後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

また詰まらない日記を書いてしまいました。

2017年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム
この日記は宗教にご関心の無い方々にとっては詰まらないと思います。老境の暇にまかせて書いた雑文です。
さて、今年の1月に私は『沈黙 -サイレンス-』という映画を見ました。遠藤周作の原作に忠実にスコセッシ監督が作った映画でした。
この映画の主人公のロドリゴ神父のお墓を発見したのです。いや正確にはロドリゴ神父のモデルになったキアラ神父のお墓です。
このお墓を調布市が文化財に指定していたのです。それを知らなかった私がクリスマスの日にサレジオ神学院を訪ね時、家内が見つけたのです。
今日の話はロドリゴ神父の勇気と愛の物語とモデルになったキアラ神父の墓にまつわる数奇な物語です。
話を分かりやすく進めるために、まずスコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス-』のあらすじをご紹介いたします。
舞台は江戸時代です。
島原の乱も終り、江戸幕府のキリシタン弾圧がほぼ終了した時代に、2人のポルトガル人神父が無謀にも九州へ潜入して来たのです。勇気と情熱にあふれたロドリゴ神父とガルペ神父です。
二人が、かつて尊敬していた司祭のフェレイラ神父は棄教し、幕府側になってキリシタンを捕縛、棄教させる役をしているという噂です。潜入したロドリゴ神父とガルペ神父は隠れている信者達を深く愛し、納屋の中でミサをたてます。そしてその信者たちにかくまわれながらフェレイラ神父を探しまわります。
しかし2人とも捕まってしまい棄教を迫られます。ガぺラ神父は海に落とされた信者を助けようとして飛び込み、自分も役人に海に沈められて絶命します。
一方、ロドリゴ神父は生き伸びてフェレイラ神父についに会うことが出来ました。
しかしかつて尊敬していた師、フェレイラ神父は沢野忠庵と言う日本名を使用していて、逆にロドリゴ神父に棄教を迫ります。
苦悩の末に棄教したロドリゴ神父は幕府から日本名を貰い、処刑された日本人の妻女を妻としてあてがわれます。
そして死ぬまで幕府側のキリシタン取り締まりに協力します。
以上のようなストーリーですが、この物語の注目すべき点は、キリシタン弾圧のほぼ終わった頃に、無謀にも潜入をした神父がいたという事実です。そして2人の神父と隠れキリシタン達との強い絆です。愛の絆です。
この映画は28年前に「沈黙」を読み、感動したスコセッシ監督が長い年月をかけて準備し完成させた労作です。
映画の原作は遠藤周作の『沈黙』という小説です。遠藤周作は江戸幕府に捕らえられ棄教したというジュゼッペ・キアラ神父の事績を調べ上げ小説の主人公にロドリゴ神父という名前で登場させたのです。
ジュゼッペ・キアラ神父(1602年生・1685年没)は、イタリアのシチリア島生まれのイエズス会宣教師でした。遠藤周作の「沈黙」の主人公ロドリゴ神父のモデルとして知られていました。
イエズス会日本管区長代理だったクリストヴァン・フェレイラ神父が逮捕された棄教した噂を聞いて日本へ潜入したのです。フェレイラ神父を救出することを目的に寛永20年(1643)に潜入したのです、
しかし上陸直後に筑前国大島で、ジュゼッペ・キアラ神父らは捕えられました。拷問を受け、その後、江戸の小日向のキリシタン屋敷に送られたのです。キリシタン屋敷での拷問に耐え切れず棄教し、岡本三衛門の名前と妻を与えられ、その後43年間幽閉された末に84歳で病死しました。
キアラ神父は棄教したと伝えられますが、史料によれば最期まで心の中では信仰を保っていたとされています。
キアラ神父が病死した翌日、遺体はキリスト教では禁じてある火葬にされ、戒名「入専浄真信士」が与えられ、小石川無量院に葬られました。
戒名「入専」は「ジュセン」と読み、キアラ神父の「ジュゼッペ」から取ったものと考えられています。
その後、貞享2年(1685)に、笠の形が宣教師の山高帽のような一風変わった墓碑が建立されました。
この墓碑は、小石川無量院から雑司ヶ谷霊園、練馬サレジオ神学院と所在地を変遷し、現在の調布サレジオ神学院構内へと安置されたのです。
このキアラ神父の墓碑は、江戸時代の鎖国禁教政策という歴史と、それに関わる人物を物語る遺品として学術的価値の高いものであり、キリシタン墓碑研究の上でも重要であるとして、調布市が文化財に指定したのです。
詳しくは、http://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1505883028906/index.html をご覧ください。
私は先日のクリスマスの前日に、この墓に詣り、家内が写真を撮って来たのです。
その写真を加ええて『沈黙 -サイレンス-』という映画の場面の写真をお送りします。
今日の話はこれだけです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)













写真の説明です。
1番目の写真は厦門から困難な船旅の末やっと九州に秘かに上陸したロドリゴ神父です。隠れキリシタン達に熱い歓迎を受け、匿われます。隠れキリシタン達の為に洗礼をし、ミサをたてます。

2番目の写真はガーフィールド が扮したロドリゴ神父と窪塚洋介 が演ずるキチジローです。
キチジローは何度も踏み絵を踏むような意志の弱い男です。そして銀300枚のためにロドリゴ神父を官憲に密告します。
しかしキチジロウーはロドリゴ神父に告解を聴いて貰い神の赦しをえます。キチジローは何度もロドリゴを裏切ります。
そしてロドリゴも棄教し、日本名を使うようになってもロドリゴを離れようとしません。キチジローにとってロドリゴは最後まで神父、パードレなのです。最後に2人が別れるときもキチジローは「パードレ、告解を聞いて下さい」と言います。
この2人の最後の場面は感動的です。窪塚洋介 の演技力に驚きました。

3番目の写真は棄教前のロドリゴと塚本晋也演ずるモキチです。

4番目の写真は左から順に、村長のイチゾウ、モキチ、ロドリゴ、ガルペの4人です。ロドリゴ以外は殉教しました。

5番目の写真はフェレイラの苦悩に満ちた顔の写真です。
ロドリゴを演じたアンドリュー・ガーフィールドの演技には厚みがあり慈愛が滲んでいます。しかし棄教を薦める昔の師、フェレイラへの舌鋒は激しく攻撃的でした。それでもついにロドリゴも棄教します。
フェレイラを演じたリーアム・ニーソン の演技も棄教の悲しみを讃え重厚なものでした。
弾圧する側の 井上筑後守( イッセー尾形 )や通辞( 浅野忠信)などの演技もそれぞれ役にあっています。
スコセッシ監督の丁寧な演出の結果です。

6番目の写真はジュゼッペ・キアラ神父の事績の説明板です。

7番目の写真はジュゼッペ・キアラ神父のお墓です。笠の形が司祭帽のような一風変わった墓碑です。戒名「入専浄真信士」が掘り込んであります。貞享2年という字も見えます。