史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

泉大津 Ⅱ

2024年01月07日 | 大阪府

(松之浜)

 松之浜町の閑静な住宅街の中に、旧膳所城勢田口門が移設されている…というので足を運んでみた。現場は工事中で、既に旧膳所城勢田口門は撤去された後であった。やはり古い建築物を保存し続けることは大変な労力がかかるのである。

 

旧膳所城勢田口門

 

 跡地には辛うじて移設された旧膳所城勢田口門の説明板が残されているが、残念ながら文字がほとんど読み取れない。

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貝塚

2024年01月07日 | 大阪府

(貝塚養護老人ホーム)

 

橋本正高戦歿之地

 

 貝塚養護老人ホームの敷地の北西に橋本正高戦歿之地碑が建てられている。同じ敷地に明治天皇の駐輦記念碑と御製碑もある。ただし、老人ホームの建物は、窓ガラスが割れたまま放置されており、現在空家になっているように見える。

 橋本正高は、橋本出身の豪族で、南北朝時代楠正成に従って勢力を拡大した。しかし、足利義満軍の反撃を受け、天授六年(1380)、高名里(現在の海塚付近)にて戦死したといわれる。この石碑は大正十五年(1926)に建てられ、昭和三十年(1955)に現在地に移された。

 

駐輦記念碑

 

 駐輦記念碑は、小松宮彰仁親王の書。この場所は、明治三十一年(1898)十一月十五日、明治天皇による大演習御統監の地である。

 

明治天皇御製碑

 

 明治四十一年(1908)の御製。

 

 むちうたば紅葉の枝にふれぬべし

 駒をひかへむ岡ごゑの道

 

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岸和田 Ⅲ

2024年01月07日 | 大阪府

(土生中学校)

 ハノイに赴任して一年が過ぎ、初めて一時帰国させていただくことになった。ハノイから夜行便で関西国際空港に飛び、京都の実家に向かったが、その前に東岸和田でレンタカーを借りて泉南の史跡を回ることにした。久しぶりに自動車を運転したが、カラダが覚えているものである。右ハンドルにも直ぐに適応できた。最初の訪問地は、岸和田市土生中学校近くの駐輦記念碑である。

 

駐輦記念碑

 

 土生中学校の東南の敷地に駐輦記念碑が建てられている。書は、元帥陸軍大将小松宮彰仁親王。明治三十一年(1898)十一月十五日、明治天皇による大演習統監の地である。

 

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