『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

また、大好きな人が逝ってしまった・・・・

2016年02月16日 | Weblog

劇団の顔的な存在だった大野さんが、昨夜お亡くなりになりました。









僕が劇団に入った時から、ずっと可愛がってくれていました。
最初は、芝居の取り組み方が解らなかった。
自分の役を、自分なりに想像してみなさいと言われた。
どんな生い立ちで、どんな風に育ってきたのか?
台本を読みながら、自分で登場人物の人格を想像してみなさいと…

2年目の公演では、大役が回ってきた。
台詞が多くて、なおかつ相手役との絡みがあって・・・・
全然上手く行かなくて、イライラしながら稽古していたのを
肩の力を抜くように仕向けてくれたのが、大野さんだった。

その2回目の公演が終わった瞬間に、大野さんの前でボロボロと
涙を流しながら、お礼を言ったことを今でもよく覚えている。

若いころは、必死で働いたそうだ。
5代目の老舗を、自分の代で上手く行かなくなったことや
それでも、なりふり構わず、寝る間を惜しんで働いたそうだ。

芝居を始めたのは、歳をとってからだと聞く。
決して巧い役者さんじゃない。むしろ不器用な方だったと思う。
それでも、江戸っ子の粋で、まさに『ダンディー』と言う言葉が
ピッタリする人は、他に会ったことが無い。
知り合ってたった10年だったけど、僕が憧れる大先輩だった。

3年前の公演を終えたところで、体調を崩して一昨年の公演は
最初から出演しないと言って、メンバーから外れていた。
でも、僕ら男性陣にとって、何か物足りない感じがしたのは
大野さんという存在が居なかったからだと思う。
そんな事もあって、居るだけでいいからと言ってお願いして、
去年の公演には、再び出演する予定で居た。
実際、2月中旬まで休みながら稽古に参加していた。

ところが、自分の思うような声が出ないうえに、珍しく台詞も入らない。
座長の要求に答えられなくて、イライラする大野さんが居た。
稽古の時間がしんどくて、夕方に稽古場までタクシーを呼んで
僕が見送ったのが、最後になってしまった。

劇団という大きな家族の、太い柱が無くなってしまったような
自分の親父が無くなった時に感じた喪失感で一杯です。

コメント
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