後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「私の郷土史(1)江戸時代の小金井村の面影」

2022年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム
私どもが60年以上も住んでいる所は東京の西にある小金井市です。江戸時代には小金井村と言ってました。
その歴史を遡れば小金井には1万年以上も前から人が住みはじめ、江戸時代、玉川上水が完成し新田開発が活発となり、急速に集落が発達しました。 戦後、住宅都市化が進み、人口が約4万人となった昭和33年10月1日、市制を施行し小金井市になりました。 その後、人口は急増し、現在は、12万人を超えています。
私の家は旧小金井村にあり、近所には江戸初期の1654年に出来た山王稲穂神社があります。この山王稲穂神社は、新田開発にあたり、江戸の山王日枝神社を勧請して承応3年(1654)に創建されました。そして明治維新後に稲穂神社と改称します。 
御神祭の大山咋神(おおやまくいのかみ)は開拓の神として家運隆昌のごりやくがあります。
境内には疱瘡神社と小さい稲荷神社があり、病気平癒、縁結び、商売繁盛のごりやくもあります。
昨日はこの小金井の江戸時代の面影を探し出して写真を撮って来ました。注意深く見ると現在でもあちこちに江戸時代の小金井村の面影が残っているのです。その小金井村の面影の写真を示します。
1番目の写真は江戸初期の1654年に出来た山王稲穂神社です。
2番目の写真は山王稲穂神社の森です。江戸時代からあった森なので非常に大きな森になっています。この写真の左奥まで大きな森が続いています。
3番目の写真は稲穂神社の近くにある庚申塔を祀った祠です。江戸時代の庚申塔です。
4番目の写真は庚申塔を祀った祠から北へ向かった古い小径です。
5番目の写真は庚申塔の祠からの古い小径の先にある農家の入り口です。まだ農業をしているのです。
6番目の写真は小金井市の西北にある畑の写真です。本格的に農業をしているのです。
7番目の写真は小金井市の西北にある広い畑の写真です。関東の土は水はけが良過ぎて水田が作れないのです。小金井の農業も昔から畑作農業でした。
8番目の写真も小金井市の西北にある広い畑の写真です。写真の奥にある高い木の列は玉川上水沿いに植えられた木です。昔植えた樹々なので現在は高く聳えています。玉川上水の向こう側は小平市です。

今日は江戸時代の小金井村の面影の残っている場所の写真をご紹介しました。小金井の中心は高層マンションの立ち並ぶ街ですが郊外には畑作農業の風景が残っているのです。そんな風景の写真を撮っているといろいろな地方の風景が心に浮かんで来ます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「各地の大仏や大きな観音像」

2022年06月23日 | 写真
各地の大仏や大きな観音像の写真をお送り致します。
5枚の写真は順々に以下のとうりです。
1,鎌倉の大仏 
https://tripnote.jp/kamakura/place-kamakura-no-daibutsu/photo/20282
2,仙台の大観音
https://www.sentabi.jp/guidebook/attractions/76/
https://www.sentabi.jp/guidebook/attractions/76/
3,牛久の大仏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E4%B9%85%E5%A4%A7%E4%BB%8F#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ushiku_Daibutsu.jpg
4,高崎白衣大観音
https://www.city.takasaki.gunma.jp/kankou/history/kannon.html
5,韮崎市の平和観音
https://kurura.jp/archives/1937











「日本の宗教的風景(5)釈迦の教えと違う日本の仏教」

2022年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム
誤解を避けるために始めに書きますが、日本の仏教は悪いと非難する意図は毛頭ありません。ただ単に、こんな違いがあるのではないでしょうかと問題を提起したいだけです。
さてお釈迦様は2500年程前にインドに生まれました。インドでその後500年くらい経ってから仏教は大乗仏教と上座部仏教の2つに分かれました。
玄奘三蔵法師が629年に陸路でインドに向かい645年に経典657部や仏像などを持って唐に帰還しました。
この玄奘三蔵法師の持ち帰ってきた経典は大乗仏教のものでした。従って現在の日本の仏教は大乗仏教に近いものなのです。
法隆寺が創建されたのは1400年以上昔、西暦607年のことだったと言われています。推古天皇の時代で、日本は天皇を中心とした朝廷の支配体制がようやく確立し始めていた時代でした。当時仏教が中国から伝来し、その仏教を国の柱としてお寺を建てる動きが始まりました。それ以来日本中に国分寺をはじめ数多くのお寺が建てられました。現在の日本全国には7万5000くらいのお寺があると言われています。日本は大乗仏教の国なのです。
一方、上座部仏教の方はミャンマー、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナム、そしてインドネシアのバリ島に伝承されました。
それでは上座部仏教と大乗仏教の違いは何処にあるのでしょうか?
上座部仏教では厳しい修行をしたわずかな人しか救われず、一般の人々は救われません。しかし、釈迦はすべての人々を救いたかったはずです。そんな考えから生まれたのが大乗仏教です。
大きな乗り物ですべての人々を救う事を目的とします。上にも書きましたが、日本に伝えられた仏教は、すべてがこの大乗仏教を基本にしています。

それでは釈迦の教えと日本の仏教の違いを以下に示して見ようと思います。
(1)釈迦は自分が死んだら墓を作らず、遺骨は野に捨てよと言って入滅しました。
しかし日本の仏教では先祖の墓を大切にし、お寺はお墓の管理で収入を得ています。

(2)釈迦は全ての像を拝んではいけない。仏像など作ってはいけないと教えました。
しかし日本には観音さまや薬師さまや大日如来さまの像が沢山あり、崇拝されています。

(3)釈迦は全ての殺生を禁じました。
しかし現在の日本の仏教徒はこの戒律を破っています。しかし江戸時代までの日本人も四つ足の動物は殺して食べませんでした。

(4)釈迦は妻や家族から離れて出家しました。
しかし日本の僧侶は妻帯し子供を大切にしています。お寺は世襲制で子供がまた住職になるのです。お寺の住職の世襲制は釈迦の教えとは違います。

(5)釈迦は教えの中心の「色即是空、空即是色」と「受想行識亦復如是」を本当に深く理解し信じるためには家族から離れて出家しなければいけないと教えました。
しかし日本では出家しなくても釈迦の教えが理解でき悟りの境地に入れると信じられています。

以上のような違いのあることを私は重要視しています。
その理由の一つは自分がカトリックの信者だからとも考えています。キリスト教ではイエスの教えを福音書として正確に伝承しています。そのイエス自身の教えを変えないで、そのまま信じるように努力しています。だから仏教は間違っているなどと皮相的な、そして浅薄な主張をいたしません。
もしそう考えたとしたら宗教というものの奥深さを理解していない証拠です。

それはさておき、上座部仏教と大乗仏教の違いは上で簡単に書きましたが、違いを厳密に書くと次のようになります。

(1)上座部仏教では200以上の戒律を守らなければ釈迦の教えを理解し悟りの境地に至らないと教えています。戒律を守るために出家するのです。
一方、大乗仏教では殺生戒以外の戒律はありません。出家しなくても釈迦の教えを理解し悟りの境地に至ることが出来ると言う教義です。

(2)上座部仏教では釈迦を最高位に据えて崇拝します。
一方大乗仏教では全知全能の宇宙神の盧舎那仏や大日如来が人々を教え導くために釈迦になったという教義です。従って釈迦は宇宙神の化身です。誤解を恐れずに書けば釈迦は盧舎那仏や大日如来の部下なのです。家来なのです。このように大乗仏教では抽象的な概念が仏像になっているのです。その上、大乗仏教では観音菩薩や薬師如来や大日如来などの数多くの佛様がお寺の本尊として祀られているのです。
この多くのブッダの中に西方極楽浄土の阿弥陀如来や東方浄瑠璃世界の阿閦如来なども居ます。

このように大乗仏教は多神教的であります。そして教義も時代と国々によって変化して来たのです。
日本の大乗仏教を上座部仏教と比較してみると日本仏教の特徴が明快に分ります。

写真に奈良の大仏殿と大仏を示します。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E7%9B%A7%E8%88%8E%E9%82%A3%E4%BB%8F%E5%83%8F です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)