映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「もう頬づえはつかない」 桃井かおり

2020-10-12 21:49:48 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「もう頬づえはつかない」は1979年(昭和54年)のATG映画

映画「もう頬づえはつかない」は見延典子のベストセラー小説を桃井かおり主演で映画化した作品である。原作は未読。名画座での上映には縁がなく、DVDもでていなかったかと思う。ふと自分の大学生時代の映画を観たくなった。

早稲田大学第一文学部の学生だった見延典子が在学中に卒論として書いた。主人公の早稲田の女子学生がバイトで知り合った学生と元恋人のライターとの間の関係に揺れ動くという話である。若き日の桃井かおりと奥田瑛二、若干年上の森本レオを主軸に当時の同棲世代の紆余屈折を描く。


もう40年経ったのかと思うが、昭和20から30年代の映画を観たときと違って、まったく違う世界を見ているといった感じはしない。正直、話はたいしたことはない。主人公の妊娠が大きな事件には違いないが、起伏というほどでもない。地方出身の女子学生の日常を語っているというべきか。親元離れて、好き勝手やって男を連れ込んだ女子学生ってむしろ今より多かったんじゃないかな。

高田馬場から早稲田正門前までのスクールバスを映すが、周囲の風景に違和感がない。大学のキャンパスも変わらない。学生運動も一段落している時期だ。もう昭和50年代中盤になると、かなり垢抜けていると言えよう。いくつかの感想を見ると、しらけ世代という言葉もあるけど、逆に無意味な学生運動にうつつをぬかしたお前らの方が異常だったと言ってあげたい。

早大生のまり子(桃井かおり)は、アルバイト先で知り合った同じ大学の橋本(奥田瑛二)同棲中である。バイトをやめてしまい家賃も遅れがちで、大家の高見沢(伊丹十三)の妻・幸江(加茂さくら)が営む美容院でバイト中だ。


そんなとき、突然恋愛関係にあったルポライターの恒雄(森本レオ)がまり子のアパートにやってくる。部屋には橋本もいた。恒雄はまり子と橋本の関係を知って争いになり、まり子の前から姿を消す。そして故郷の秋田に帰る。また、橋本も就職試験を受けるために故郷鹿児島にかえった。そんな2人がいないとき、まり子は妊娠していることに気づくのであるが。。。

1.桃井かおりと奥田瑛二
「青春の蹉跌」が1974年で「幸せの黄色いハンカチ」が1977年となると、この当時桃井かおりははもう一人前の女優である。27歳で大学生を演じるということ自体がずうずうしい気もするが、薬科大学へ行ってから早稲田に移ったという設定を考えるとそれもありなのか。

独特のアンニュイなムードはいい感じだし、あらためてこの頃の彼女をみると美しいと感じる。奥田瑛二、森本レオの両方とベッドシーンもこなし、バストトップも気前よくみせる。ただ、今見ていると日活ポルノとしか見えないんだけどなあ。


奥田瑛二はブレイクするずいぶん前だ。ずいぶんと痩せている。この当時もう29歳になるんだけど、大学生だと言っても違和感を感じない。まったく売れていない時代で、俳優業が本業と言えない時代なのかもしれない。彼がブレイクするのはTVの金妻シリーズで、そのときまでには5年を要する。「コンドーム」じゃダメだと、盛んに「ピル」でやらしてくれ、全然違うんだと言い張る。映画の中で桃井かおりは妊娠する。ピルだから奥田瑛二じゃないと思い、森本レオの子だとするが、それはわからないよね。

2.伊丹十三
センスのある雑文を書いていた個性派俳優の時代である。映画監督として「お葬式」をとるのはこの5年先だ。味のある大家さん役である。外廊下ではなく、内廊下のアパートである。廊下に共通の公衆電話があってむしろ下宿スタイルという感じか、映像からすると西武新宿線沿いにあるアパート。今や見かけなくなった屋根上の物干し台の上で洗濯物の干し方のうんちくを語る。語り方がいかにも伊丹十三って感じである。まさに髪結いの亭主で、浮気をして加茂さくら演じる奥さんにはさみで刺される。

映画の中ではただ単に主人公だけを追うのではなく、大家夫妻も追っていく。でもこの映画ご懐妊とこれだけじゃねという感じだ。この映画で森本レオ演じるルポライターは、三流雑誌でヤクザに関する雑文を書いてヤクザに追われるという設定である。でもこれってこの13年後の伊丹十三の未来みたいな話だなと思い、不思議な縁を感じる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする