後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

このブログの読者へ深く感謝しています!

2008年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

昨年11月から今日までのアクセス数が10372件になりました。毎日平均96件から102件のアクセス数です。他にフォトアルバムの「中古ヨットの見分けかた」のアクセス数が5850件、「山林の中の小屋」が2261件になりました。

下手な写真と、長々しい拙文にも拘わらず、続けて見て下さる読者の方々へ深い感謝の意をお送り申し上げます。また数多くのお励ましや、感銘深いコメントをお送り下さいました方々へ御礼を申し上げます。お陰でここまで続けてこれました。有難う御座いました。

今後も内容の充実に努力致すつもりですので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。  藤山 杜人


派手な博物館ー所沢航空発祥記念館

2008年03月12日 | 写真

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3月5日に「地味な博物館ーガス博物館」を掲載したとき、次回は派手な博物館として航空博物館をご紹介しますと記しました。今日は写真を撮ってきましたので掲載します。

西武新宿線の所沢駅の隣の駅、「航空公園駅」を下車し改札を出るといきなりYS-11の実物が迎えてくれます。上の写真左端です。その右の写真は格納庫の形をした博物館です。その右の3枚の写真は博物館の前に広がる公園の様子です。大きな飛行機の実物は航空自衛隊が使用していたアメリカ製の輸送機です。ペンキを塗り替えています。

ライト兄弟がエンジン付きの飛行機で初めて空を飛んだのが1903年12月17日。それから8年後の1911年に所沢に日本ではじめての飛行場が陸軍によって作られました。当時、フランスから輸入した布張りの飛行機で徳川大尉が始めて飛行に成功した後、種々の軍用機や民間機の試作、試験飛行の行われてきた飛行場です。日本の航空の発祥の飛行場です。1945年の敗戦後は米軍に接収され、返還後は航空公園として公開されています。公園の一隅に上の写真のような博物館があります。

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第二次大戦後、アメリカは日本の航空機産業を禁止しました。従って上の写真の航空機は基本的にはアメリカ製のもので、陸上自衛隊が保有していた小型機です。一部日本でライセンス生産されたものも有りますが設計とエンジンはアメリカの航空会社によります。

所沢飛行場は陸軍のものだったので展示してある飛行機やヘリコプターは全て陸上自衛隊のものです。歴史の繋がりを感じます。

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上の写真の左から3枚までは陸上自衛隊の使っていたアメリカ製のヘリコプターです。左から4枚目は戦闘機用のジェットエンジンです。そして最後の右端の写真は1911年に徳川大尉が日本で初めて飛んだフランス製飛行機の実物大複製です。

最後に非常に残念な事実を記します。戦後航空産業が禁止された数年間のあと、日本ではアメリカへ対抗できる航空機は製造できなくなりました。機体は別にして、特に航空機用エンジンは我が国の精密技術がいくら進歩でしても作れません。ホンダ、トヨタ、ニッサンの乗用車はアメリカに対抗できる製品を作っています。しかし飛行機は別な技術を必要とします。日本には民間機のエンジン製造の経験がほとんど無く、低価格で絶対安全なエンジンを作るノウハウが皆無なためです。日本には、多数の飛行機を低価格で生産し、実際に使った場合のトラブルを解析した資料の集積がないのです。これは飛行機製造のノウハウとして決定的に重要です。よく日本の技術力は世界一だという話を聞きます。そんな思い上がりはしない方が良いと思います。博物館を見に行ったときは外国の類似の博物館を想像してみましょう。今見ている博物館の長所や短所を考えながら見て歩くのも面白いものです。

所沢航空発祥記念館ではほかに驚異的な大型映像施設があり素晴らしい特別映画を上映していますし、併設のレストランも明るく、いつも家族連れで賑わっています。公園は広大で子供の遊び場もあり近くの小学校の遠足などで子供の声が絶えません。駐車場も広く、2時間までの駐車は無料です。航空記念館へ行くのには中央駐車場でなく、記念館の裏の駐車場が便利です。駐車場は週末は混んでいますが平日ならいつも空いています。

家族連れで暖かい春の日をのんびり過ごすには丁度良い公園と思います。

交通案内、施設案内、開館時間、入場料金などは:

http://tam-web.jsf.or.jp/  をご参照下さい。写真撮影日時:3月12日午前11時ころ。


外国体験のいろいろ(34)心豊かな趣味2例

2008年03月12日 | 旅行記

今回はスケールが大きい、そして心豊かになるような趣味の例を二つご紹介したいと思う。

(1)スウェーデンの古民家を忠実に再現し、そこに住み込む趣味

最近、田舎暮らしが流行のようで雑誌やテレビでよく紹介される。1972年、ストックホルムの大学へ招へいしてくれたエケトロプ教授は田舎暮らしを満喫していた。郊外のプラタナスの大樹の下に、藁葺と白壁の中世風の農家を造って住んでいる。夏の終わりに数日泊めてくれた。

学者らしく、昔の農家の設計図を探し出し、忠実に再現した古民家。家の再現で苦労したのは釘を一本も使わないで造ることだったという。内装はすべて白っぽい北国の板材、柱は太い丸太の表面を磨いたもの。屋根は意外にもそんなに厚くない麦藁葺。年間雨量の少ない乾燥した北国なので、日本の合掌造りの屋根のように急斜面で部厚くはない。

建坪50坪ぐらいの大きな室内は、寝室、食堂、炊事場、風呂場、トイレを北欧の材木で区切り、ドアもすべて同じ板材。木製の蝶番(ちょうつがい)と閂(かんぬき)が付いている。一番の特徴は一階の右半分を使用した炊事場兼食堂。部屋の真ん中に石造りの大きな竃(かまど)があり、その上には分厚い鉄板が乗せてある。炊事の時にはその鉄板の上に鍋を三、四個置き、薪で煮炊きをする。

深い鉄鍋を逆さに伏せればオーブンにもなる。大きな石の煙突が家の中心を貫き、その余熱で二階の寝室の暖房にする。寝室には電気が無く、灯りはローソク。昔のスウェーデンの農家との違いは炊事場と食堂に電燈と冷蔵庫があるだけ。もちろんテレビは無い。

木の香を楽しみ、夕食後は石の竃(かまど)の前に座り、コケモモでピンクに色づけしたスウェーデンの蒸留酒を飲む。古い農家再現の苦労話を聞きながら。夜が更ければ寝室へ引き揚げる。窓の外には白夜の牧草地が薄暗く広がる。遠くで馬の親子が草を食んでいる。このような白夜の風景が珍しく、いつまでも外を眺めていた。

ここで一休みとして「水ぬるむ井の頭公園」の風景写真を5枚挿入します。

眼をお休め下さい。(撮影日時:3月11日午後2時前後) 

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(2)8頭のサラブレット馬を飼う趣味ー1989年、オハイオ州コロンバス郊外にサラブレットを八頭も飼っている中年女性がいた。大学で計測器の操作をしている技術者である。毎年夏の終わりごろ、職場の教授、学生を家族連れで馬小屋前のバーベキューパーテイーに招待してくれる。子供も大人もおとなしいサラブレットに乗れるので人気がある。馬小屋といっても、八頭の馬の個室が中心の通路に向かい合っていて、通路の先は百坪ぐらいの屋内乗馬スペース。冬でも馬に乗れる。

女性用の乗馬服に身を固めた飼い主が客の座っているテーブルを回りながら談笑する。「8頭とも姿が素晴らしい。馬を飼うとは良い趣味ですね」「とてもお金がかかるのですよ」「よく続きますね」「幸い、いや不幸と言うべきか、5年前の離婚の時、大きな慰謝料を貰ったのです。それで少女時代からの夢であった馬を飼うことにしたのです」

「いつまでも続けるのですか」「学科主任に契約は延長しないと言われたので、来年は馬も手放してコロンバスから出ていきます。仕事も面白かったし、念願の馬も八頭も飼えたし、この土地には楽しい思い出だけです」「お元気で引越しをなさってください」「有難うございます。またいつか会えるでしょう」

それ以来会うことはないが、馬を見ると彼女の輝く顔を思い出す。欧米の趣味にはスケールの大きいものもある。心にゆとりがあり無理が無い。日本の田舎暮らしは農作業に汗を流したり、貧乏暮らしをしたり、何か修行をしている雰囲気のものが多い。それも悪くはないが、悠々たるスケールの大きい趣味も良いと思う。趣味は人生を変えるとも言う。1972年夏、スウェーデンの古い農家に泊まって以来、心豊かな趣味を持ちたいと考えた。山林の中に小屋を作ることになった。(終わり)