後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

縄文土器ー釈迦堂遺跡博物館

2008年03月10日 | 写真

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釈迦堂遺跡博物館は中央高速道路建設時に現在の釈迦堂サービスエリア付近の遺跡調査で発掘されたおびただしい数の土偶や巨大な縄文土器を展示している博物館である。その数、大きさ、形の完成度などの考古学上の価値から多くの縄文土器が国指定の重要文化財になっている。

釈迦堂サービスエリアから階段を上ると、上列左端のような博物館がある。2階の常設展示場に入り、ひととうり見て出口へ行くと、上列左から2番目の写真のような時代別の土器の形の変化が説明してある。それを良く見てから、また始めから丁寧に見て行くと、縄文土器の時代による変化がわかり、興味深い。

説明文によると縄文土器の時代は約12000年前から2000年くらい前までの10000年ほど続いたと言われている。我々先祖の日本人は1万年という長い間、縄文土器を使って生活して来た。上列左から3番目からの写真は常設展示室のスナップ写真である。詳しい説明がついて居たが、考古学の専門家でないので詳細は理解できない。

縄文土器の展示はあちこちで見て来たが、釈迦堂博物館では次の二つのことに感動した。

(1)縄文中期の大きな土器の実物がむき出しで多数展示している。(写真の下列左端)

   どこの博物館でも大抵はガラスケースに入っているが、ここでは観客を信用して手の届く低い位置に実物を多数並べてある。手を触れないで下さい、という注意書きはあるが。

(2)写真下列、左から2番目の写真は乳幼児の骨の入っているお棺土器であり、竪穴住居の入り口付近など生活の場の近くに埋めてあったそうである。乳幼児の死亡率が大きかった。子供を失った母の悲しみが込められたお棺土器である。それを身近なところに埋めておく。

撮影場所:中央高速道路、釈迦堂サービスエリアより上った釈迦堂遺跡博物館

撮影日時:2月28日午前10過ぎ。

アクセスや入場料金や開館時間などは:http://www.eps4.comlink.ne.jp/~shakado