後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「貧しい日本人へ財産と命を捧げたド・ロ神父」

2022年08月06日 | 日記・エッセイ・コラム
ここに示す写真は晩年のド・ロ神父の肖像画(提供:長崎市ド・ロ神父記念館)です。

マルコ・マリ・ド・ロ神父はフランスの貴族の家に生まれ、28歳で来日し、横浜や大浦天主堂で石版印刷や羅典神学校の建設など多くの功績を残しました。
長崎の外海赴任は1878年で、来日から11年目、39歳のときでした。

ド・ロ神父は、外海の人々のあまりにも困窮した生活に衝撃を受け、「外海を助けたい」という強い使命感を持ったのです。
信仰の拠点として出津教会堂、大野教会堂を建設し、授産・福祉施設を設立します。開墾地で農業を教えます。和服で働く女性達の為に洋服のユニフォームを作り与えました。
製麺技術では「そうめん」を作りました。そのそうめんは、「ドロ様そうめん」として現在に至るまで製造、販売されています。
また港を整備して漁民を助け、村の道路整備も裏で支えます。診療所や伝染病治療など医療救護事業をおこし多くの命を救ったのです。

多彩な才能で外海のために尽くしたました。
これらすべての事業はド・ロ神父の私財を投じて行ったのです。
そして1914年11月7日 、 大浦天主堂にて死去します。享年74歳でした。
1868年来日しフランスに帰らず生涯を貧しい日本人のために捧げました。

略歴
1840年3月27日 - フランスのノルマンディー地方に生まれる。
1865年 - 司祭に叙階される。
1867年 - パリ外国宣教会に入会。

1868年 - 宣教のため来日。
1873年 - 大浦天主堂付となる。
1875年 - 大浦天主堂の隣に長崎公教神学校(旧羅典神学校)を建設。

1878年 - 外海地区(黒崎教会、出津教会)の主任司祭に着任。
1879年 - 福祉活動を目的として「聖ヨゼフ会」を創立(お告げのマリア修道会の前身)。
1882年 - 出津教会聖堂を建設、ここを宣教の拠点とした。

1883年 - 出津救助院を建設、ここを社会福祉事業の拠点とした。
1885年 - 外海の貧しい人々が、自分の村で働き、生活できるようにするためにイワシ網工場を建設。

1886年 - ド・ロ診療所を開設。
1898年 - 出津の野道に共同墓地を新設。
1914年11月7日 - 大浦天主堂にて死去。 出津の野道に共同墓地に葬られる。

「白馬五竜岳に咲く高山植物の花々」

2022年08月06日 | 写真
白馬東急ホテルに泊ると近くの白馬五竜高山植物園にも何度か行きました。ロープウェイで上がると、五竜高原に高山植物の花畑が広がっています。木道をゆっくり歩きながら高原の花畑を楽しみました。
その花々の写真をお送り致します。

花々の写真の出典は出典は、https://www.facebook.com/hakubatokyuhotel です。

1イブキジャコウソウです。とても小さなお花ですが、絨毯のようにびっしりと咲いていて可愛いです。 

2番目の写真は6月頃に咲く白いお花「チングルマ」が終わった後の綿毛です。これが稚児車(ちごくるま)に似ているということでついた名前です。

3番目の写真は ヒメイトシャジンです。釣鐘型のこちらも可愛いお花です。 

4番目の写真は「オオバミゾホウズキ」です。主に水辺に群生しています。 

5番目の写真は6月のお花でミヤマクワガタです。独特な形です。