私は洗礼を受けたおかげて欧米人の考え方が少し分るようになったのです。
まず欧米人と日本人の考え方の相違を一つの例で説明したいと思います。
日本人は「欧米人は悪いことをしても謝らない」と非難がましく言います。そうです日本のように気軽に、「すみません。申し訳ありません。悪いことをしてしまいました。心から謝罪します。」とは言いません。
欧米人は悪いことをした場合は神に謝るのです。人間には謝らないのです。教会のミサの冒頭で自分の罪を告白して神に祈るのです。
教会に行かない不信心の西洋人は独りになった時心の中で神に謝っているのです。
第二次大戦の時、ドイツ人はユダヤ人や占領地のポーランド人やロシア人など、総計3000万人前後の人間を殺したと言います。
戦後しばらく経ってから、ドイツのある大統領が謝罪した有名な演説があります。
それは西ドイツのヴァイツゼッカー大統領の演説で、『荒野の40年』と題した演説です。多くの言葉に翻訳され本になった有名な演説です。その一部を抜粋して示します。
・・・大抵のドイツ人は自らの国の大義のために戦い、耐え忍んでいるものと信じておりました。ところが、一切が無駄であり無意味であったのみならず、犯罪的な指導者たちの非人道的な目的のためであった ・・・
心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、我々が真実を求めることが大いに必要とされます・・・
強制収容所で命を奪われた6百万人のユダヤ人……ソ連やポーランドの無数の死者……虐殺されたシインティ・ロマ(ジプシーの自称)……殺された同性愛の人々……殺害された精神病患者……宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人々……銃殺された人質……ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者……
ドイツ人としては、兵士として倒れた同胞、故郷の空襲で、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞……市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス――これらのレジスタンスの犠牲者……はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいています・・・
この文章を穴の開くまで眺めても絶対に「謝罪します」という言葉がありません。
謝罪するべきは犯罪的な指導者たちの個人です。神に対して謝罪の祈りをするべきなのです。
欧米人の「謝罪」とは「数々の悲劇を心に刻むということです。ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります」とヴァイツゼッカー大統領が熱く訴えているのです。
日本人がこれを読むと謝罪文になっていないと言います。
私が尊敬する田中角栄さんが北京で「日中戦争では大変ご迷惑をかけました」と謝りました。この言葉に周恩来首相は驚いたそうです。角栄さんは彼としては誠実に謝ったつもりでした。
しかし中国語で・・・ご迷惑をかけました・・・とはあまりにも軽々しく聞こえたのです。文化の違いで誤解が起きるのです。
「欧米人は悪いことをしても謝らない」という非難は間違いです。文化の違いで起きた誤解なのです。
欧米の人々は悪いことをしたらその罪を神に対して個人として懺悔します。そしてその悪行の被害者には深く同情し、被害者の心に寄り添います。
・・・悪行によって起きた悲劇を心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。・・・この部分が欧米人の謝罪の行為なのです。
蛇足ながら、私は欧米が日本より良いと主張しているのではありません。日本も欧米諸国も同じくらい素晴らしい国々なのです。しかし欧米人も日本人も同様に悪いこともするのです。そして悪行の謝り方が違うのです。
残念ながらそれが人間なのです。
今日の挿し絵代わりの写真はヨーロッパの田園地帯の小さな教会の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
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https://theculturetrip.com/europe/france/articles/13-films-to-give-you-wanderlust/