『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

今が一番楽しい時

2008年09月15日 | Weblog
今日は長女の誕生日。
ついこの間生まれて、まだ子供だと思っていたが
気がつけば16歳。高校一年生。

初めての子供は切迫流産に始まり、嫁さんも安静を強いられる
生活を数ヶ月続けていた。
会社で開発を始めたばかりの超高圧電源の実験が思うように進まず
そういうときに限って、お袋が乳癌で入院。
そして実家に一人取り残された祖母の面倒も看ながらの生活。

案の定、嫁さんは予定日より2ヶ月早く破水してしまった。
その時、医者に言われた言葉が今でも忘れずに頭に残っている。
「2ヶ月早いので、当然未熟児です。生命力が無いと生きられないかも知れません」
その言葉を聞いて、僕は言葉が出なかった。そして、
「保育器で育てる事になりますが、自力で肺を広げられなければ、酸素吸入をしますが、その場合には副作用が心配されます。」
それは目や鼻、耳と言った器官に障害を残す可能性があると言うこと。

覚悟を決めてくださいと言われて、頭の中が真っ白になった。
明け方の7時に生まれた長女。1700gと手のひらに入るほど小さく
すぐに緊急医療センターに移動させられて保育器の中へ・・・・。

心配していた肺も、自力で呼吸が出来るほど広がり酸素の世話にならなくて済んだ。
嫁さんが退院してから2ヶ月間、毎日病院へ通って時間が許す限り顔を見ていた。そして退院。
初めての子供で、全て手探り。お風呂に入れるのも僕がやった。
寝かせつける時も、僕の胸の上でうつ伏せになって寝ることが多く、
僕の頭の中はいつも、人一倍小さな長女の事で一杯だった。

小学校では体が小さく、虐めの対称になったがカウンセラーの先生に
励まされながら、一回も休むことなく登校した。
病気も殆どしない、生命力の強い子だと思った。

一時期、僕が手を挙げてボコボコにしてしまった時期もあったが
必ず「ゴメンね」と言って謝ると、長女も「悪いのは自分だから」と
仲直りして、そういう時は僕の腕枕にしがみついて眠った。

最近は、宿題はやらない、ゲームばかりやる、妹と喧嘩するなどで
また、怒る事が多くなってしまったが、次女と違って長女は
寝る前に必ず僕の部屋のドアを開けて「おやすみ」と言って行く。
何処か長女との関係は、固い絆で心が結ばれている気がする。

低身長でコンプレックスがあったのも、最近は150cmになり解消された。
何処か他の子と違って、浮いた感じの子供だが、本人は個性だと思って気にしていない。
部活動も一生懸命やって、楽しんでいる様子。
16歳、これから人生で一番楽しい時期が始まる。

親が心配するほど、子供はひ弱じゃない。
今は一人で何処へでも出かけて、一緒に出かける事も少なくなった。
勿論、僕の腕枕で寝るなんて事は無い。今から思えば懐かしい思い出。
自分の方が、いつまでも子離れ出来ない親になりそうな気がする。

誕生日のプレゼントは「新しいマウスピース」が欲しいそうだ。
次女はちょっと値段が張る「テナーサックス」だったので、
長女にもちょっとグレードの高いトランペットを・・・と思っていたのだけれど
今の楽器が気に入っているから良いそうだ。欲の無い子である。
来週、一緒に楽器店へ行って買ってやろうと思う。

誕生日、おめでとう。
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結構面白いかも・・・♪

2008年09月11日 | Weblog
最近、ちょっとお休みしていた譜面作り。
今日は、一気に一曲作っちゃいました。
でも、やっぱり歌詞が出てこない。
出来たのは、ギターの簡単な譜面と主旋律。


どうせ曲にして行くと、どんどん変わっちゃうから
譜面に書かれたギターの譜面は、曲のイメージ程度。
相方と一緒に演奏すると、どんどん変遷を重ねて行く。

この間のライブで演奏した曲だって、去年に比べると随分変わっている。
アレンジが全く変わってしまった曲が、いくつかある。
僕の書く譜面は、あくまで相方にこんな感じだって伝える程度。

でも次からは、折角あるMIDI対応のキーボードで作ろうっと!
最近は鼻歌を録音すると、譜面になるものまで有るらしい。
劇団の音楽担当をしていただいている大塚先生みたいな
本格的なソフトは、ちょっと高いからなぁ・・・・・

そういえば、相方は別口でミニライブをやったらしい。
お気に入りの女性ボーカルみたいで、今後はそちらもやるのかな?
僕も以前から、ちょっと別口でやろうという計画があって、
この間、ちょっと具体的な話をしたんだけれど、そちらを進める場合は
某女性ピアニストに声をかけるつもり。(だーれだ?)
いずれにせよ、具体的に何処で、いつやるかを決めなくちゃ、事は進まない気もする。

相方がミニライブをしたユニットとタイバンなんていう手もあるなぁ・・・・
これ、結構面白いかも知れない。
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嬉し、楽し、恥ずかし・・・・

2008年09月10日 | Weblog
いつもの通り、暇なので今度の出向先の部署へ顔見せに行った。
最近は天気が良くて、風も爽やかだから外へ出て自転車で
本社との間を往復するのも、とても気持ちがいい。

今度行く子会社で、本社からの電気設計者が出向するのは僕が初めてらしい。
そして僕の行く部署は、殆どの人が80年代生まれ。
つまり20代の人間が殆どで、若々しい感じ。
出来が悪くても、礼儀正しい人が良いなぁ・・・・・
生意気で、礼儀知らずの若者とはもう関わりたくない。

今度の部署は、僕を知っている人が凄く多い。

まずは社長。
この方には散々叱られたけど、僕の実績を買ってくれていて、
ついこの間までやっていた装置を引き受ける際に、東北大学の教授に
「我社のエースです」と紹介してくれた人。
その時は流石に照れ臭く、自信も無かったから
「エースではなくジョーカーです」と言って、先生達を煙に撒いたことがある。
その後も、名だたる国立大学や研究所の先生達の前で、「高電圧回路」について
プレゼンテーションをさせられた事があった。この時も冷や汗タラタラだった。

次に副社長。この方は僕が初めて高電圧を扱った時に色々指導してくれた恩師。
そして専務はかつて一緒に仕事をしたことがある方。
常務はサッカー部の大先輩で、試合では僕の支配下のディフェンダーだった。
サッカーの話になると、いつも色々教えてもらう尊敬している先輩でもある。
その他にサッカー部の仲間が3人。こいつらは何でも言える仲。
それに、かつて組合で一緒に役員をやっていたメンバーが6人ほど居る。
この連中は、役員時代に荒くれの僕を知っているから、今更格好つけないで済む。
つまり、色んな処に知っている人間が居るので、気分的には凄く楽。
心気一転、頑張ろう!・・・・なんて気張らなくても、良さそうです。

そして今日はちょっと嬉しい事があった。
本社に帰ってきたら、以前に日記にも書いたことがある、僕の仕事での成果を
誉めてくれたAさんにすれ違いザマに呼び止められた。
何でも、今度開発しようとしている顕微鏡の補正回路の件で相談された。
以前、その実務担当者から相談を受けたことがあるのだが、担当者自身が
まだどんなものを作って良いのか?纏まっていないらしい。
間違いないのは、凄く難易度が高く、高電圧技術だけではなく、
いわゆるアナログ技術の知識と経験を要する仕事だと言う事。

色々、話をされて僕はちょっと困惑した。それで、
「実は、今月一杯で他の部署に行くので僕は関われない」と、Aさんに話をしたら
一笑にふされて、
「それならもっと簡単だ。私が社長にお前しか出来ないって言えば、嫌とは言えないだろう」
と言われた。
部署なんか関係ない、誰が出来るのか?が、問題なのだと言われた。

実は今の部内の他の人に相談したけど、仕様書がないと検討できないと断られたらしい。
経験が無いから解からないとか、自信が無いとか口に出せない人に限って
難易度が高い仕事を振られると、そう言って尻込みするのが常套手段。

Aさん曰く、僕は相手の考えが纏まっていないなら、自分で色々考えたアイデアを
こちらから出して、「とにかくやってみよう」と進めるタイプ。
社内で誰もやらない開発のような一発勝負の仕事ばかり、僕がやらされてきたのも、
そういう資質を持った人間が開発には必要だからなんだ・・・
とAさんに強い口調で言われた。
数ヶ月前に、専務から「野武士のように仕事をする人間」と言われたが、
Aさんも全く同じ事を、僕に話してくれた。

部署を出て行く事なんか、全くどうでも良い事だとも言われた。
Aさんは、いつも僕の事を誉めて、きちんと評価してくれる。
何だか、良く解からないが凄く嬉しかった。
Aさんと別れて席に戻る時に、すれ違った人に
「嬉しそうな顔してどうしたのですか?」と言われ、ちょっと恥ずかしかった。
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マジック13

2008年09月09日 | Weblog
今月一杯、残り13日で今の部署から、やっと出て行く事が出来る。
いやぁ・・・長かった。部署を出ると決めてから、本当に長かった4ヶ月でした。

ここ2週間は、やる事が殆ど無くて、重役出勤の10時半に出勤してタバコ吸って、
インターネットで時間を潰して、昼休みのサッカーに全精力を傾ける。
シャワーを浴びて、出向先に顔を出したりして時間を潰していた毎日でした。
人間、遣り甲斐を持って働ける仕事が有るという事がどんなに大切か?・・・・
そんな事を感じた4ヶ月でした。

こんな事をしているうちに、技術的な事を忘れてしまって頭はまさにカラッポ。
それだから、アイドリングを兼ねて次に手がける予定の電源回路の実験と
設計検討を始めようかと思って、散歩がてら次の部署まで出かけてきた。
回路図を見せてもらって、実際の装置を見て色々と考えを巡らせた。

一方で、5月に一区切りした仕事も、どうやらお客さんが想定外の使い方をしていて
性能が出ないどころか、装置の動きがおかしいらしい。
それで、「自分が対応に当たる」と豪語していた人間が、今頃になって僕へ
一緒に出張してくれないか?なんてアホなお願いをしてきた。
それも本人じゃなく上司。何度言っても、失礼な奴ら。

僕は「異動まで時間が無い」と、お断りした。
それに、一緒に出張へ出かける理由を聞いたら
「僕じゃないと判らないから」だとさ・・・・何を言ってるんだろう? (笑)
それで僕は
「自分達だけで出来ると言って、俺を追い出したんだろう?」と言うと
今度は
「引継ぎで先生に後任を紹介してくれ」だって・・・・・

おいおい、それは上司がやればいい話でしょう?
それとも、僕が行って
「こいつが私を追い出して、後を引き継ぐ人間です」と言うのか?
どの面下げて、行けば良いの?・・・・馬鹿丸出しでしょう?
どう考えても、僕が出て行く事を
「会社の方針で、断腸の思いで部署が手放す」
と嘘ばかりの綺麗事を言って、お客さんに挨拶するのも見え見え・・・・・

困っているお客さんの顔が見えていない人間たちの、手伝いをする気はありません。
それに人の話に聴く耳を持たない連中の手助けなんて、誰がするもんか!
大人の対応?・・・・いいえ、私は子供で結構ですよぉ~だ!

人がどれだけ苦労してやってきたか?
お客さんが
「学会に出すデータを取らないと」とか、「早く学内に披露したい」
などと、出張して作業をしている最中でも煽りを入れてくるような
少し精神的に厳しい環境と、時間と云う制約がある状況で仕事をやってみればいいのだ!
気分を害して、帰っちゃうような奴には乗り切れないよぉ・・・・・

しかし、阿呆と云うのは本当に自分で首を絞めて、気絶しないと判らないみたい。
阿呆は気がつくか・・・・奴らは気絶するまで首を絞める馬鹿だった。
とまぁ、またまた愚痴。

今日、机の上に部内報告のコピーが置いてあった。
オックスフォード大学と提携して、次世代の顕微鏡を5年計画で開発するらしい。
この話の前提に、僕が心血を注いで設計した装置を納める事があるのに
緊迫感の無い連中は、今頃船に乗っているはずの装置を、いまだに改造している。
期限を守らないと、2年前に先生に作って頂いたアドバンテージも逆に
オックスフォード大学内における先生の立場も悪くする事になる。

お客さんの顔が浮かばない連中には、そんな状況も軽く考えているんだろうなぁ・・・・
やっぱり、早く出て行って馬鹿には関わらない方が良さそうです。
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おバカさんが、いっぱい!

2008年09月08日 | Weblog
最近は会社に行っても仕事が無いので、もっぱら昼休みのサッカーが
会社に行く目的になっている。

この間、劇団の集まりで一杯やった後に、ナイターの試合があった。
僕は控えの予定で顔を出したんだけれど、結局1試合やっちゃった。
と云うのも、会社でも一緒にやっている仲間が、練習試合だというのに
ドリブルで抜かれたのを熱くなって、猛烈なタックルをかけに行った。
その時に右手を骨折しちゃった。
見てみると、手首の先が階段みたいになっている。複雑骨折で全治2ヶ月。
暫く走れないらしく、復帰まで3ヶ月は必要らしい。

会社には、こういうおバカさんが沢山居て、会社の昼休みに出てくるのです。
仕事でも馬鹿はたくさん居る。
でもそいつらは自分が馬鹿だなんて微塵も思っていない。
馬鹿が、自分が利口だと思っているほどプライドだけ高くて、手に負えないものは無い。

今日もおバカさん軍団は10人。
その中に一人だけ自分の事しか考えないプレーをする、異質のオヤジが居るんだけど
僕はその人には若手に混じってもらって、僕は絶対に同じチームにならない。
若手チームは、ボールを奪うとすぐに縦へ長いパスを出すサッカー。
走るのは良いけど、サッカーの醍醐味が味わえないのでつまらない。

これは僕らオヤジチームがやる、ボールを組織的に奪ってから
のらりくらりと全員でボールを回すサッカーとは一線を画す。
実際の試合では、縦パス&速攻のサッカーは余程相手が下手くそじゃないと通用しない。僕等のグループは、とにかくゆっくりとボールを回して相手が取りに来るのを
待って、取りに来た相手が空けたスペースを使ってボールを回す。
これが上手く行かない時は、若手にボコボコにされるんだけれど
今日は、それが反対に上手く行った。

5人で効率よく動き、敵の居ない所でボールを回す。相手が寄って来たら後ろへ戻す。
そして逆サイドへ大きく展開して、相手を左右に振り回してバラけた所に
たまに素早いパスを入れて、敵を崩す。
失敗しても、そういう意思の疎通が有るプレイが出来た日のサッカーは楽しい。
ゲームの勝ち負けじゃないのですよ。
結果オーライのプレーじゃなく、意識してやるサッカーの面白い事!
思い通り出来なくて失敗しても、意識が揃っていた時は失敗も楽しい。
日本代表に教えてあげたいくらいです。なんちゃって!

日差しは一時期より弱くなった上に、風が涼しくなってサッカーをするには
絶好の季節になってきたのも手伝って、今日は本当に楽しかった。

サッカー仲間は皆、自分がおバカさんだって自覚している。
おバカさんは、おバカさん同士でけなし合ったりしない。
「お前は頭わりぃなぁ・・・」とかの悪口は、洒落で笑って流せる間柄。
いいプレイには「ナイスプレー」とか「ナイスパス」って、大声で怒鳴る僕。
昼休みのグラウンドは、僕の声が響き渡っているらしく、たまに休むと
サッカー部以外の人から「今日は活気が無かった」と言われたり・・・・

そう、僕はうるさいんですよ・・・・えぇ・・・・
でもね、今はこれしかエネルギー使う場所が無いのです。
もっと悲しいのは、専務達がそれを知っていることです。とほほ・・・
明日は、どんなサッカーになるのやら・・・・・
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「凡人として生きるということ」

2008年09月07日 | Weblog
今、読んでいる「凡人として生きるということ」(幻冬社新書新刊)という本が面白い。
著者はアニメーション「スカイクロラ」で有名な押井守氏。
まだ最後まで読みきっていないのだが、本を読み始めて最初から
ニヤニヤしながら読んでいる自分が、何処か可笑しい。

特に共感したのが冒頭に記された「オヤジ論」。
ここに書かれている内容で、普段自分が言っていることが
そのまま書かれているような部分が最初にあった。

「若さに価値など無い」と云う部分。
僕は常々、「若い」という言葉に疑問を感じている。
例えばサッカーを若手と一緒にやっていると、「若いですねぇ」と言われる。
多分、年齢の割に体力があってそれを誉めてくれているんだろうと思うが、
僕は「若い」と誉められるより「凄い」とか「化け物」といわれる方が嬉しい。

なぜならば、「若い」と云う言葉に僕はポジティブな意味として
新しいとか生まれて間もないと言う感じしか持っていない。
「若いなぁ」と云う言葉に対して、むしろ僕の持っている感覚は、
経験不足、分別が出来ないといった意味で捉えている方が多いからだ。

この本にはそれがそのまま書かれていて、一瞬ドキリとして読み始めた。
この中にも書かれているが、若さに価値を見出すのは
戦争をする国が、兵器としての人間に価値持つくらいで
かつての日本が多くの若い命を失った頃の感覚だと思っていた。

だが、若さに憧れ、そのために人は多大な投資をする。
特に女性はそうだろう。

最近じゃ服装や外見で若々しく見せる「チョイ悪オヤジ」なんて流行って、
僕はその類のオヤジと一緒に扱われるのが嫌だった。
日記にも書いたと思うが、僕が目指しているのは「イカすオヤジ」。
外見じゃないんだよ。自分の好みがあって、周りに流されないのがポリシー。
マスコミに踊らされ、その気になって金を使う・・・・
マスコミや業界にまんまと騙されている、そんな感じでしか見ていない。

この間、相方がライブの中のお喋りで「男の色気が無いと言われた」と話していたが
僕は全然そう思わなかった。多分、相方にそういった事を言う人が居るとしたら
その人は「男の色気」って言うものを「チョイ悪オヤジ」的に捕らえているのだろう。
僕は逆に、相方は自分のスタイルを持っていて、いつも羨んでいる。
男から見てセクシーな部分だと思うんだけどね。

僕は自分が凄く癖のある性格で、場所によっては「嫌な奴」になってしまう。
それゆえに敵が多い。でも最近ある人に、「敵が多い人ほど、味方も多いんだよ」
と言われ、ここ数ヶ月、会社で起きたゴタゴタでそれを実感した。

僕は自分の生き様はこうだ!なんて、今はあんまり言いたくない。
そんな事、良く判らないのに、それを気にして生きてなんか行けないからね。
自分の我侭を通しても許される所はとことん進む。
そうやって生きて、死んだ時に初めて「生き様」が判る気がする。
つまり自分の生き様なんて、他人が判断する事だって思っている。
むしろ死に様を意識して、生きている感じかなぁ?・・・・

押井守氏の本にも、これに似たような事が書いてあって
何だか受け売りに思われそうで、ちょっと嫌なのだけれど
久しぶりに読んで共感した本を見つけ、喜んでいる。
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劇団と云う「大家族」

2008年09月06日 | Weblog
今日は劇団ステージドアの会合。
7月にあった公演の反省会と、会食で次のスタートを切るといった集まり。
僕は今回の公演で芝居を続ける気力が少し失せていた。

前の日記に書いた通り、芝居に対する不満が沢山有った。
でも、もう一つは別の理由。精神的に凄く辛かったのです。
僕が仕事で干されて、いい加減アホらしくなって会社を辞めようかと思っていた。
仕事の当ても、有ったから3月にも辞めてしまおうと考えていた。
ところが東北大の納入が思いがけず伸びてしまって、きっかけを逃しちゃった。
納入が一区切りついたのが5月下旬。それをきっかっけに部署を出ると宣言した。

そして次の行き先が決まったのだけれど、それから僕にとっては嫌がらせの毎日。
何ヶ月も続く嫌がらせに遭えば、その相手に対してこちらも自然に応戦体制になる。
筋の通らない事は一切受け付けない、いわゆる『嫌な奴』にならざるを得ない状況だった。
そして今回の公演では偶然に「なんて嫌な奴」と云う台詞を言われて消えてゆく役。
実生活と切り離して別人格になるはずの芝居が、皮肉にも僕の役柄とダブってしまった。

稽古をやっていて、「どうせなら今の気持ちを芝居に生かそう」と開き直ったが
そんな芝居はやっぱり余りにヒステリックで、演出家には不快だったのだろう。
「もう少し、軽く構えてやろう」と言われて、演技を変えた。
それ以来、芝居の稽古で毎回「何て嫌な奴」と言われることが苦痛だった。
そういう状況だったから、芝居への不満がいつも以上に僕の中で増殖してしまった。
それで、もう芝居はいいや・・・・なんて、思っていた。
実際、今日の会合の場所へ行くまで来年はどうしようか?考えていた。

ドアを開けたら、皆の顔があった。いつもの温かい空気が漂っていた。
皆の話を聞いていて、不満はあったけど半年以上一緒に過ごした時間が思い出された。
「あぁ、やっぱりこの中に入ると心が落ち着く」って本当に思った。
考えてみれば、3年前に辛かった時期があってこの劇団に誘われて救われた。
稽古の時間が、楽しくて癒された。みんなが大きな家族のような劇団。
自分が話をする順番になって、素直にみんなに「ありがとう」と云う気持ちになった。
そんな心の内を、皆の前で初めて話した。
途中で言葉が詰まって、うっかり涙が出そうになった。

座長が僕の会社で遭った事を聞いて、
「辞めると言い出して、拾ってくれる部署が有るなんて、いい会社人生を送っているねぇ」
と、優しい言葉をかけてくれた。
そうなんだよね。考えてみれば、僕は良い人生を送っているのかも知れない。
会社では周りに偉い人が沢山居て皆、僕の事を遠巻きながら見ていてくれる。
プライベートでは劇団の「大家族」が待っていてくれる。
そして、バンドの相方も含めて、僕の心の支えはこんなにも沢山居る。

今日は反省会に行って良かった。
また、次の公演に向けて色々練習しなくちゃ!
そうそう、来年の公演は5月連休明けの5月9日と10日。
毎年正月明けの1月下旬に台本が配られ、稽古が始まるのは2月からだったのだが
今回は12月から本読みに入るそうです。
次の公演では、どんな役が回ってくるのか?楽しみです。
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安くなったなぁ

2008年09月05日 | Weblog
最近、気がついたこと。
昔より、安くなっているものが意外に多い事。
会社で、隣に座っている大先輩とそんな雑談をした。

確実に安くなっているものの代表はテレビでしょう。
今やブラウン管のテレビは姿を消しつつあるが、15型のカラーテレビは
2万円を切っていた。
今時の液晶テレビでも、安いものは5万円以下で買える。
初めて我家で買ったカラーテレビはビクターの15インチ。
40年前だったが、たしか10万円以上していた。
その当時の月給は3~5万円程度。2か月分の給料に相当する。

何でこんな話をしたかと言うと、昨日ギターの弦を張り替えようと
弦を買いに行ったら、いつも使う弦が1セットで700円前後。
昔はMartinの弦なんて、1500円以上していたから
弦を全部張り替えるのはコンサートに出る直前だけ。
当時の物価から考えたら1500円なんて、時給300円の時代だから、
5時間働かないと稼げなかった金額。
そんな訳で普段は、ばら売りのYAMAHAのフォーク弦を買って
切れた部分だけ張り替えた。

それを考えたら今の弦は半額以下、今は標準的な時間給が800円前後だから
単純計算で2.5倍強、つまりギターの弦は五分の1以下になっている勘定。
そのせいもあって、ここ1年半はギターのローテーションをしながらだけれど
毎月1回はギターの弦を張り替えている。

8月下旬にヤマハのAEX-500。7月下旬はOvation。6月はMartin。
その間にナイロン弦のGodin、ヤマハAEX-500Nも張り替えている。
最近全く弾かなくなってしまったエレキギターの弦は、弾かないから全然
替えていないにもかかわらずピカピカ。
グレッチ、SG、レスポール、AEXのセミアコは正月に張り替えたのが最後。
弾かないから、替える必要が無いんだよね。

以前はローテーションして、エレキギターも1週間に一回は弾いていたんだけれど
エレアコばかり弾いていたら、エレキギターって弦が柔らかく感じて
何処か弾いている時の感触が面白くないんだよね。
エレキギターの音は大好きだし、ディストーションをかけて大音響で弾く
エレキギターは最高なんだけど、自分が弾く場合は別。
そんなわけで、楽器の維持費は結構かかるけど安くなっている。

他にも沢山あるんだろうけど、とにかく安くなったなぁって実感する
ギターの弦の値段なのであります。
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ゲームは何も、もたらさない

2008年09月04日 | Weblog
昨日は娘のゲームについて日記に書いたが、その続き。

僕は若い頃に、麻雀、パチンコ、競馬、ビリヤード・・・・
いわゆるギャンブルといわれるゲームを散々やってきました。
麻雀は叔父の会社に居たころに、従業員に誘われてやったのだけれど
レベルが低すぎて、僕は従業員全員から一ヶ月の給料分くらい巻き上げていた。
それで、叔父に『負けてやれ』と言われ、負けるためにやるくらいなら
いっその事やらない方がマシと、それ以来一切、麻雀をやらなくなった。

パチンコは就職もしないで、フリーターみたいな事をやっていた時期に
朝開店時から晩の閉店までやって生活費の一部を稼いでいた。
家族が僕を探す時に、パチンコ店を探したほどパチンコに没頭していた。
何時だったか?教員だった姉が僕を探しに来て、
ビーチサンダルを脱いで、山積みにしたドル箱に足を突っ込んで、
咥えタバコでパチンコをしている僕を見つけて絶句した事があった。

僕はプラスチックの箱一杯に出玉を入れて、『姉ちゃんもやんなよ!』って姉に差し出す。
まるで、チンピラの弟を持つ姉の映画みたいな話が現実にあった。
それを知ったその当時の彼女が怒って、『パチンコ止めるか、別れるか?』と
言い出して、結局彼女を取った。パチンコはそれで封印。
今では、パチンコ屋の音がうるさくて大嫌いになってしまった。

競馬は毎週、後楽園へ通い勝てば弟夫婦(その当時は彼女だった)を呼び出して
美味しいものを食べに連れて行ったり、ビリヤードは一ゲーム毎に金を賭けて
多い日は一万円以上勝ったりして、とにかくゲーム好きのギャンブラーだった。

そう、僕はゲームの楽しさは知っているが、楽しさ以外何も生み出さない事も知っている。
特に今のテレビゲームやゲームボーイなどの携帯ゲームはその傾向が強い。

トランプに始まって、麻雀、花札、unoなどのゲームは頭を使う。
相手の性格や、癖、好み、仕草などを観察して、相手の心理状態などを読む。
そういった意味では、ゲームとしてはかなり高級な部類。
将棋、囲碁、チェス、オセロなどは完全に読みと駆け引きが勝負を決める。
これは完全に知的なゲームで、賭けやギャンブルなどとは一線を画す。

パチンコやスロットマシンは何も生み出さない。運だけ。
ただ、昔のパチンコは少し趣が違って、釘を読み玉の狙いを定めて出玉を競う
そういった、釘師と打ち手との勝負みたいな所があった。
それも今は、ただ金欲しさにやる空しいゲームと化した。
パチンコに現を抜かす人間は金をいくら儲けたとか、何処か心が貧困。
ゲームやパチンコに費やす時間を働いたら、そちらの方が確実だし金の有り難味も違う。
ところがパチンコなどに夢中になる人間は、殆どが怠け者か、金に目がくらむ、浅ましい人間。
かつて自分がそうだったから良く判る。

携帯ゲームやテレビゲームは、勝てないと相手のレベルを下げて戦える。
そして都合が悪くなると、リセットしてまた最初から始める事もできる。
何でも自分の思い通りに事が運べる。
こうなったら既に、ゲームではない。

人生はゲームのようなもの。
ある時に良かれと思った選択が後で裏目に出たり、
思わぬ処から邪魔が入って、自分のプランを崩されたりする。
それに負けずに突き進んで行かなければ人は生きてゆけない。

最近起こる、通り魔は殆どがゲーマー。発想が全てゲーム感覚。いわゆるゲーム脳。
気に入らない事があっても、人生はリセットも出来ない。
相手のレベルも変えられない。それで思い通りにならなければイライラする。
それが高じて、『誰でも良かった』と、無差別に人を傷つけ、自分の憂さを晴らす。
喧嘩に負けるのが怖くて、喧嘩が出来ない。
人と議論して負けるのが怖くて、議論出来ない。
思い通りに物事が運ばない時、悪いのは自分じゃないと思いこむ。
そんな人間が、沢山居るのが怖い。これって日本だけじゃないのかなぁ?

いまゲームを子供に与えた自分を、非常に後悔している。
休日に外へ出てどろどろになって汗をかいたり、家に居て楽器を演奏したり、絵を描いたり。
そういった事を、やらせては居たのだが、何時の日か片づけが面倒だったり
汚れるのを嫌って、やらせなくなったのも親である自分の責任。

ゲームは楽しみを貰うだけ、他に何ももたらさない。
喜びを得るための過程を楽しむ事が、何よりも得るものが多く重要なのに・・・・
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馬鹿親の『破壊王』

2008年09月03日 | Weblog
我家の娘は、ゲーム狂。
ゲーム狂にしてしまったのは、親である自分にも責任がある。
我家の長女は、未熟児で生まれたせいもあって体が小さく、
アレルギー性鼻炎を患っていて、いつも鼻が詰まっている状態だった。
それが理由で、小学校で言われ無き差別と虐めに遭ってきた。
その頃の手書きの常用日記に、そんな事について
怒りをこめて書いた日もあった。

特に同性の女の子には爪弾きにされて、友達と呼べる子は
卒業するまで殆ど居なかった。
そんな訳で、家に居て一人で遊ぶ事が多く、そんな子供の遊び道具として
親戚の玩具屋さんから貰った、ゲームボーイを与えたのが始まり。
ゲームボーイも白黒のものから始まって、ゲームボーイカラー、
ゲームボーイアドバンス、そして今や任天堂DS。
長女だけでは不公平なので次女にも買い与えて、我家はゲームの山。
DSに至っては、嫁さんまで買って我家でゲームをやらないのは僕だけ。

何と長女は、ゲームの説明書を隅から全部読んで内容を理解してからやるので
あっという間にゲームの達人になってしまった。
そんな事もあって、たまに遊びに誘われるのは男の子。
ところがどんなゲームでも、長女に勝てる子が居なくて、男の子としては
女の子に負けるのが嫌で、そのうち誘われなくなってしまった。

家で遊ぶのも家族でゲームをするのが楽しみになって、任天堂の戦略に
まんまと嵌ってしまった馬鹿親が僕。
任天堂64、ゲームキューブ、そしてWiI・・・・・
家族全員のコントローラーがあって、正月はゲームをやっていた次期もあった。

ところが、中学校に入ってもゲーム熱は加熱するばかり。
当然、宿題や提出物をやらなくなったり、親の目を盗んではゲームを
やるようになって、宿題は無いと言ってウソをつくようになった。

頭に来た僕は、買ったばかりのゲームボーイカラーを子供の目の前で
全て破壊した事がある。(この時は後で買ってやったのだが高くついた)。
そのお陰で、家では嫁さんにまで『破壊王』と呼ばれるようになった。
それで一旦は、治まったゲーム熱もいつの間にか元に戻る。

高校受験を控えた時期でもそうだったので、今度は家中のゲーム機を
全て僕の部屋の箪笥の上に隠して、子供には「会社に持って行っちゃった」と
嘘をついて諦めさせた。
次女は破壊王に恐れをなして、宿題はきちんとやっていたのに、
馬鹿なお姉ちゃんの煽りを喰らって、ゲームが出来なくなっちゃった。
そういう意味では不公平だが、ゲーム狂がゲームを見ると妹から取り上げて
喧嘩になるので、煩わしいから言われなき『連帯責任』として済ませた。

高校生になって、ゲームを開放したら今度は夏休みの課題を全くやっていない。
夏休みは遊ぶためにあるのだから、やる事は毎日少しずつやれば
遊びもゲームも、文句は言わないよと言って認めていたのに・・・・・
会社で『ゲーマー』『ゲーム脳』と陰で言われていて、
そんな調子だから女っ気も無くて、最近では通り魔みたいな目で見られ
若手の間で馬鹿にされている男の事が思い出されて不快になる。

そして僕は今日、
『理由の如何を問わず俺の目の前でゲーム禁止』と宣言をしました。
そして見つけたら即、破壊するとも宣言。
金の問題じゃないのです。
ゲームなんて、何も生み出さないのが嫌なのです。
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半分楽しみ、半分不安・・・・・

2008年09月02日 | Weblog
マジック19。
これ、僕が今の部署に居る日数です。
今月一杯で、晴れて飼い殺しの環境から開放されます。
北朝鮮やアフガニスタンで拉致された人に比べれば全然楽ですが
この数ヶ月間は、本当に辛かった。

昨日、僕に目をかけてくれている専務から出張先よりメールが来た。
「対応が悪く、あと一ヶ月の辛抱ですが、頑張ってください」との内容。
僕の我侭から始まった事なのに、本当に頭が下がる。

一ヶ月を切ったせいか、最近は色々な人から声がかかる。
今日は製造部門の取締役と遭遇した際に
「あと一ヶ月かぁ?本当に勿体無いなぁ。」と言われ、
「僕の我侭です。新しい部署で頑張ります」と答えたら、取締役が
「そうだな、お前なら何処でも大丈夫だろう。また戻ってくれば良いさ」
と、温かい言葉を頂いた。
散々世話になった、製造部の仲間にもそろそろ話をしなくちゃいけない。

そして、午後になってかつて組合役員時代に世話になった組合の現副委員長が
仕事にかこつけて、僕の様子を伺いに来てくれた。
僕は既に組合員ではないが、組合の規約で10月の人事異動の1ヶ月前に
人事異動の内容を経営側から組合に連絡が入るために、
正式に異動が決まったという事を話しに来た様子。
彼には、今週中に一回呑みに行こうと誘われた。

自分でもびっくりするくらい、周りが僕の去就に気をかけてくれている。
逆にそれだけ色々な人に注目されているということで、
次の部署で下手な事が出来ないなぁって、
ちょっとプレッシャーみたいなものも感じる。

『頑張る気持ちが有る限り、現役で居たい。まだ、役に立つなら何処でも行く。』
これは僕が敬愛する元サッカー日本代表の「KINGカズ」の言葉。
彼も経歴に泥を塗られたが、サッカーが好きで今でも現役にこだわっている。
そして、ほぼ実現しないであろう「W杯出場」のために、今も鍛え、頑張っている。

僕も全く同じ心境。新天地で頑張って、もう一度大きな仕事にチャレンジしたい。
引き抜きで入社して22年。高電圧回路技術に携わるようになって早くも21年。
誰もやらない新技術や、手をつけないでいた開発をいつもやってきた。
いわば、ゴミ処理。そんな辛い仕事も、長い時間をかけて何とか物にしてきた。
世界一の性能にチャレンジする、そのレベルに達した時の喜びを求め
時には失敗し、挫折感を味わいながら楽しみに変えて、経験を積んできた。
自分でも良くやってきたなぁと思う。
ただ、それでも何ら報われない今の部署に、いい加減愛想が尽きてしまった。

また、ゼロからやり直しです。半分楽しみ、半分不安・・・・・

サッカーで言えば、もう一度ゴールを決めたい。と云うところかな?
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「楽」

2008年09月01日 | Weblog
今週末の土曜日、久しぶりに劇団の集まりがある。
今度の集まりはいわゆる反省会。
その後は、ちょっとした食材を持ち寄り、会食を開く。

公演が終わって、早くも1ヶ月が過ぎてしまった。
去年は役作り以前に、芝居のテンポが作れず相手役にまで
テンポの悪さが影響しちゃって、本番まで稽古の数ヶ月間は
何処か楽しめなくて苦労した。
ただ、去年は相手役が凄く上手なアカリさんで、
僕は彼女に引っ張ってもらって、マンツーマンで練習して感じが掴めたので
本番の芝居は、本当に楽しみながら出来た気がする。

今年は去年以上に、台詞のテンポや活舌に気をつけて、
役作りを色々と考えたけど、自分が何度も台本を読み返しては
一生懸命考えたキャラも、演出家の考えているものと違いが有ったようで、がっくり。
相手役との相性も今ひとつ上手く行かず、何処か消化不良に終わっちゃった。

それに、稽古では芝居のテンポを上げろって、散々言われて
台詞がいくつもカットされたりすることが、数箇所あった。
その反面、僕が見ていて
「何でこんなシーンに時間をたっぷりかけるんだろう?」
なんて、思うシーンが何箇所か有ったりして、よく理解出来なかった。

理解出来た事と言えば、芝居と言うのは、
いかに演出家の気に入るような芝居をするか?と、言う事だろう。
それゆえに、演出家が個人的に好きな役者さんのシーンに
時間を割いたりすることに、いちいち文句を言ったりしてはいけない。
要は、芝居において「演出家は王様」なのであります。

それが判ると、何だか芝居そのものに創造的なものを感じなくなって、
「もう来年の芝居は止めとこうかな?」なんて気持ちになっちゃった。
そんな訳で、今回の公演後は去年のような脱力感を感じることも無く
次の公演に向けて、どんなことを練習しよう・・・・
なんて気持ちも去年とは違って、今は全く湧いて来ていない。

反面、音楽は逆に湧いてくるものが多くなった。
必死に曲を作ろうと思っていた時期は、全く出来なかったけれど
最近は、良し悪しは別にしてメロディーが沢山浮かんでくる。
相方とデュオでやるようになって、制約が少なくなったせいもあるのかな?
3人でやっていた頃に比べると、練習で合わせる相手は相方だけだから、お互い好き勝手にやって個性をぶつけることで曲の方向性が決まる。

たった、一人増えるだけなのに3人では唄い方やコーラスの感じが変わり
自分のイメージする曲作りにするには、時間を要することになる。
3人が駄目と言うんじゃなくて、3人は難しいと言う方が正しいかな?
苦労して妥協した曲作りをするよりも、自分と相方の感性をぶつけて
練習では、お互いの考えをはっきり言える事がいい。
(僕の我侭を通すことが殆どだけど・・・)
二人だから何か変更するのも、説明しないで済んじゃったり、
変遷しながら作って行く音楽の方が楽しくて、気分的にも「楽」。

芝居もこの「楽」な感覚で出来るようになるには、時間がいるのかな?
人数が多いのも一つの要因だとおもうけれど、相方とのデュオと
芝居との間で決定的に違うのは、お互いにある程度の練習してくること。

芝居ではそうじゃない人がいて、足を引っ張られることが凄く嫌だ。
練習をしてきて上手く行かないのならばお互い様で、納得行くのだけれど、
何も練習してこないで、稽古の場をそういう人の練習時間にされてしまう事が
ちょっと我慢できなくなることがよくある。

そういう人に限って言う言葉は一緒。
「まだ役作りに入っていない」
「本番までには、きっちり作り上げるから」なんて、言い訳する。
稽古の度に、その時点で役作りが出来ていなくちゃ駄目なんじゃないの?
これは去年、相手役に迷惑をかけた時に思ったこと。
僕は毎回練習して稽古に臨んでもそうだったし、
きちんと個人練習してくる人だって、沢山居るから余計そう思う。

それに練習してきても、稽古が仕事の帰りだったりして、
気持ちの切り替えが上手く出来ない時は誰でも有るし、
そんな時は稽古に入っても、何処か上手くゆかない。
そういう時は、「あれ、今日は何処かおかしいな?」って、
普段の稽古との違いに気が付くし、そういう人に対しては、
「何やってんだよぉ」なんて感情は湧きません。

やっぱり僕は、取り組む姿勢がストイック過ぎるのかな?
相方とのデュオや、サッカーチームでは、そんなこと無いんだけどなぁ・・・・
週末に皆に会って顔を見たら、また気持ちが「楽」に変わるんだろうな・・
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