあった。また、鴻巣宿と熊谷宿の距離が長かったため、その中間で休憩する場所として重きを成した。
ここ数か月、腰椎ヘルニアに苦しんできたが、このところ数日昼間は幾分痛みが軽くなった。調子にのって吹上まで遠征した。まだ本調子とはいえないが、少し光明が見えてきたような気がする。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます