映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

「K」 三木卓

2012-11-04 20:16:13 | 
通勤は二日酔いの日は別として、仕事の準備をするか、読書する。帰りも同様だ。
であるからかなり本を読んでいるんだけど、小説を読むのは減ってきた。あるきっかけでこれを読んだ。
久々に書評を書く気になった。

「K」三木卓氏の本である。
Kとは詩人でもあった妻のニックネームである。自伝的作品で妻の話をしてくれる。彼女は夫より先にあの世に行ってしまった。

三木卓氏は中国からの引き揚げ者だ。自分の故郷を失い喪失感を持って戦後を迎えた。そして早大に進み就職しようとするが、うまくいかずやむなく書評新聞の記者となる。そのあとに出会ったのがKである。詩雑誌の同志として知り合った。小さい身体の彼女を最初は普通の労働者の娘だと思っていた。お互い相性が合い、2人で会うようになる。実は東京女子大学出の出版社の編集者だった。1959年当時であれば、大卒の女性は限られた。しかも、彼女の実家は青森県八戸で手広く商売を営む商家で、お嬢さんであった。

2人はひっそり入籍をする。主人公の稼ぎは少ない。それでも2人は貧しいながら幸せを築こうとしてきた。金銭感覚が引き揚げ者でギリギリで生きてきた主人公と全く違う。青果関係の仕事をしてきた実家では現金が右から左へ常に流れていた。しかも、子供のころは外に出されて育てられる。乳母がいた。そういう特殊な生い立ちをしていた。家事はあまり得意でない。というより風呂を沸かしたことすらなかった。

そんな中2人は子供に恵まれ、3人で暮らしていく。編集者として踏ん張りながら、詩を書き始めた主人公は徐々に認められていく。そして小説も書くようになる。しかし、徐々に2人の気持ちは離れていく。主人公は自分勝手に生きる妻に対して音をあげていくのである。妻も一緒に暮さない方がいいように思うのだ。仕事場と称する場所で主人公は著述活動をしていく。家には一年に数回しか帰らない。そういう時代がずっと続いた。
ところが初老の域に達した時、妻がガンに侵されていくのである。。。。

やさしいタッチで進んでいく。
妻は特殊な育ち方をしたせいか、独特の世界観を持っている。それがやさしく描かれている。ある動物をじっくり観察しているかのごとく語って行く。彼女はある時夫にこう言う。
「あなたに家に帰ってほしくないの」驚く夫だ。
娘が言うことを聞かないので、夫は小さい頃から強く叱責したようだ。素直じゃないということで、その意味は分からなくもない。でも妻はもし家に戻ってきたら同じように娘に強く叱責することがありそうな気がすると言って戻らないでといったのだ。
そりゃないよ。といった感じだが、夫はそれに従う。
何か不思議な感じの話だ。

それでも彼女は大みそかだけは帰ってほしいというのだ。それ自体は子供のころから主人が家にいて、年の終わりを祝うという八戸の大晦日を再現するようだ。ごちそうが振る舞われるのに最初は戸惑う夫だ。

彼女が亡くなった今たんたんとその性格を語る。

残りは闘病記だ。
必ずしも賢妻とは言えない妻が病気になる。手術を何度も繰り返す。自分の母がガンで死んだ時は抗がん剤治療であった。手遅れなので手術は無理なのである。真逆だ。

そしてこの小説の肝という場面が出てくる。
主人公が娘と食事をしながら、あふれ出る涙が止まらず号泣する場面だ。これには本当にジーンとした。

自分自身のことを思い出した。
母が診察を受けてガンだということがわかった。そして入院することになる。その入院の日、自分ひとりだけ呼ばれた。父は心筋梗塞を病んでいて、とても母に付き添える状態じゃない。主治医は自分にあと半年の命だという。本当に驚いた。病室に戻った時、ジーンとして母の顔がまともに見れなかった。
そのあと妹と昼食に行った。ラーメンを食べている最中に涙が止まらなくなった。もちろん妹には何も言っていない。鼻をすすっているふりをしながら、涙が抑えられなくなった。食べながら、次から次へと涙が流れるのである。一生忘れられない場面だ。


この小説を読んでそのことを思い出した。ジーンときた。
小谷野敦「母子寮前」でも同じような話があり、その時もジーンとした。

ガン闘病記というのはどうも涙腺をいじめて困る。
もうすぐ母の4回目の命日を迎える。
コメント
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