映画「最後の決闘裁判」を映画館で観てきました。
「最後の決闘裁判」はリドリースコット監督の新作である。百年戦争最中の1386年のフランスで行われた決闘によって裁判の決着を仰ぐという決闘裁判を描いている。決闘するのはマット・デイモンとアダムドライバー。脚本にはマット・デイモンに加えてベン・アフレックが名を連ねる。2人のコンビによる名作「グッドウィルハンティング」を連想し映画館に向かう。
この時代はまだ鉄砲もなく、戦争といっても人対人で激しくぶつかり合う。そんな戦いの映像が何度も出てきて迫力ある。ただ、ここでは強姦を受けた側の妻マルグレットを演じるジョディカマーの心の揺れにも注目したい。
夫(マット・デイモン)と義母が不在の時に夫の知人(アダムドライバー)に強姦された妻(ジョディカマー)が裁判に訴え、決着を決闘に委ねるという話である。強姦の真実のみに焦点を当てるわけでもなく、法定モノのように裁判での駆け引きを述べるわけでもない。夫と妻、そして強姦の加害者の3人それぞれから見た視点で強姦という事実を取り巻く3つのストーリーが展開する。
脚本をまとめるマット・デイモンは黒澤明の映画「羅生門」を当然意識している。ある事実をめぐる3人の心の動きを映し出すのを主眼にこの作品を企画してリドリースコット監督に委ねている。
⒈黒澤明「羅生門」を意識した3人の立場
黒澤明の映画「羅生門」は芥川龍之介の小説「藪の中」が基本になっている。三船敏郎、森雅之、京マチ子3人の視点での告白が映像となる、真実は藪の中としている。映画では通りかかった人物が見た真実ということで黒澤明の解釈を加える。強姦が絡むという意味では、この映画と同じである。
しかし、「羅生門」の3人はそれぞれのエゴが前面に出ていて三者三様に証言している。強姦に関わる事実がまったく違う。妻京マチ子が豹変して夫森雅之を罵倒するシーンが見どころだ。
ここでは、ストーリーの流れに映画「羅生門」のような登場人物が極端に違う告白をするようにはしてない。ただ、同じ事実、場面を3つのテイクでカメラ目線も少しづつ変えている。それぞれのテイクを観ていくうちに深みが感じられるようになる。
⒉女性の立場がおもしろい
最初は夫カルージュ(マットデイモン)の立場ということでスタートする。決闘裁判が結審する1386年の16年も前から背景を語っていく。敵との戦いの中で、一度はルグリを助けたこともあったが、結局上位者に引き立てられるのは自分でなくルグリの方である。そんな男の嫉妬心も映画に露骨にあらわれる。
2番目が強姦したルグリ(アダムドライバー)の視線で語られ、3番目が妻マルグリット(ジョディカマー)の視線になる。ここで断然面白くなってくる。単純に強姦の事実が語られるだけでなく、夫との関係が必ずしもうまくいっていると言い切れない部分や義母との嫁姑問題なども絡んでくる。地代の徴収に関する話も取り混ぜているのもリアル感がある。女性目線になり急激に表情の変化による心理描写を増やす。事実中心の単純な描写から登場人物の心の葛藤を捉えるリズムがいい。
⒊決闘裁判
最後はヴァロワ朝の王シャルル6世の目の前で決闘が行われる。精神に変調をきたしていたと言われるシャルル6世は、男系がなく王位を継いだ日本で言うと大正天皇と似ている。ちょっとまともでない王として登場して決闘裁判に興奮する。2人の決闘は逆転に次ぐ逆転で迫力たっぷりに映像を映す。決闘裁判は神が真実を述べた方を勝たせるということなのだ。これだけは決着を知らずに見た方が良い。
映画の最後で闘いの勝者が数年後十字軍の遠征で亡くなると字幕が出ていた。え!とっくの昔に終わっているよ十字軍。これって絶対におかしいよと歴史の教科書引っ張り出した。誤訳?か大きなミスか?
「最後の決闘裁判」はリドリースコット監督の新作である。百年戦争最中の1386年のフランスで行われた決闘によって裁判の決着を仰ぐという決闘裁判を描いている。決闘するのはマット・デイモンとアダムドライバー。脚本にはマット・デイモンに加えてベン・アフレックが名を連ねる。2人のコンビによる名作「グッドウィルハンティング」を連想し映画館に向かう。
この時代はまだ鉄砲もなく、戦争といっても人対人で激しくぶつかり合う。そんな戦いの映像が何度も出てきて迫力ある。ただ、ここでは強姦を受けた側の妻マルグレットを演じるジョディカマーの心の揺れにも注目したい。
夫(マット・デイモン)と義母が不在の時に夫の知人(アダムドライバー)に強姦された妻(ジョディカマー)が裁判に訴え、決着を決闘に委ねるという話である。強姦の真実のみに焦点を当てるわけでもなく、法定モノのように裁判での駆け引きを述べるわけでもない。夫と妻、そして強姦の加害者の3人それぞれから見た視点で強姦という事実を取り巻く3つのストーリーが展開する。
脚本をまとめるマット・デイモンは黒澤明の映画「羅生門」を当然意識している。ある事実をめぐる3人の心の動きを映し出すのを主眼にこの作品を企画してリドリースコット監督に委ねている。
⒈黒澤明「羅生門」を意識した3人の立場
黒澤明の映画「羅生門」は芥川龍之介の小説「藪の中」が基本になっている。三船敏郎、森雅之、京マチ子3人の視点での告白が映像となる、真実は藪の中としている。映画では通りかかった人物が見た真実ということで黒澤明の解釈を加える。強姦が絡むという意味では、この映画と同じである。
しかし、「羅生門」の3人はそれぞれのエゴが前面に出ていて三者三様に証言している。強姦に関わる事実がまったく違う。妻京マチ子が豹変して夫森雅之を罵倒するシーンが見どころだ。
ここでは、ストーリーの流れに映画「羅生門」のような登場人物が極端に違う告白をするようにはしてない。ただ、同じ事実、場面を3つのテイクでカメラ目線も少しづつ変えている。それぞれのテイクを観ていくうちに深みが感じられるようになる。
⒉女性の立場がおもしろい
最初は夫カルージュ(マットデイモン)の立場ということでスタートする。決闘裁判が結審する1386年の16年も前から背景を語っていく。敵との戦いの中で、一度はルグリを助けたこともあったが、結局上位者に引き立てられるのは自分でなくルグリの方である。そんな男の嫉妬心も映画に露骨にあらわれる。
2番目が強姦したルグリ(アダムドライバー)の視線で語られ、3番目が妻マルグリット(ジョディカマー)の視線になる。ここで断然面白くなってくる。単純に強姦の事実が語られるだけでなく、夫との関係が必ずしもうまくいっていると言い切れない部分や義母との嫁姑問題なども絡んでくる。地代の徴収に関する話も取り混ぜているのもリアル感がある。女性目線になり急激に表情の変化による心理描写を増やす。事実中心の単純な描写から登場人物の心の葛藤を捉えるリズムがいい。
⒊決闘裁判
最後はヴァロワ朝の王シャルル6世の目の前で決闘が行われる。精神に変調をきたしていたと言われるシャルル6世は、男系がなく王位を継いだ日本で言うと大正天皇と似ている。ちょっとまともでない王として登場して決闘裁判に興奮する。2人の決闘は逆転に次ぐ逆転で迫力たっぷりに映像を映す。決闘裁判は神が真実を述べた方を勝たせるということなのだ。これだけは決着を知らずに見た方が良い。
映画の最後で闘いの勝者が数年後十字軍の遠征で亡くなると字幕が出ていた。え!とっくの昔に終わっているよ十字軍。これって絶対におかしいよと歴史の教科書引っ張り出した。誤訳?か大きなミスか?