私どもが60年以上も住んでいる所は東京の西にある小金井市です。江戸時代には小金井村と言ってました。
その歴史を遡れば小金井には1万年以上も前から人が住みはじめ、江戸時代、玉川上水が完成し新田開発が活発となり、急速に集落が発達しました。 戦後、住宅都市化が進み、人口が約4万人となった昭和33年10月1日、市制を施行し小金井市になりました。 その後、人口は急増し、現在は、12万人を超えています。
私の家は旧小金井村にあり、近所には江戸初期の1654年に出来た山王稲穂神社があります。この山王稲穂神社は、新田開発にあたり、江戸の山王日枝神社を勧請して承応3年(1654)に創建されました。そして明治維新後に稲穂神社と改称します。
御神祭の大山咋神(おおやまくいのかみ)は開拓の神として家運隆昌のごりやくがあります。
境内には疱瘡神社と小さい稲荷神社があり、病気平癒、縁結び、商売繁盛のごりやくもあります。
昨日はこの小金井の江戸時代の面影を探し出して写真を撮って来ました。注意深く見ると現在でもあちこちに江戸時代の小金井村の面影が残っているのです。その小金井村の面影の写真を示します。
1番目の写真は江戸初期の1654年に出来た山王稲穂神社です。
2番目の写真は山王稲穂神社の森です。江戸時代からあった森なので非常に大きな森になっています。この写真の左奥まで大きな森が続いています。
3番目の写真は稲穂神社の近くにある庚申塔を祀った祠です。江戸時代の庚申塔です。
4番目の写真は庚申塔を祀った祠から北へ向かった古い小径です。
5番目の写真は庚申塔の祠からの古い小径の先にある農家の入り口です。まだ農業をしているのです。
6番目の写真は小金井市の西北にある畑の写真です。本格的に農業をしているのです。
7番目の写真は小金井市の西北にある広い畑の写真です。関東の土は水はけが良過ぎて水田が作れないのです。小金井の農業も昔から畑作農業でした。
8番目の写真も小金井市の西北にある広い畑の写真です。写真の奥にある高い木の列は玉川上水沿いに植えられた木です。昔植えた樹々なので現在は高く聳えています。玉川上水の向こう側は小平市です。
今日は江戸時代の小金井村の面影の残っている場所の写真をご紹介しました。小金井の中心は高層マンションの立ち並ぶ街ですが郊外には畑作農業の風景が残っているのです。そんな風景の写真を撮っているといろいろな地方の風景が心に浮かんで来ます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)