映画とライフデザイン

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映画「哭声 コクソン」 ナ・ホンジン&國村隼

2017-03-20 20:44:23 | 映画(韓国映画)
映画「哭声 コクソン」を映画館で観てきました。

これはもう凄すぎる。
スリラー、クライムサスペンス、ホラーといったジャンルを超越した映画である。自分から見て韓国映画最強のクライムサスペンス映画「チェイサー」でデビューして、我々の度肝を抜いたナ・ホンジン監督が朝鮮族の悲劇を描いた「哀しき獣」を発表した後に、「哭声 コクソン」でまた我々を驚かしてくれた。


ソウルの坂を走りまくる「チェイサー」や執拗な暴力がド迫力の「哀しき獣」とは違うスタイルだ。悪霊に取りつかれるといった人智を超えた世界を織り交ぜて、我々を錯乱させる。今回は國村隼が重要な役割を演じる。セリフは少ないが、存在感は重い。韓国クライムサスペンスの常連、クァク・ドウォンやファン・ジョンミンも好演で、何よりすごいのが警察官の主人公ジョング娘役の少女キム・ファニがちょっと凄すぎの怪演だ。この怪演を観るだけでも映画館に向かう価値はある。

韓国の静かな村で、村人が自身の家族を虐殺する事件が連続して起こる。殺人を犯した者は皆、目が濁り、体中が湿疹で爛れ、言葉を発することができない状態で発見される。


村人は、山中に住み着いていた日本人(國村隼)が来てから事件が起きていると噂をしている。村の警察官ジョング(クァク・ドウォン)が事件の起きた家を捜索すると、そこには事件の目撃者を名乗る女ムミョン(チョン・ウヒ)が現れる。相棒と山奥に向かい日本人の棲み処を令状なく捜索すると部屋の中は怪しい雰囲気が立ち込めており、相棒は飼い犬に危うく襲われそうになる。

そのころから幼い娘の動きが奇怪になっていた。娘の足を見るとは殺人者たちと同じ湿疹でただれ始めていた。家族は娘に悪霊が取り付いていると祈祷師(ファン・ジョンミン)に除霊を依頼する。ジョングは娘を救いたい一心で友人たちと日本人の住処を襲撃するが。。。




1.山間部の村で起きる事件
場所は全く特定されないが、山間部の村が舞台だ。かつては日本の領土だったわけであるから、日本の田舎と風景はほとんど変わらない。建物は瓦葺の平屋が立ち並び、そこで次々事件が起きていく。今から40年近く前、横溝正史原作の映画が大人気だったが、あの時に見る風景と同じだ。しかも、一連の横溝作品もよそ者が村に入って次から次へと事件が相次いで起きる。「本陣殺人事件」の三本指の男や「悪魔の手毬唄」の気味の悪い老婆や流れ者の男と同じように、一人の日本人のよそ者が村に近づいてからおかしなことが起こるというパターンである。


でも、ナ・ホンジン監督作品である。映画「チェイサー」では我々の予想を裏切って、残酷な結末に持っていく。まったくハッピーエンドにはならなかった。あの衝撃が残っているので、大塚英志がいうような「物語の原則」をまったく外してくる可能性が高い。ドッキリ度は映画の時間が経過するごとに高まっていくのに、次に来るシーンの予想が立たないので、映画を見ている間最後まで息が抜けない。それがいい。

2.祈祷師
「新しき世界」や「国際市場で会いましょう」などでおなじみのファン・ジョンミンが車に乗ってさっそうと村に入り込む。祈祷師である。さっそく、主人公である警官の家でつけている醤油の中にカラスの死体が潜り込んでいるのを見つけて、家族の信頼を得る。そして祈祷を始める。このパフォーマンスがすごい。悪霊が入り込んでいるという娘が祈祷師が動き回るたびに悶える。この対比をうまく映像化する。



日韓併合前1894年~1897年にかけて当時の朝鮮本土を旅行した英国人イザベラバードの名著「朝鮮紀行」という本がある。この映画をみてとっさにこの本を思い出した。この本は日本人でも朝鮮人でもない公平な立場で、当時の朝鮮の姿を正確に描いている貴重な資料である。

朝鮮は日本に攻め込まれたこともきっかけになり、仏教と縁遠くなっていた。
仏教は李王朝が始まる以前、千年にわたり大衆に好まれた宗教だったが、16世紀以来「廃止」されており、聖職者に対して過酷な法律が制定されるなど、実質的に禁止されてしまった。禁止の理由は、300年前に秀吉の日本軍が侵略してきたとき、日本人が仏教僧に変装してソウル入城の許可をもらい、守備隊を虐殺したからだという。その真偽はともかく、朝鮮ではよほど探さなければ仏教の形跡は見つけられない。。。。朝鮮人にとって私たちの宗教の代わりとなるものは、祖先崇拝と、大自然の力をびくびくと恐れる鬼神信仰である。(イザベラバード 朝鮮紀行 pp.85-86)

それでも原始的な祈祷師によるシャーマニズムが残る。
300年前にソウル城内で仏教が廃止され僧侶の入城が禁じられた時点で、国家的信仰というものは一切朝鮮から消えてしまったのだが、それでも上述のように霊界に関するなんらかの認識は存続した。その認識とは、どの民族にも共通の祖先崇拝を別にすれば、おもに中層・下層階級が信仰した一種のシャーマニズムを通してであったと私は思う。
 おもに辺境で信仰されている無知な迷信をともなった仏教と、孔子廟に対して厳粛にあらわされる敬意はさておき、一般の民間信仰は朝鮮人の空想の産物であり、主として自然の不思議な力への恐怖から生まれたしきたりで成り立っている。(同p89)


こういった呪術師や風水師は家を建てるときや墓を建てるときは必ず雇われる。時ならぬ災難に遭ったり病気になったり、誕生、結婚、土地の購入時などにも頼りとされる。シャーマンのおもな機能は、儀式や呪術をして鬼神を感化すること、供物で鬼神をなだめること、託宣をすることである。その際、踊り、身振り、恍惚状態に入ることがシャーマンの重要な役割である。(同 引用)


この映画で描かれる祈祷師は元来、李氏朝鮮時代の朝鮮社会から根付いていたといえよう。日韓併合前のイザベルバードの著述からも明らかである。
この映画の2人の祈祷合戦と少女が苦しむシーンは見ものだ。

3.かく乱する主人公の娘
ヒョジン(キム・ファニ)が凄すぎる。エクソシストを連想させる娘のかく乱は一世一代の名演技だし、演出したナ・ホンジン監督もあっぱれだ。

最初はあどけない少女だったのに、次第に異変を感じさせる。その変化が極度に高まる時、観ている我々を一体どうなってしまうんだろうと思わせる。


eiga.comのインタビューを引用すると
強烈なインパクトを放つヒョジン役のキムに対しては、「大人の役者さんだと思ってアプローチした」(ナ監督)。「この映画が成功するか失敗するか、そういった可能性があるとすればこの役だと思ったので、子どもという子どもをすべてオーディションしました。彼女は、肉体的にも精神的にも、今までに経験したことのないような“ラインを越える”ことになる。そのためにまず、6カ月かけて振り付けのトレーニングを受けてもらい、さらに宗教に救いを求めてほしかったので、宗教的な話をたくさんしました」と全面バックアップしたという。

お見事しかいいようにない。二時間半以上まったくだれない。

でもこの映画いくつか謎を残す。ヒントは充満しているのであるが、はっきりさせない。
観客に推理をさせる楽しみを与えているかのようだ。ファン・ジョンミンが持っている写真が何を意味するのだろうか?

朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期
1894年から1897年に旅した英国女性


チェイサー
ナホンジン監督の度肝を抜くデビュー作


哭声/コクソン
凄すぎるクライムサスペンス
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