後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「暑さ強いサンパラソルという花の写真をお送りいたします」

2022年06月29日 | 写真
「サンパラソル」という花は暑さと乾燥に強く、2~3日水やりをしなくても良い夏の花です。
トロピカルな色の花が夏から秋まで長く咲くのでまさに暑い季節におすすめです。キョウチクトウ科 / チリソケイ属(マンデビラ属)です。
写真の出典は、https://www.suntory.co.jp/flower/asuhana/53.html です。





「興味深い地方の歴史(4)会津、鶴ヶ城の歴史と猪苗代湖の思い出」

2022年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム
一般に歴史には込み入った細かい話がつきものです。今日はそんな細かい話の前に美しい会津の鶴ヶ城の写真をお送りいたします。

1番目の写真は会津の鶴ヶ城の写真です。4枚の鶴ヶ城の写真の出典は、
2番目の写真は城門から外の堀端の桜を撮った風景写真です。
3番目の写真は夜にライトアップされた鶴ヶ城の写真です。

4番目の写真は鶴ヶ城の中にある千利休の子、少庵が建てた茶室「麟閣」です。この茶室で以前に家内とお茶を頂きました。上品な老婦人がお茶を点ててくれました。
天正19(1591)年、会津藩主・蒲生氏郷は利休が利休の子の少庵を会津にかくまいました。麟閣は、その恩義に報い少庵が建てました。福島県の指定重要文化財です。

さて鶴ヶ城の歴史の概略です。
(https://www.histrip.jp/170714fukushima-aizuwakamatsu-1/ )
鶴ヶ城の歴史は歴代の城主をみるとわかります。
城主は、徳川の時代に京都守護職として活躍した松平容保が有名ですが、時代の流れに従って順々に葦名・伊達・蒲生・上杉・保科・松平と数多くの大名が会津若松を治めた歴史があったのです。
鶴ヶ城は、1384年の南北朝時代に蘆名直盛(あしな なおもり)が作りました。当時は黒川城といいました。
1589年に蘆名氏を滅ぼした伊達政宗が黒川城に入城します。翌年、豊臣秀吉は政宗から城を取り上げ、政宗の代わりに秀吉の信頼が厚かった蒲生氏郷が入城したのです。4番目の写真の茶室は蒲生氏郷のために少庵が作ったのです。
黒川城に入城した蒲生氏郷は、城を5層から7層へ近世城郭へと改造し、城の名前を「黒川城」から蒲生家の家紋の舞鶴にちなみ「鶴ヶ城」と改名しました。城下町も同時に整備し会津の繁栄に努めます。

蒲生氏郷の死後、上杉景勝が入城しますが、関ケ原の戦いで徳川家康に敗れ米沢に追い出されてしまいます。その後、蒲生氏や加藤氏が入り、1643年に徳川秀忠の子、保科正之が入り、保科家の三代目正容の代に松平の姓が許され、幕末まで松平氏が領主として君臨することとなりました。
 
そして戊辰戦争が起き会津戦争が続いたのです。鶴ヶ城の最期の城主、松平容保が藩主の時に会津戦争が起きました。会津戦争では約1ヵ月もの間籠城戦をになったのです。
1868年の明治の新政府軍と松平容保の会津藩の戦いが会津戦争です。会津が負けて鶴ヶ城が落城します。しかし天守閣は破壊されずに残ったのです。そして少年の白虎隊も自決しました。
以上が鶴ヶ城の歴史の概略です。
このお城の近くに美しい猪苗代湖が広がっているのです。この湖にまつわる思い出を少し書きます。
この美しい湖で今は亡き星野君とヨットをして楽しんだのです。

5番目の写真は冬の猪苗代湖と磐梯山です。冬になると白鳥が群れをなしてシベリアから渡って来るのです。写真の出典は、http://find-travel.jp/article/6221です。

6番目の写真は夏の猪苗代湖のヨットの写真です。出典は、http://blogs.yahoo.co.jp/theearth99/17541627.html です。
自分も今は亡き友人の星野君のヨットで猪苗代湖の花春カップレースに数回出たのです。

7番目の写真は猪苗代湖の西南岸のヨットの係留風景です。写真の出典は、http://ameblo.jp/normanhiga/entry-11034780813.html です。星野君もここにヨットを係留していました。
星野君とは、仙台の大学の専門課程の1957 年と1958年に机を並べました。
卒業と同時に彼は父が経営する精密鋳物会社の仕事をするために福島へ行ってしまいます。それから15年間くらいはお互いに多忙で会うこともありませんでした。ところがある時の同級会の折、彼がヨットの話をしていました。猪苗代湖で大きなキャビンのクルーザーでセイリングしていたのです。
そして「花春カップ」というクルーザーレースへ3回ほど私を招待してくれたのです。花春カップとは猪苗代湖のそばの大きな酒造会社、花春が主宰するレースなのです。
星野君のヨットはヤマハ29という楽しい構造のクルーザーです。
船尾のキャビンが大きく湾曲して張り出していて、そこに大きなガラス窓が横並びについているのです。シャンパンやビールを飲みながら、美しい猪苗代湖が風波を立てている様子が眺められのです。

残雪の磐梯山を眺めながらの花春カップは終生忘れられない思い出になりました。

その星野君は2011年の9月に病で亡くなりました。彼の白いデッキシューズだけが残りました。
彼の住む彼方の国の湖にも、白い鳥が舞っているでしょうか?

今日は会津、鶴ヶ城の歴史と猪苗代湖の思い出を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)