アキレス腱に痛みがあって、しばらく休んでいた昼のサッカー。
ミニゲームだった昼のゲームも、最近はゴキブリが湧くように、
出てくる人間が増えて、10人ずつに分かれてやるほどになった。
こうなると、会社のグラウンドでは狭くてパスもまともに回らない。
それでもタッチを少なくして、狭い場所でパスを回す練習になるから
それはそれで良しと捉えるしかない。
この数週間で、意外な顔が混じっている事を仲間から聞いていた。
その男はかつて東京都社会人リーグの2部でやっていた頃、
つまり我社のサッカー部の全盛期に、僕とセンターバックを組んでいたA。
同じ部署に居て、同じ年に入部。
お互いに器用ではなかったが、低いボールは僕が対応し、
高いボールをAが対応するように、役割をある程度分担して
失点の少ないセンターバックとしてやっていた。
その後、第一期のシニアチームでも一緒にプレーしたり、
7歳年下のAを、僕は弟のように可愛がってきた。
Aは、アメリカ駐在になりサッカー部から離脱。
ところが、Aが帰国してからお互いの立場が変わって、奴が僕の上に来た。
優柔不断のAは、僕に頼ればいいのに、一人で問題を抱え、
さらには僕が部下との間でちょっとした問題があった時に、
性質の悪い上司に操られ、態度の悪い若手を庇い、僕の怒りを買い
僕とは敵対関係みたいになってしまった。
僕と奴の思惑とは逆に、どんどん関係が悪くなる。
お互いに意地を張って、サッカーでは最強のコンビだったAとは
最悪の間柄になってしまったのだった。
その頃、奴は今の僕のように不眠症で苦しんでいた。
僕が部署を出て、今の部署に移ると言い出したときも、
最後の最後まで僕に本心を言えなかったA.
異動が決まった最終日の前日に、二人で話合ったことがあった。
『本当は、もっと色々相談して力になって貰いたかった・・・・』
と、奴は涙目で語ったのを覚えている。
僕は『俺と喧嘩するってことは、こういう事だよ』と言って突き放す。
その後、部で開いてくれた僕の壮行会にも奴は出席出来ず、
結局はそれが最後に交わした会話だった。
それから7年。
5年前にシニアチームを作ったけれど、奴の名前は最初からずっと登録してきた。
いつか雪解けが来て、また一緒にサッカーをやるのが定年退職前にやるべき事だと、
この5年間、誰にも喋らずにAの選手登録を続けて来た。
そして昨日。
奴が昼に出てくるときに、久しぶりに顔を合わせた。
『おーい、この頭の薄い見たことあるおじさん、何処の人かなぁ?』
と、僕が仲間に言うと奴は苦笑いして、やり過ごす。
僕流の照れ隠しだと、察していたのかも知れない。
そして今日はハッキリ、奴に言った。
『ユニフォームも用意してあるんだし、1分でも構わないから週末の市民大会に来い』
周りのメンバーも、僕とAの事は薄々知っているから、誘ってくれている。
そしてもう一度
『俺は誘ったからな。後はお前次第だ!』と伝えた。
さて、奴は果たして来るか?
7年前に凍りついた『最強コンビ』。
1分でも同じフィールドで、パスを回せたら二人のつまらない過去は、
全て雪解け水に流されて終わる気がする。