後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「徳川家康が造った幡随院が我が町、小金井に現存する驚き」

2022年11月18日 | 写真
60年以上、私は小金井に住んでいます。
今日の午後に幡随院の写真を撮りに行きました。
そして調べてみるとこのお寺は徳川家康が神田に造ったのです。
小金井には昭和15年に引っ越して来たのです。何度も火災の会う悲劇の歴史を背負ったお寺です。

幡随意の開創
慶長8年(1603年)に帰依していた徳川家康が江戸開幕にあたって、浄土宗知恩寺33世住持・幡随意を開山として招聘し、江戸神田の台(現・東京都千代田区神田駿河台)に創建した寺である。家康はこの際に白銀10貫目および嫡男・秀忠も米300俵を寄進して堂宇を整えるとともに神田山新知恩院の寺号を与え、徳川家祈願所と定めた。・・・・

続きは、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%A1%E9%9A%8F%E9%99%A2 をご覧下さい。

・・・・大正12年(1923年)の関東大震災でこの堂宇も焼失、再建するも昭和12年(1937年)に自火焼失、ついに江戸時代以来の旧地を離れて昭和15年(1940年)に現在の小金井市に移転。現在の堂宇は昭和19年(1944年)52世禮堂和尚によって建立されたものである。昭和37年(1962年)に浄土宗から独立し単立となって現在に至る

「紅葉の残照を眺め淡々と生きる日々」

2022年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム
つい先週まで輝いていた樹々の紅葉が色褪せています。枯葉まじりになってきました。紅葉の残照です。そんな晩秋の小金井公園の風景の写真を昨日撮って来ました。写真をお送りいたします。

紅葉の残照を眺めながら考えまた。何も考えずに淡々と生きると幸せになれるということです。
不幸の原因を考えて、その原因を取り除けば、幸せになれると考えます。しかしこの考えは決定的に間違っているのです。
不幸の原因を考えることは無駄なことです。自分が幸福なのか不幸なのかも考えるのも無駄てす。
考える暇があったら紅葉の風景でも見て淡々と生きて行くほうが良いのです。
紅葉の風景を見ている間は無欲なのです。ようするに淡々として生きているのです。
流れゆく日々を淡々と生きる。この世に生きることは素晴らしいと感じながら生きるのです。
しかし淡々と生きることは意外に難しいものです。
本当のことを書くと私も毎日淡々と生きてはいません。この世の煩悩に悩みながら生きています。
しかし老境にいたって、若い頃とは決定的に違う生き方を発見したのです。
一日、24時間の中の10分でも20分でも無我の境地になれる方法を発見したのです。
10分や20分は短い時間ですが、その影響は長い時間のこります。深山の木霊のように残るのです。
無我の境地になる方法は幾つかあります。座禅も良いでしょう。仏像へ祈っても良いでしょう。
しかし私の無我の境地になる方法は大きな樹々の姿をじっと眺めていることです。
高い梢を風が静かに渡っていきます。黄葉が秋の陽に輝いています。
樹々の足元の水場には住み着いているカモたちが泳いでいます。
ススキの穂が白くなって黄葉の中に見え隠れしています。
私は車から持ち出した椅子に座ってこのような風景を飽ずに眺めています。

このようにして流れゆく日々を淡々と生きています。この世に生きることは素晴らしいと感じながら生きています。

昨日、小金井公園で大きな樹々の姿をじっと眺めて、淡々と時間を過ごしてきました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)