『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

マザコンのどこが悪い?

2018年03月16日 | Weblog

サッカーチームで中心になっているメンバーの母上が亡くなった。

僕より15歳年下の男なのだけれど、チームでは一番、生意気な奴。
風貌は僕と同じ『チンピラ』。
その事を言うと『アンタには言われたくねぇよ』と反発する。
何処かで同じような血を感じる可愛い奴です。

それでも、僕はそのサッカーを見てテクニックは抜群だし、
パスやプレーぶりに仲間に対する愛情を感じていたので、
今のチームを作る時に、真っ先に声をかけた。

その男が、母親を亡くし落ち込んでいる。
『お袋って偉大ですよね。こう見えて、自他共に認めるマザコンなんで結構しんどいです。
呑んだくれて、誤魔化してます。親父が心配なので、ずっと実家泊まりです』
というメールが来たので
『マザコンじゃない男なんて、男じゃないんだよ。そう言う奴は、本当の優しさが無い。
 お前のサッカーを見ていれば、仲間への優しさが伝わってくる。
きっと両親に大事に育てられて、ヤンチャしてきたんだろうな。
 俺が自由奔放なのも、母親が居たからだよ。
 『世界で一番好き』なんて母親の事をブログに書いていたくらいだからね。
 凹むときは思い切り凹んで引きずらない事。これはサッカーや人生でも大事な事だよ。』
と返事を書いた。
するとまた返事
『ありがとうございます。やっぱりジジイ(僕の事)は偉大です。
 俺も、お袋が世界一好きでした(嫁には言えないけど)笑
最後、しっかり泣いて、笑って泣き笑いで送り出します。
本当に、温かいお言葉ありがとうございます。』

僕も7年前にお袋を亡くした。
世界で一番好きな女性は?って訊かれたら迷わず『お袋』と応えていた。
お袋が亡くなる直前に書いたブログ『ありがとう・・・・は、こっちの台詞だよ
には、いま読み返してもちょっと切なくなるほど、お袋への思いが込められている。

奴も多分、僕と同じように育ち、同じようにお袋さんを大事にして来たんだと思う。
男が周りを気にしないで泣けるのは、親が死んだ時と自分の家族を失った時。
僕はそう思っていた。
特に男にとって、母親は特別な存在なのです。
親の義務は子供を思い切り愛してやること。
お金がなくても、愛情があれば人間として間違った方向へは進まない。
そう云う意味で母親の愛情は、男の人生の『舵の切り方』を教えるものだと思っている。

世の女性は『マザコン』と言うと馬鹿にするけれど、
口には出せないけれど母親の事を『世界で一番好き』って思っていて、
外では威張って親分みたいなところがある僕や奴のような男も居る。

友人の女性から言われた事があります。
『お母さん大好きって言われた時ほど嬉しい事は無い』と・・・・
幾つになっても男は『マザコン』なのかも知れません。
『マザコン』の何処が悪い!

早く立ち直って、またサッカーを一緒にやれる日を楽しみにしています。

 

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いよいよ花粉症???

2018年03月15日 | Weblog

目がかゆい、やたらとくしゃみが出る。
これって、いわゆる『花粉症』の症状ですよね?

この二日間、とにかく目が痒い。
特に目の縁が、痒くて仕方がないのです。
ついに現代人の仲間入りか?

昼のサッカーに、昨日から参加して居るのだけれど、
サッカーをやっているときは気にならないし、
特に鼻水が出たりするわけでもない。
気にするから痒くなるのかも知れませんね。

因みに僕はアレルギー体質では無いので、
今は花粉の飛散量が尋常じやないからかも?

しかし、『花粉症』に悩む人の辛さが判る気がします。
痛みならば鎮痛剤とか、薬があるんだろうけれど、
目が痒いっていうのは、こらえるのが難しい。
目薬も頻繁に使う事になるんだろうし・・・・

それとくしゃみも、なかなか堪えられませんね。
鼻水がでて、なんども鼻をかんでいるとヒリヒリするし。

とにかく、ここ二日間はくしゃみと目の痒みに参ってます。
雨でも降ってくれないかと天気予報を見ると
明日の午後あたりからまとまった雨が降りそう。

日曜日は練習試合があるので、今週は火曜日から
昼のサッカーをやりに行ってるんだけれど、
明日の午後からなら良いなぁ・・・・

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今年は関門

2018年03月14日 | Weblog


今年の壮年大会(40歳以上)の組み合わせが決まった。
僕らが活動している昭島市は、壮年のチームは有るのだけれど
子供のグラウンドを使った8人制の市民大会に出てくるくらいで、
11人制のフルコートでやる壮年大会には7チームしか出てこない。

それで変則的な大会で3チームがリーグ戦、4チームがトーナメントで
出場チームの試合数を、各チーム2試合に合わせる小細工をしている。
同じ2試合でもトーナメントのチームは最初の試合で負けると
負けチーム同士でフレンドリーマッチをやる事になるので、
翌週になって、人数が揃わず棄権…なんて事が多々ある。

僕だったら前年優勝チームをシードにして、全チームがトーナメントで
優勝を争う形にするけどなぁ・・・・

僕らはリーグ戦のブロックに入ったけれど、試合は2試合連続。
明らかに体力的なハンデを背負わされることになった。

と言っても、我々は普段から若い連中相手にリーグ戦を戦っているし
普通にやれば、負けることは無いくらい毎日ミニゲームもしている。

でも去年からちょっと心配な事もある。
まずはメンバーの集まりが悪くなった事。
みんな子供が大きくなって、子供の付き合いで時間を取られたり
マラソンを始めて、そっちの日程が優先になったり。

それはチームを作る時に『家庭優先』という方針を出したから
文句を言う気はない。
僕もそういう時期があったし、それに加えてお袋や祖母の介護も
背負いながらサッカーだけはやって来たからね。
だから、単純に『俺ほど好きじゃないんだ』って思うくらい。
来ない人に頭を下げたり、頼んでまで一緒にやろうとは思わない。

『この指とまれ!』で11人集まらなくなったら解散・・・・
最初からそう決めていたからね。
でも、そう言うほど深刻じゃない、人数は必ず揃うから。

今は8年経って皆、8歳年齢が増えて前ほど動けなくなってきた事。
何だか去年からそう言う感じで、チームの勢いが衰えた気がする。
今年は楽に勝てないかな?
でも、楽に勝てる試合なんて実は面白くない。
薄氷を踏むような勝利って言う方が、やっていて面白い。

何としても5連覇をしなくては!

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『ミートテック』を何とかしないと・・・・

2018年03月13日 | Weblog

今日は本当に暖かい小春日和。
寒いのが大嫌いな僕にとって、こういう日が来るのを心待ちにしていた。
久しぶりにシャツを着て、上着も薄手の物にしたから体も軽い。

ただ、気になるのはこの冬の間に着込んでしまった『ミートテック』。
お腹の周りが、相撲取りのシルエットみたいになってしまい、
トイレに行って、自分の分身が見えなくなりそうです。

去年から夜中に次女のお迎えがあって、朝もなかなか起きられない。
一応、目覚まし時計は7時半にかけて、目は覚めるのだけれど
その後に、布団の上でウダウダしていると、また寝てしまう。
今朝は、昼のサッカーに参加しようと準備していたのだけれど、
気が付いたら11時になっていて、とてもじゃないが間に合わない。
結局、今日はサッカーに行く事が出来なかった。

こんな生活をしているから『ミートテック』は一向に脱げないのです。
でも、サッカーをやると運動して良いように思うけれど、
サッカーのために自家用車で出かけるから、サッカー以外では
体を動かす時間が殆どなくなるのが事実。
電車で仕事に行く場合、自宅から最寄駅までの往復で30分は歩く、
事務所の往復も20分強だから、一日1時間は歩いている事になる。
そのうえ、外食の場合は食後の運動にもなっているのです。

1時間の有酸素運動と、25分間のサッカーはどっちが良いのか?
そのあたりが判断の境目になるんだけれど、サッカーをやると
ストレスが解消されるうえに、ボールを蹴るという時間が出来て
肝心の試合の時には大きく差が出る。
毎日、短い時間でも走りながらボールを扱う時間は大切です。

スポーツジムやスイミングクラブで黙々と汗を流せば、
確かに体は締まるかも知れないけれど、僕はそう言うのが好きじゃない。
若い頃に、筋肉が付きすぎて体重が重くなってしまい、
それからずっと体重が減らなくなっちゃったという経験もある。

何よりも仲間とパスをしながら、ボールを追いかける楽しさは
精神的にも凄くリフレッシュされるし、他人に合わせると言う
技術的な面は、他の方法では練習できないし…
運動量だけでは比較にならないものがありますね。

着るものが薄着になって行く前に『ミートテック』を何とかしないと・・・・

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3.11

2018年03月12日 | Weblog

昨日は3.11、東日本大震災から7年目の日でした。
こういう日は記念日といった言い方が正しいのか?
良く判らないけれど、少なくとも『結婚記念日』などのめでたい日とは違うでしょう。

8月15日の『終戦記念日』も、最近では『終戦の日』と言うようになりましたからね。
僕の中ではこの日は『東日本大震災の日』で、忘れられない日でもある。
【津波動画】東日本大震災 大船渡市の津波Part.1/3 JAPAN TSUNAMI 2011.3.11
7年前のこの日、午後3時直前に突然の揺れに襲われ、僕は自部署フロアに居た。
立っているのも大変な中、卓上の電話機の受話器が落ちたり、
パソコンが落ちそうになって机にしがみつきながら押さえた。
そして呆然としている部下に向かって、机の下に潜るよう怒鳴った。

揺れが治まって、インターネットで情報を見て、電車が止まって帰れない人や
自宅に子供が居て心配な人は、僕の判断で帰宅させた。
幸いなことに僕の部下の殆どが自転車通勤で、帰りの足は心配無かった。

その日は、会社を辞めようと思っていた僕を、本社から、子会社に引き寄せてくれ、
本社に居た頃から思うように仕事をさせてくれた大恩人の社長(当時)の
退任祝い(送別会)が予定されていて、料亭が予約されていた。

出発前に集会所のテレビには、大津波に飲まれる民家や農地の映像。
それに都心でも火災が起きて、大混乱だった。

帰宅難民が出そうな状況だというのに、宴会を仕切る総務部は
社員の帰宅の足を確保したり、帰宅できない社員の対応が最優先のはずなのに
宴会に幹部全員が出席して、社員の事などほったらかし。
宴会会場に着いたら、今度は阿呆の副社長(当時)が
出席者全員分の帰宅の足を確保すると言う名目でタクシーを呼んで、
宴会が終わるまで料亭の前で待たせた。
元副社長は機転を利かせたつもりで、鼻高々だったけれど僕は
会社の金で、自分の懐が痛まないから出来る事、結局は自分が帰るため…
と、僕は白けた目で、むしろ軽蔑した目で見ていた。
会社に居る社員の事など全く頭になかったのです。

その日は長女が卒業式で、電車が止まって嫁さんと何とかタクシーで帰宅したのだが、
携帯電話もメールも繋がらず、僕が帰宅したのは夜中だった。

僕はあの日宴会に行き、その一方では大勢の人が被災して命を失った。
そんな後ろめたさがあったから、翌年から東北復興プロジェクトに参加した。
それでも、ただ参加していただけ。
何か違うと疑問を抱きながらも、『行かないよりはマシ』と言った感じで数年が経った。

僕は被災地の人、特にお年寄りや子供に笑顔になって貰いたくて
どうしたら、力になれるのかな?って、ずっと考えていた。
そんな疑問に答えを出してくれたのが、劇団の音楽担当の大塚先生。
大塚先生の楽曲を使って、お年寄りに笑って貰おうって決めた。

思い立ったら、すぐに動きたくなる。
それで去年は7月から1か月に1回程度の間隔で、大船渡へ出向いた。
今年も2月の23日から1泊で出かけて来た。
大船渡の皆さんが、僕を笑顔で出迎えてくれて嬉しかったですね。

でも被災者の本当の所は、報道されていない。
僕がここに書くのも、躊躇うくらい深刻な事が沢山ある。
それでも、被災地へは行こうと思う。
大船渡の次は、何所へ行こうか?
陸前高田、石巻、気仙沼、南三陸など復興のスピードが遅いところへ
出向いてみたいなって、考えているところです。

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楽しむために、一生懸命

2018年03月11日 | Weblog

昨日か立ち稽古になった。
楽曲も最初の唄が出来上がってきた。
稽古の前に唄の練習をしたのだけれど、あれっ?と思う部分が有って
違わない?って訊いたら、
『おかしい部分を具体的に言ってください』というので、
自分でもよく判らないから、違いませんか?って訊いたのに・・・・
言ってることがよく判らないと言われて、なんだか馬鹿にしたような態度。
解らないことや、疑問に思う事をその場で解決しようとしているのに
若い人からそう言う対応されると、ちょっとねぇ…

結果的には僕の勘違いだったんだけど。
それにしても聞いた僕の、立場が無くなるような雰囲気。
それじゃ誰も訊かないし、解ってないのに解ったふりをするようになる。

正直言ってそういう対応を目の当たりにして
『社会人として、社会で訓練されていないな』
って感じましたね。
これはずっと以前から感じていた事なんだけれど、
暫くそう言った事が見えなかったから、大人になったんだと思っていたのだけれど。

まぁ、いいや…
譜面をもっと良く見て、理解していない自分が悪いんだと思えば良いでしょう。
ちょっと残念な時間でした。

僕は仕事でもなんでも、自分が人に伝えたり教える立場の時には、
気を遣っているつもりなんだけれど…
それと、判っている人が解らない人を馬鹿にした時点で
威厳やリスペクトなんてものが失われるって思っている。

まぁ、主婦やバイトで、社会で揉まれていない人が多い劇団で、
色々と考え方や、物の捉え方が違う人が居ますからね。

劇団も長老が多くなって、あと数年したらどうなる事やら。
今日は一つ違いのM谷さんと夕飯を食べながら
『俺たちがやれる事をどんどんやらないとね…』
って話をしたんだけれど。

大人がやる遊びだから、時間も金もかかる。
舞台に立つという目標が有って、それを楽しみながらやる遊び。
つまらない事で、楽しくなくなってしまうとしたら、
それはお互いの心遣いが足りなくなった時なんじゃないだろうか?

僕は楽しむために、一生懸命やっている。
楽しめなくなったら、躊躇なく辞めるつもりだからいつも真剣です。

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また、ダイエットするかなぁ・・・・

2018年03月10日 | Weblog

今日は1時から夕方5時まで劇団の稽古。
いよいよ、立ち稽古に入ったのだけれど、台本を覚えたつもりでも
いざやってみると、すぐに台詞が飛んでしまう。
それでも、出来るだけ台本を持たずにやってみました。

楽曲も最初に唄うM1が出来上がってきました。
メロディーはシンプルなのだけれど、大塚先生らしいメロディー。
休符、前の小節から食って入る、同じようなメロディーでも微妙に違うなど、
簡単そうで凄く難しいのです。
リズムに乗って唄うと言うより、リズムに自分を合せて、
並行して唄わないと、『北酒場』みたいになっちゃいそうです。

今日は夜7時半から久しぶりのサッカーの試合があったので、
5時に急いで帰宅して、久しぶりに練習試合をやってきました。
今日は両チームともにメンバーの集まりが悪く、最初は9対9。
久しぶりのサッカー、久しぶりのゲームだったうえにフルコートでやったので、
走る距離が多くなってしんどかった。

それでも、前半のうちに僕が2点目を入れて前半は3-0で折り返し。
後半にメンバーがやってきて双方が10人になって、
僕がGKをやることになって様子が変わった。

まずはナイターなので、ボールが良く見えない。
GKをやっていて、相手のシュートが一瞬見えなくなるのですよ。
それで3点を奪われちゃった。
でも、我々も2点を追加して最終的には5-3で試合終了。
練習試合、しかも普段は助っ人として混じっているチーム。
試合と言うより、みんなでボールを蹴ると言う感じで楽しかった。

1月から体重こそ大きく変わりはないのだけれど、大きく出た腹。
それを見た若い奴が
『やなさん、出入りが激しいですねぇ・・・・』
確かに、僕の体系は1か月で極端に変わる。
特に増える方ですがね・・・・

また、ダイエットするかなぁ・・・・

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人生なんて出会った人次第(その3)

2018年03月09日 | Weblog

音楽に関わる話をしましたが、もうひとつ人との出会いで変わったのが仕事。
舞台関係の仕事から足を洗った後は、32歳で定年退職した会社に就職した。
20代の人生は自由気ままにやっていた気がします。

僕は10代から色々なアルバイトをやってきました。
最初にやったのが、かの有名ゴルフコース『小金井カントリークラブ』のキャディー。
今では考えられないけれど、高校の同級生でサッカー部の同僚の母親が
『小金井カントリークラブ』のキャディーマスター(責任者)をやっていた関係で、
3日間の講習を受けて、キャディー登録して始めたアルバイトだった。
なんせ、政治家や芸能人、プロ野球選手が多く利用するコースなので
親も認めてくれたというわけ。
高校1年生の夏休みから、土日、休日のアルバイトとして4年間やって居た。
これも人の繋がりで始まったアルバイト。

それと並行して(株)シミズスポーツ装飾センターという会社(現シミズオクト)で
夜は後楽園球場で切符切りや場内整理もやって居た。
野球の試合が無い時はプロレスのリング作りをやったりもした。
その会社が、シミズ舞台工芸(株)と言う会社を設立して、そっちの手伝いで
歌謡ショーの仕事もあったかな?
アグネスチャンショーで楽屋で本人に会った時は感動しましたね。

その他はライフガードかな?これも姉貴の関係で紹介された。
19歳にはライブハウスなどに関わって居たから、これも夏だけ。
とにかく金が無かったから、ライブの仕事が無い時はアルバイトしてた。
メンズショップで洋服を売りながら、ネクタイの締め方を勉強させて貰ったり
喫茶店で店を任されたり、キャバレーに酒を運ぶ運送屋だったり、
その他、新幹線の清掃、大工の下働き、道路のライン引き・・・・全部思い出せない。

ビル掃除は高校2年から3年間、キャディーと野球場のバイトと一緒にやって居ました。
高専を卒業する時に就職しなかったから、その会社から係長待遇でスカウトされたほど。
色々なバイトを本気でやって来たから、色んな事が身に付いていました。

舞台の仕事を辞め、珈琲問屋も飛び出し、その後は自動車整備士になったけど
結局半年もしないでトヨタ系のディーラーを退社しちゃった。
それで、自動車の解体屋をやって居たのだけれど、親父が癌で倒れて、
こんなフラフラした人生を送って、心配ばかりかけたまま死なせたくないな…
そんな事を思って、悩んでいた時に4年上の高専の先輩と、偶然顔を合わせ、
意気投合して、先輩から『NECの下請けで設計業務をやらないか?』と誘われた。

それで暫く返事を待ってもらい、その晩から古い電気工学の本を引っ張り出して
毎日3時間くらい夜中まで勉強したかな?
何となく感覚がよみがえって来たので、先輩の誘いに乗る事にした。
それでも、通勤に片道2時間はしんどくて、そのうえ下請けの人間には
差別的な扱いをする人が居たりして、あまり居心地の良い場所じゃ無かった。
それで、親父が他界した途端に引き上げて来た。

先輩は何も言わず、黙って僕を放置して居ましたが、
『おい、お前どうする?好きにして構わないが、自分の喰い扶ちは、自分で稼げよ』
と言われて、同じ高専の先輩を訪ねて行ったのが定年まで世話になった会社。
最初は、今でいう派遣社員でやって居たのだけれど、その時の部署の課長に
『仕事をする時に、きちんとメモを取って居るのが気に入った』と言われて
社員にならないかと誘われたのだけれど、断り続けて3年が経過した。
その翌年にブラックマンデーで、パート社員や業者を切る話になって、
会社は相当嫌がったようでしたが、取締役の推薦で正社員として雇うと言う条件で、
引き抜きに応じることにした。

この時も先輩に会っていなければ、その後の人生はどうなって居た事やら・・・・
人によって導かれる事って、僕の人生では多かった気がします。

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人生なんて出会った人次第(その2)

2018年03月08日 | Weblog

昨日の続き

昨日は音楽の人間関係を書いたけれど、僕の人生の半分は
この人間関係で、その後の人生の方向を左右したと言っても過言じゃない。

あの関東甲信越大会でそつなくこなせば、全国大会への道は用意されていた。
もしかして、音楽を生業にする人生を送って居たかも知れません。
まぁ、そんな実力は持ち合わせていなかったから、今考えたら正解だった。

コンテストに出るようになる前に、僕は音楽関係の仕事をしていましたからね。
そのきっかけも、結局は音楽で知り合った人間伝いで広がって行った。
音楽事務所を開き、レコードデビューさせるバンドを売り込みに行ったり、
その事務所でライブハウスを開き、その当時は出演者も売れっ子が多く、
東京で3本の指に入るような、有名なライブハウスになった。

それでも、なかなか食べて行けず3年目に独立して舞台照明の仕事に就いた。
この時に、偶然出会ったのが安田さんと言う照明家。
この人に付いて、青江美奈のショウを手伝ったら、次に小林明のショウに誘われた。
その時の仕事ぶりが評価されて、美空ひばりの舞台スタッフ『Kステージ』から
仕事が舞い込んできて、それからは海外のジュリーアンドリュースの日本公演に帯同し、
音楽関係では矢沢栄吉、さだまさし、ゴダイゴ、チューリップなどの
名だたるミュージシャンや歌手のステージで仕事をして、何とか食べて行ける状態になった。

この時も『人の繋がり』の大事さを感じましたね。
人を裏切らないように頑張れば、必ず見ている人が居ると感じました。
僕は一切手を抜いたりして来なかった。
これだけは自信持って言えます。
だからこそ、いろんな人から声がかかったのだと思う。
それも、どんどんレベルの高い仕事が舞い込んでくる。
声が掛かったら、その人に恥をかかせたくない・・・・
それが結構、プレッシャーになっていたのも事実です。

それでも、僕には根性が無かったですね。
楽しい事ばかりじゃなかった、今思えば辛い時の方が多かったかも?
将来、自分がその道で生きて行く自信が最後まで持てなかった。

それに、やっぱり自分が音楽をやりたかった。
生業ではなく、趣味として楽しみながらやる音楽をね・・・・。
結局、叔父の経営する珈琲問屋の手伝いをしながら、
趣味としてバンド活動を再開するすることにして、
請け負っていた舞台照明の仕事を少しずつ辞めながら、
最終的に舞台の世界から離れて、完全に足を洗った。
と言うより、逃げて来たと言った方が正しいでしょう。

続く

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人生なんて出会った人次第(その1)

2018年03月07日 | Weblog

一部上場の企業に運よく就職して、定年退職してもう2年が経った。
定年まで28年間務めた会社に入る前は、僕はちょっと変わった経歴を持っている。

最近、歳を取ったせいか?
そんな人生を送ってきた最初のきっかけは何だったか?
自分の人生の分岐点や、その要因を良く考えるようになった。
僕にとって音楽とサッカー、芝居の3つは切っても切れないものだけれど、
その中で人生の分岐点になったと言えるのは、多分音楽から始まる人の繋がりですね。

最初のきっかけは、中学校まで遡る。
僕は中学1年の7月に、親の転勤で東京へ戻ってきた。
埼玉の熊谷市の中学校へは、3か月しか通っていなかった。
その時に同級生だった女の子が、転校した後に手紙をくれて
それから高校に入るまで、手紙のやり取りをしていた。

高校に入ってからバンドを始めた事、そして色々なコンサートに出て、
高校生の分際で、大学祭に出演してギャラまで貰っていた。
そんな事を、手紙に書いたらその子から
『私の友達にコンサートを開くサークルが有るから紹介する』と言われ
数年ぶりに彼女と再会して、ある人を紹介された。

それがのちに一緒にバンドをやる事になったDera氏。
僕がまだ17歳、Dera氏は当時20歳で、日比谷高校から農大に進学していた。
その当時は、アマチュアコンサートのアドバイザー兼プロデューサー。
と言っても、あくまでアマチュアの主宰する、アマチュア相手の事務所だった。
あの時代は、そう言った組織や団体が多かったですね。

そんな関係で、コンサートで知り合ったのが今の相方Charlie。
彼の唄は、僕にとって凄く印象的でした。
そして、コンサート会場で良く見かけたのが『ノースジャーニー』の親分、鈴木氏。

その後、Dera氏、Charlieと3人でバンドを始めて、ラジオのコンテスト番組の
『サウンドウィズコーク』に出場。

これは番組プロデューサーが我々の事を気に入って居たので、予選免除、
全国大会まで出場する既定路線があったのですけれどね・・・・
その決勝前の関東甲信越大会で、プロデューサーの期待を裏切って
全国大会へは駒を進めることが出来なかった。
でも、僕らの曲は当時のテレビ番組の主題歌として候補に挙がったけど、
結局それも断っちゃった。
それについての裏話は、色々と有るのですけれどね・・・・・

その後、ドラムとベースを加えた5人編成のロックバンドを、結成したが
その二人が海外赴任になって、再び3人のバンドを再結成したり…

この時は、前出の鈴木氏が営む千葉県市川市にある『アルマナックハウス』を
主な活動拠点としていたかな?
それでも、今度は家庭の事情でDera氏が離脱。
色々と変遷を重ねながら、最後は相方と二人だけでやる事になった。

それも今は、ほぼ休止状態。

東日本大震災後に、鈴木氏が営む千葉県市川市にある『アルマナックハウス』の
出演者仲間と一緒に、復興支援プロジェクトとして『ノースジャーニー』を始め
今年でそれも7年目になる。

それで大船渡の人たちと出会い、

今では大船渡が自分の故郷みたいになってきた。
音楽をやって居なかったら、東日本大震災は単なる災害だったでしょう。
多分、大船渡に至るまでの人の繋がりは出来なかったでしょう。

続きはまた明日

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健康診断は大嫌い

2018年03月06日 | Weblog

僕は今の仕事で健康保険に加入させて貰っている。
今日はその健康保険組合の定期健康診断がありました。

平成28年10月から、週30時間以上働く人に加え、従業員501人以上の会社で
週20時間以上働く場合などにも厚生年金保険・健康保険(社会保険)の加入対象が広がった。
さらに、平成29年4月からは、従業員500人以下の会社で働く人も、
労使で合意すれば社会保険に加入できるようになり、より厚い保障を受けられるようになった。

僕は基本的に週30時間働くつもりで居たのだけれど、会社が暇なのと
朝早く行くのが嫌なので、今は週20~30時間の間くらいの就業時間。
それでも有難いことに、今の雇い主は僕に健康保険等の加入を認めてくれている。

その上、今の雇い主はいわゆる生活習慣病予防検診に加えて、
PSA検査、CEA検査、上腹部超音波検査といったオプション部分の検査もやってくれる。

PSA検査は、スクリーニング検査のひとつで、前立腺がんの可能性がある人を見つける検査。
この検査は自費で受けようと思って申し出たら、すでに予約されていると言われた。

CEA検査は腫瘍マーカーで、基準値の2倍や3倍のCEAが検出された場合は、
消化器がんの可能性が高いが、基準値をわずかに超えている場合は、
胃腸だけでなく、肺、腎臓、甲状腺といった臓器の炎症を発見する検査。
これも予約されていた。

上腹部超音波(腹部エコー)は、前の会社ではオプションで自費負担だったかな?
そう言う意味で、今の雇い主は我々のような定年後の従業員の事を良く考えてくれている。

検査は最初に採血して、視力、聴力、身体測定、心電図、
胸部X線、腹部エコーと進み、最後に恐怖の『バリウム』を飲む、胃の検査。
去年は胃カメラだったのだけれど、今年は予約が取れなかったらしい。

バリウムは空腹で発泡剤を飲む上に、体をぐるぐる回されるので苦しいし、
何よりも嫌なのは、それを体外に出すために飲む下剤を飲むこと。

僕は元々、下剤なしでも出やすい体質なんだけれど、うっかりすると出なくなる。
その上、脱水症になり易くて、下剤で体調がガタガタになった経験もある。
それで一回2錠の下剤を1錠にしたのだけれど、自宅に帰ってからお腹が痛くて大変。

それに、僕は見ての通り気が弱い男だから、採血の時に血を見るのが嫌。
そんな訳で、健康診断は一年で一番憂鬱な日なのです。

それでも、オプション部分まで会社もちの検査。
文句を言っては罰が当たりますね。

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音楽やりたい

2018年03月05日 | Weblog

最近、ちょっと気になっている女性シンガー。
元『赤い鳥』のボーカル、山本(旧姓新居)潤子さんにハマっている。
『赤い鳥』のメンバーは、後藤悦治郎(ギター)、平山泰代(ピアノ)、山本俊彦(ギター)、
新居潤子、(ボーカル)、大川茂(ベース)の5名。

彼らは1969年「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に関西・四国地区代表として出場。
「竹田の子守唄」、「COME AND GO WITH ME」を歌い、フォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、
他部門の優勝グループを抑え、グランプリを獲得した。
このコンテストには、オフコース、チューリップも出場していた。

のちに後藤と平山が結婚、新居は山本と結婚して、音楽の指向の違いで解散。
後藤・平山は『紙風船』、新居・山本・大川の3人は『ハイファイセット』を結成。
『紙風船』はフォークのあり方を追求し、現在も変わることなく活動中。
一方の『ハイファイセット』は荒井由実やジャズを取り上げるなど、ポップな演奏を繰り拡げた。

このグループが唄った『翼をください』と言う曲は、今や合唱曲として教科書にも載るほど。
彼らのオリジナル曲かと思う人が多いとは思うけれど、実はそうじゃない。
作詞・山上路夫、作曲・村井邦彦のコンビが作ったヒット曲。
僕ら70年代にフォークソングをやっていた人間にはお馴染みの唄です。

ひょんな事から昔のフォークソングを聴いているうちに、2014年以来無期限休養している
山本潤子が唄う『翼をください』をYoutubeで見つけて聞いたのが、ハマるきっかけ。
でも教科書に採用された時の『翼をください』とは、ちょっと違う。

それは、オリジナル曲にある2番の歌詞の冒頭にあった
『今、富とか、名誉ならば要らないけど・・・・』と言う歌詞が唄われている事。
この部分は、今の若い子は知らないかもしれません。

『赤い鳥』は山本ばかりがボーカルとしてフューチャーされるが、
僕的には山本の澄んで通る声に、張りのある平山のボーカルが絡んで
『赤い鳥』の唄があったように思う。
同じ曲を唄う山本潤子と『紙風船』の唄を聴き比べてみると、どちらも良い。
この二人、もう一度一緒にやらないかなって思うほど、二人とも良いです。

聴き比べてみてください。
翼をください/山本潤子 (オリジナル歌詞)

翼をください『紙風船』
 

このビデオを見ていて、きちんとハモったコーラスをするバンドを、何だかまたやりたくなった。
ギター等の楽器の演奏は、上手い誰かにやらせれば良いから、どうでも良いんだよね。
ただ、唄だけは世界に一つしかない、自分だけの楽器。
ハーモニーがきちっと合った時に、自分の声が判らなくなる一体感…
あの感覚をもう一度味わえる音楽がやりたいですねぇ。

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捉え方の違い

2018年03月04日 | Weblog

今日は最後の台本読み。
初めに今回の舞台装置のデザインがほぼ決まり、その模型が出来上がって来た。
舞台のイメージを掴んでもらおうと、座長が皆に説明しながらのお披露目。
今度の芝居は3つの場面があるので、転換作業も大変そうです。

そんな事があって、今日の台本読みはいつもとちょっと雰囲気も違い、
立ちあがってセリフを言う人が居たり、身振り手振りを付けたり…
いよいよ来週あたりから立ち稽古になる雰囲気になってきました。

僕は立ち稽古までに、基本的なセリフは全部覚えて、自分の出番の前に、
台本を見てセリフを確認するようにして、とにかく台本を手放すつもり。
そう云う目標を持たないと、何時まで経っても覚えませんからね。
何時までも台本を手放せない人は、覚えようと言う気持ちが足らないのですよ。

それは音楽でも一緒。
ジャズやクラシックのように、1曲あたりの長さがある曲を演奏する場合や、
毎日同じメンバーで演奏するんじゃない場合は、譜面が必要だと思うのだけれど、
それでも音符を一つ一つ見て演奏している訳じゃない。
吹奏楽をやってる娘に訊いたら、譜面は使うけれど基本は暗譜で演奏する時の確認用だと思う。

逆にロックバンドで譜面台見ながら演奏してるのって見た事が無い。
そんなの格好悪いし、ダイナミックに動きまわって演奏する事も出来ないですからね。

そう言えば、赤坂のオヤジの店に出演していたミュージシャンに
『スティービーワンダーなら何でも唄える』と言って、リクエストを募ったので
僕が『Boogie On A Reggae Woman 』という曲をリクエストしたら、
なんと・・・・知らないと言う。
ネットで歌詞を探して見つけたけど、やっぱり唄えないって…
これには笑いましたね。それで良く、何でも大丈夫って言えるなって・・・・
その上、その他の曲もIPadで歌詞を引っ張り出して、それを見ながら唄ってる。
唄や演奏は確かに上手いのですけれど、僕にはとても『プロフェッショナル』だとは思えません。

僕は昔から、音楽で基本的に譜面と言うものを殆ど見ずにやります。
というより、40代から老眼になって、メガネをかけても、離れたところが見えないのですよ。
だから、逆に譜面台なんか無くても、唄ったり演奏したりは出来ます。

クラシックの交響曲じゃないんだから、唄の歌詞やメロディーなんかは1日あれば覚えられる。
英語の歌詞の場合は、歌詞を自分の手で書き写してみる。
学生時代に教科書や仲間のノートを書き写すと、覚えちゃうのと同じです。
これで殆ど覚えられますね。
但し、僕はあまり英語の歌は好きじゃありません。

ところが僕の相方は必ず譜面台の上に、歌詞カードを置く。
相方曰く『ビートルズの曲はほぼ唄える』と言うのだけれどね。
でも、歌詞カードがあって唄えるのであって、歌詞を完全に覚えている訳じゃない。
だから得意なはずのビートルズナンバーが、歌詞カードが無いと唄えなかったりする。

歌詞カードが無いと唄えない人は、台本を持って芝居しているのと同じ…
そんな風に思っている僕には、昔から何となく違和感があったのです。
その違和感が何なのか?具体的に判らないから、何も言わずに来ました。

13年前に突然、芝居をやるようになって、そのあたりの感覚が変わりましたね。
芝居は台本を持ってやる訳には行かない。
しかも台本通りにセリフを言うだけでも、芝居は成り立たない。

歌詞カードが無いと唄えない人は、台本を持って芝居しているのと同じ。
僕が相方に対して感じていた違和感も、ハッキリとした。
まぁ、ラジオドラマっていうのがあるから、何とも言えませんがね…

そんな訳で、僕は芝居を始めてから音楽や、唄う事の捉え方が変わってしまった。
相方と音楽をやる機会が減ったのも、そのあたりが原因かもしれませんね。

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眠いのは男の更年期?

2018年03月03日 | Weblog

昨夜は夜中の1時に次女を迎えに行って、三鷹の自宅まで送って帰ってきた。
相変わらずの『親ばか』ですが、僕はちっとも苦にならない。
むしろ次女を送る15分ほどの時間を楽しみにしているくらい。

ところが翌日は昼近くまで寝る癖がついてしまい、仕事も昼から出かける。
今日は休みなので、そんなことを気にしないで居られたのだけれど、
とにかく暇さえあれば居眠りしてた。

起きて着替えて朝御飯を食べた後に、ごろ寝しながらテレビを点けて
観ているのだけれど、気が付くと居眠りしている。
自分のイビキで目が覚めて、またウトウト・・・・

そんな自分の姿に似たような光景を何処かで見た記憶がある。
そう、祖父や祖母、晩年のお袋がそうだった。
という事は、僕の生活はやっぱり『お爺ちゃんの生活』なんだろうな(笑)

サッカーの試合や、芝居の稽古が予定に入っていたりすると眠くならないんだけど、
僕の場合、予定が無いと一切外へ出ないうえに、ゴロゴロしている事が殆ど。
聞くところによると、歳を取って男性ホルモンの分泌が低下すると、
いわゆる『男の更年期』になるそうで、眠気や体のだるさはそのせいらしい。
その上、男の機能も低下して、朝も元気がなくなるそうだ(笑)

男性に限らず、女性の更年期も運動機能と同じようなもので、
機能を使い続ければ、機能低下のスピードが遅くなって機能が維持され、
そういった症状も出難くなるとか・・・・

たしかに運動も続けていれば、能力が一気に落ちることは無い。
それはサッカーをやっていて実感するから、嘘じゃないだろうなぁ・・・

しかし、そうは言ってももう62歳。
年金受給資格もある、お爺ちゃんであることに間違いない。
一日中、居眠りしていて思うのは、
『貴重な残りの人生の時間を無駄に使っちゃった』
という事だろうか?

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春一番

2018年03月02日 | Weblog

北海道は真冬の台風と言う感じで大変なことになっていますね。
東京には今年最初の南風、『春一番』が吹いた。
去年は2月17日、一昨年は2月14日、その前は吹かなかったと言う記録。
今年は半月遅いことになるらしいです。
実際に吹いたのは都心で15.7m、僕にとっては『春一番』と言うイメージでは無かったですね。

朝起きて、窓を開けた時に殆ど無風の状態。
昼近くまで家に居て、出かける時には少し風を感じた程度。
職場のある八王子の京王堀之内に着いた時に少し風が強かった程度だった。
なので『春一番』が吹いたなんて、全く思っていなかった。
と言うのも、僕は強風だったら仕事へ行かないつもりだったから・・・。

以前にも書いたけれど、ぼくの『春一番』は真っ直ぐ歩けないほどの風。
風速で言ったら20mを超えるような風ですね。
実際、若い頃にウィンドサーフィンの仲間と出かけた『春一番』の海は
白波が立って、海岸に立っているのもしんどいような風。

しかし、この年になって考えてみれば、そんな強風の中を怪我覚悟で
海の中に入って行った20代って言うのは、自分で考えても凄いなって思う。
真面目な話、そう言う時は『これで帰って来れないかも知れない』
なんて事を考えて、覚悟して海の中に入って行ったものです。

実際にそんな『春一番』でまともにサーフィンが出来たのは皆無に近い。
沖に出て、岸に向かって乗った途端にコントロールできなくなって、
浅瀬に突っ込んで、フィンをクラッシュしたりと散々な目に遭った。
それでも『春一番』の海に行く。
若い頃は、そんな無茶を『美徳』のように感じていたのかも知れませんね。

今回の『春一番』は北海道上空で急激に発達した低気圧に向かって
南風が吹き込むことによって起きた、関東では南西の風。
僕が若い頃は、日本海側の低気圧に向かって吹き込む南風とは
ちょっと違うために、東京ではそんなに強風を感じなかったのかな?

いずれにせよ『春一番』が吹くと、季節は一気に春へ向かう。
寒いのが大嫌いな僕には有難い事なのだけれど花粉症に悩む人には
これからの季節は辛いものになるのかも知れないですね。

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