納骨で、お袋を郊外の墓地に置いて帰って来た。
3週間、自分の枕元に居たお袋。
毎日、独り言で話しかけたり、朝晩の挨拶をしたり・・・・
声は聞こえない、手を握ってやったり出来ないけれど
火葬して、骨だけになってしまっても、
僕の枕元に居るのは、やっぱりお袋。
昨今、外国の真似をして海に散骨するような葬儀があるらしいけれど
僕にしてみれば、骨になってもお袋の体の一部。
それを海に捨てるなんて、自分の頭では考えられない。
何時だったか、散骨をめぐっての記事を見たことがあるが
その記事の中では、『後悔している』といった人が結構あった。
散骨をしたいという人に『やめておけ』といった事も書いてあった。
ただ、今のように庶民が墓を作るようになったのは、
江戸幕府の民衆統制制度として檀家制が敷かれてかららしく
もともと墓を作るというならわしは日本古来のものではなく、
かつては一部の上流階級を除いて、庶民は遺体を
海や山に捨てるのが普通だったようだ。
でもねぇ、他人様はともかく、自分の親に対してそれは嫌だな。
僕にとってお袋は、体こそ骨だけになってしまって、
いまや電話の向こうから声も聞けなくなったけれど
やっぱりお袋の体の一部なんだよな・・・・
お袋の遺骨を、27年ぶりに親父の隣に置いてやった。
お袋が58歳のときに亡くなった親父。
あれからずっと一人で頑張って生きてきたお袋。
死ぬ直前まで、『生きるんだ』という強い気持ちで頑張ったお袋。
亡くなる直前に『もう良いよ。よく頑張ったね』と言ってやったけど
そんな事を言った事が、辛くて今日まで来た。
お墓の中で、また夫婦仲良くやって行ってくれるだろう。
今夜から、新しい位牌が僕の枕元に置かれている。
また、位牌に向かってブツブツ話している自分がいる。
3週間、自分の枕元に居たお袋。
毎日、独り言で話しかけたり、朝晩の挨拶をしたり・・・・
声は聞こえない、手を握ってやったり出来ないけれど
火葬して、骨だけになってしまっても、
僕の枕元に居るのは、やっぱりお袋。
昨今、外国の真似をして海に散骨するような葬儀があるらしいけれど
僕にしてみれば、骨になってもお袋の体の一部。
それを海に捨てるなんて、自分の頭では考えられない。
何時だったか、散骨をめぐっての記事を見たことがあるが
その記事の中では、『後悔している』といった人が結構あった。
散骨をしたいという人に『やめておけ』といった事も書いてあった。
ただ、今のように庶民が墓を作るようになったのは、
江戸幕府の民衆統制制度として檀家制が敷かれてかららしく
もともと墓を作るというならわしは日本古来のものではなく、
かつては一部の上流階級を除いて、庶民は遺体を
海や山に捨てるのが普通だったようだ。
でもねぇ、他人様はともかく、自分の親に対してそれは嫌だな。
僕にとってお袋は、体こそ骨だけになってしまって、
いまや電話の向こうから声も聞けなくなったけれど
やっぱりお袋の体の一部なんだよな・・・・
お袋の遺骨を、27年ぶりに親父の隣に置いてやった。
お袋が58歳のときに亡くなった親父。
あれからずっと一人で頑張って生きてきたお袋。
死ぬ直前まで、『生きるんだ』という強い気持ちで頑張ったお袋。
亡くなる直前に『もう良いよ。よく頑張ったね』と言ってやったけど
そんな事を言った事が、辛くて今日まで来た。
お墓の中で、また夫婦仲良くやって行ってくれるだろう。
今夜から、新しい位牌が僕の枕元に置かれている。
また、位牌に向かってブツブツ話している自分がいる。