映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

ベトナム映画「走れロム」

2021-07-12 22:23:24 | 映画(アジア)
ベトナム映画「走れロム」を映画館で観てきました。


走れロムは2019年のベトナム映画だ。新鋭チャンタンフィ監督の作品で、プロデューサーにはこのブログでも何度も取り上げた「夏至」や「ノルウェイの森」のトラン・アン・ユンが名を連ねているので、早速観に行く。ベトナムの労働者層が大好きな闇くじ(デー)を扱う孤児の少年ロム(チャン・アン・コア)が下層社会でのたうち回る姿を描いている。原題は「ROM」で、「走れ」と入るのはこの映画を見ればよくわかる。最初から最後までずっと走り回る少年である。

映画は80分に簡潔にまとめている。釜山の映画祭で賞を受賞した後で、国家当局の検閲を受けていないということでいくつかのシーンがカットされたという。映像ではこの闇くじについて、何度か説明がある。でも、一回見ただけでは、理解しづらい部分もある。それでも、ベトナムの下層社会のバクチ好きがよくわかる。日本に当てはめると阿佐田哲也の「麻雀放浪記」の時代に属する昭和20年代の下層社会のレベルといった感じかなあ。いずれも規範を逸脱した世界である。その世界を生きるために疾走する少年を見るのもなかなか面白いものだ。


⒈闇くじ(デー)
政府公認の毎日発行する正規のくじがある。その当選番号の下二桁を当てるというのだ。普通のくじを購入すればいいのにとも思うが、一般の労働者たちは皆カネがない。ツケで借金して購入するのだ。きっと金貸しと博打の胴元両方で裏社会の資金源になっているのであろう。そして、借金が積み上がってニッチもサッチもいかない人が山ほどいる。自殺者も出るくらいだ。

映画の解説によると、胴元が仕切り、賭け屋が運営し、走り屋が繋いでいる。ロムは予想屋兼賭け屋への取次だ。自分の棲家である小屋裏部屋でこじつけて数字を考えて、集合住宅の住人たちの賭けを誘う。当たれば、ご祝儀をもらえるが、外れたら責められて殴られる。そんな毎日だ。きっと胴元は優雅な生活を送っているのであろう。バクチはテラ銭を取る胴元が1番儲けるのは万国共通の真理だ。賭け屋がいる掘立て小屋がドブ川を隔てた反対側の岸にあって、イカダというには貧相な乗り物でロムは取り次ぐために向かう。ロムは泳げないから、決死の仕事だ。


日本で言うヤクザが運営する競馬、競輪などのノミヤはあらかじめ当たったオッズはわかっているけど、これはわからないらしい。映画を見ているだけでは配当の仕組みがよく理解できない。こんな闇くじによく賭けるなあと思うけど、ハマったら逃れられないようだ。ある意味かわいそう。

⒉ホーチミン市(サイゴン)
ベトナム独立の立役者ホーチミンの名前をとって1976年からホーチミン市になっている。自分より上の世代は60年代半ばにベトナム戦争の戦況がTVで放送されていたので、サイゴンの地名にはより馴染みがあるだろう。
以下↓2015年に行ったときの写真


2015年の秋に自分は東南アジアに向かい最初にホーチミン市から入った。深夜に到着したが、空港から中心部にあるホテルまで、どの商店も空いていて、店の前に人々がたむろっているのが印象的だ。傀儡政権というべき旧南ベトナム政府はサイゴンに政府を置いていた。官邸を見学したが、地下に戦況を把握する防空壕のようなものがあった。旧サイゴンということで、アメリカのベトナム帰還兵が観光でずいぶんと来るらしい。


街には高層ビルが立ち並ぶ。社会主義政権とはいえ、市場主義経済である。中国同様一国資本主義の強みを生かして経済は成長基調を保つ。結局こうなるならアメリカもムキにならなくてもよかったのに。自分もサイゴン川が見渡せる高級ホテルの天井高が3メートルを超える部屋に泊まった。


三階建分譲住宅を見たが、天井高がどの階も3メートルあって驚いた。日本の住宅では斜線と高さ制限でよほど敷地が広くないと不可能である。

コンビニだけの感覚では物価は日本より安い。街を歩くと、至る所にバイクが連なっている。誰も彼もがせっかちだ。このパワーには圧倒される。でも、この少年は走るだけ。そういえば何才というセリフはなかった。バイクの免許が取得できないくらいの年頃だろうか。


⒊ライバルの少年フック
ロムと同じように、闇クジを取り次いでいるフックという少年がいる。バク転とかすいすいとやってしまう。でも、ヤクザ映画を見るかの如くに、敵と思ったら味方のようになり、気がつくと取っ組み合いの大げんかをしている。この辺りの2人の心境は良くわからない。


ある時、ロムが絶妙の思いつきで数字を閃き、さて賭け金を集めようとしたら、フックに邪魔をされ監禁された。集合住宅の住民はロムがいないので仕方なくフックがカネを集めて賭け屋に行ったけど、締め切りを過ぎていた。いつもの集合住宅ではそのラッキーナンバー41が出て大騒ぎだ。ところが、戻って間に合わなかったとなったものだから袋叩きだ。

フックは博打場にも足を踏み入れる。「裏金融」を本職とする男にビリヤードで大負け、カネを返せないとなると1日当たり20%の異常利息をつけられる。こんな感じでみんな地獄に落ちていくんだなというのを映像を次から次へと映し出す。


日本も公認カジノをつくらないかどうかと横浜市長選挙の論戦のポイントになっている。個人的には公認バクチとしないから裏が生まれると思ってしまう。ベトナムの闇くじのようなデタラメな博打が横行する。アメリカの禁酒法のようなもので、禁じると裏で地下マネーが動く。それよりも正規の金が動くようにした方がいいんじゃない。日本も先日危うく禁酒法設定まがいになり損なったけど。
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映画「夜叉ヶ池」坂東玉三郎&篠田正浩

2021-07-12 05:00:12 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「夜叉ヶ池」を観てきました。


映画「夜叉ヶ池」は1979年(昭和54年)の坂東玉三郎主演の篠田正浩監督作品である。泉鏡花の戯曲「夜叉ヶ池」を映画化したものだ。公開当時大学生だった自分も、坂東玉三郎が女形で一人二役を演じる面白そうな映画があるのは気づいていた。残念ながら当時観ていない。この映画の存在をすっかり脳裏から外していたのも、篠田正浩監督の他の有名作品と違い、名画座でもDVDで見たことがないからだ。今回90歳になった篠田監督が坂東玉三郎の同意を経て構成し直したらしい。日経新聞の記事で気づき公開早々観に行く。

これは凄い映画である。
今から42年前の技術としては最高の特撮技術を使って、山からの大洪水の映像を映す。


また、人気女形として世間の注目を浴びていた歌舞伎界の新しいスター坂東玉三郎を主演に起用して、美の極致ともいうべき姿を映し出す。映像のバックには冨田勲のシンセサイザーが鳴り響き、妖気じみたムードを醸しだす。坂東玉三郎が山の神である白雪姫を演じる場面の迫力は半端じゃない。本来これが戯曲であったというのがよくわかる。上映当時29歳の演技は実に素晴らしく、この迫力は大画面で感じとるべき作品である。
恐れ入った。


岐阜と福井の県境にある様々な伝説のある夜叉ヶ池を目指して植物学者で僧侶でもある山澤(山崎努)が旅をしていた。山のふもとの村落では、雨が降らずの日照り状態で村の人たちが困っていた。井戸でさえもカラカラだ。そんな村から山間部に入ると、泉が湧いているのに気づく。そこでは一人の女百合(坂東玉三郎 二役)が炊事をしているのを見て山澤は声をかけた。


百合は白髪の老人晃(加藤剛)と同居していた。晃の了解を経て、お腹が空いているという山澤は一軒家に寄らせてもらった。百合は旅の間で見聞きした面白い話を聞かせてくれと山澤に告げると、部屋の奥にいた晃は旅人の声に聞き覚えがあり驚く。間違いなく親友の山澤の声だったからである。

晃は世間から姿を隠した身であったので、目の前には出ず、やがて山澤は夜叉ヶ池に向かい山の中に姿を消した。ところが、突如大雨が降ってくる。これはたいへんと晃は慌てて山に探しに向かい、2人は再会するのだ。そして旧交を温める。長くは滞在できないと聞き、2人で夜叉ヶ池に向かうのである。

一方で、いったん大雨が降ってようやくホッとした村落の人々であったが、すぐに止んでしまう。これは困ったと、村では陣中見舞いに来ている代議士(金田龍之介)をはじめとして、夜叉ヶ池の龍神のために若い娘を生贄にしてしまおうとして、百合をその対象にしようとする話がもりあがってきたのであるが。。。

⒈坂東玉三郎の妖艶な姿
百合と白雪姫の一人二役である。戯曲では必ずしも一人二役ではないようだ。か細い声を出して、晃の妻を演じる坂東玉三郎は明治大正の写真に出てくる古風な美人という感じでそんなにビックリする程の存在ではない。妖気じみているわけでもない。ところが、雨がいったん降り、泉の中から水の妖怪のような男2人が出てきてから、神話的な要素が出てくる。そして、白雪姫が登場するのだ。


ここで完全に戯曲的要素が強まる。着物を着た坂東玉三郎演じる白雪姫の迫力が凄い。女形にしては高身長の玉三郎が打って変わって凄まじいオーラを発する。実質的に舞台劇を映画に映し出すというわけである。ましてや大画面でアップに映る玉三郎が醸し出す妖気は半端じゃない。この映画の見所はここだろう。

⒉豪華な出演者
山崎努が最後までストーリーを引っ張る。大学教授兼僧侶という役柄だ。「天国と地獄」をはじめとした黒澤映画の名脇役で存在感を示した後で、この映画に近いキャリアでは1977年の「八つ墓村」の殺人鬼の印象で世間を震撼させた後だ。

加藤剛演じる萩原晃は夜叉ヶ池に魅せられ来て百合の魅力にどっぷりハマって山に残っている設定である。さまざまな場所で色んな職業の人の面白い話を聞くのが好きということで言えば、柳田國男のような民俗学者ということなのであろうか?大岡越前シリーズはもちろん「砂の器」や「忍ぶ川」といったいった名作も撮り終えて乗っている頃だ。


こういった主戦級に加えて、脇役も揃っている。ファンタジーの世界では水の妖怪を常田富士男と井川比呂志という名脇役が演じ、三木のり平もでてくる。腹黒い代議士役は金田龍之介でまさに適役だ。これだけのメンバーを集めたというのも篠田正浩監督作品ということもあるけど、上り調子の坂東玉三郎主演というのも強い吸引力となった気がする。

⒊冨田勲のシンセサイザー
クレジットはなかったが、バックに流れる音楽が冨田勲のシンセサイザーだというのはすぐ察した。映像にマッチしている。音楽がうるさすぎて興醒めする映画は多い。ここではそうは感じない。坂東玉三郎演じる百合の存在がこの世のものとは思えないからだ。しばらくはオリジナルだと思っていたが、ムソルグスキー「展覧会の絵」の有名なフレーズも入っているのに気づく。

自分が初めて冨田勲のレコードを購入したのは「展覧会の絵」が最初だ。ELPことエマーソン、レイク&パーマーの「展覧会の絵」は針ですり減るほどレコードを聴いていたので、馴染みがあったからだ。ピークはホルストの「惑星」だったかもしれない。

⒊龍神の怒りで氾濫する池と特撮
そもそも夜叉ヶ池って泉鏡花の小説に出てくる架空の池だと思っていた。映画を見ながら、どこでロケしたのかなと思っていたくらいだ。まあ幻想的でいくつかの神話ができるのもよくわかる。龍神のご機嫌を取るために、1日に3回鐘を鳴らすわけだ。でも、怒りが表面化する。そこからの大洪水の場面は迫力ある。時節柄不謹慎な話だが、ごく最近に熱海の大惨事をTVで見ていたけど、それを予測していたみたいな映像だ。


溢れるような激しい水の流れは途中でアレ!イグアスの滝だとわかる。ウォンカーウェイ監督の「ブエノスアイレス」にもイグアスの滝が何回も映し出されるが、豪快な滝である。自分がよく知っている画家が、ここにスケッチしに行ったけど、まあ中心部からかなり遠いところらしい。今でも遠いくらいだから、40年以上前なら日本からの直通便は当然ないし、行くだけで難儀したんじゃないかな。

篠田正浩監督はインタビューでこう語る。
南米・イグアスの滝に宮大工を呼び、鐘楼を建てた。大船撮影所の特撮では50トンの水流でミニチュアのセットを押し流した。イグアスの滝は神の手で造られた景色だという。その霊力を日本の歌舞伎の女形なら表現できる。男女の境がなくなる。超現実の世界だ。性を超越した女、性を超越した男というものが歌舞伎劇にはでてくる。

洪水に飲み込まれ、北陸は大水源池に変わる。それをゴジラなんかを作った日本の特撮の技術でやる。近代文明が造った東京や大阪をゴジラが壊すように。僕は42年前に天災と人災、2つのダブルパンチを受けた光景を見ていた。同じ事をやっていた。俺こんな傑作作ったかな?

「夜叉ヶ池」の普遍的なメッセージを伝え、僕の映画を支えてくれた人たちに報いたいと思った。(篠田正浩インタビュー 日本経済新聞 7月5日記事引用)
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