(徳蔵寺)
徳蔵寺
五百羅漢像
早川翁生壙碑
この日の最終目的地は足利市の徳蔵寺である。
カメラを持って自動車から降りたところで、寺の住持さんと出くわした。こちらから頼んだわけでもないのに「せっかくだから五百羅漢堂を開けてあげよう」と県の重要文化財に指定されている五百羅漢像を見せていただいた。「早川彦平の顕彰碑を見にきたんです」と伝えると、快く墓地入口までご案内いただいた。住持さんによると、この石碑は明治十三年(1880)、早川家の屋敷内に建立されたもので、その後、徳蔵寺に移設された後、小山市内の実家近くや遺族の住む埼玉県内を転々とした。平成二十九年(2017)秋、遺族である鈴木英夫氏から足利市を経て徳蔵寺に連絡があり、この寺に安置されることになった。実に八十二年振りに徳蔵寺に戻ったわけである。
早川彦平は、梁田宿で旅籠「上総屋」を営み、二百人をかかえた梁田宿の顔役であった。慶応四年(1868)三月九日、梁田宿の旧幕府軍を官軍が急襲して激戦となったのが梁田戦争である。古屋作佐衛門率いる旧幕府軍(衝鋒隊)は六十四人の戦死者をだして敗走した。この時、彦平は、梁田宿にいた旧幕府軍の動向を官軍に通報し、地元民の誘導、近隣から押し寄せたやじ馬の整理に当たったといわれる。戦後は出身地である小山で病院や学校建設に関わったという人物である。
石碑に刻まれた「生壙」とは生前に自分でつくっておく墓のこと。傍らの石碑には「死後業績をたゝえ碑が建立」されたとあるが、「死後」ではないのではないか。
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