60年以上、私は小金井に住んでいます。
今日の午後に幡随院の写真を撮りに行きました。
そして調べてみるとこのお寺は徳川家康が神田に造ったのです。
小金井には昭和15年に引っ越して来たのです。何度も火災の会う悲劇の歴史を背負ったお寺です。
幡随意の開創
慶長8年(1603年)に帰依していた徳川家康が江戸開幕にあたって、浄土宗知恩寺33世住持・幡随意を開山として招聘し、江戸神田の台(現・東京都千代田区神田駿河台)に創建した寺である。家康はこの際に白銀10貫目および嫡男・秀忠も米300俵を寄進して堂宇を整えるとともに神田山新知恩院の寺号を与え、徳川家祈願所と定めた。・・・・
続きは、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%A1%E9%9A%8F%E9%99%A2 をご覧下さい。
・・・・大正12年(1923年)の関東大震災でこの堂宇も焼失、再建するも昭和12年(1937年)に自火焼失、ついに江戸時代以来の旧地を離れて昭和15年(1940年)に現在の小金井市に移転。現在の堂宇は昭和19年(1944年)52世禮堂和尚によって建立されたものである。昭和37年(1962年)に浄土宗から独立し単立となって現在に至る
今日の午後に幡随院の写真を撮りに行きました。
そして調べてみるとこのお寺は徳川家康が神田に造ったのです。
小金井には昭和15年に引っ越して来たのです。何度も火災の会う悲劇の歴史を背負ったお寺です。
幡随意の開創
慶長8年(1603年)に帰依していた徳川家康が江戸開幕にあたって、浄土宗知恩寺33世住持・幡随意を開山として招聘し、江戸神田の台(現・東京都千代田区神田駿河台)に創建した寺である。家康はこの際に白銀10貫目および嫡男・秀忠も米300俵を寄進して堂宇を整えるとともに神田山新知恩院の寺号を与え、徳川家祈願所と定めた。・・・・
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・・・・大正12年(1923年)の関東大震災でこの堂宇も焼失、再建するも昭和12年(1937年)に自火焼失、ついに江戸時代以来の旧地を離れて昭和15年(1940年)に現在の小金井市に移転。現在の堂宇は昭和19年(1944年)52世禮堂和尚によって建立されたものである。昭和37年(1962年)に浄土宗から独立し単立となって現在に至る