後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「遥かなる西伊豆の戸田と三津浜の美しい海の風景」

2024年02月02日 | 日記・エッセイ・コラム
私は駿河湾の向こうに富士山の見える風景が好きです。
そんな風景の見える所は西伊豆の沼津から伊豆半島の三津浜から戸田にかけての西浦地方の海岸です。
東京からは遥か遠方なので観光客がめったには行かない地域です。
その戸田には昔、家内と泊まった楽しい思い出があります。それから駿河湾では北欧風のヨットで2009年に帆走した思い出もあるのです。
ある晴れた日に家内と一緒に車で西伊豆の海岸の風景を楽しむ旅に出ました。西伊豆の旅の後は宇佐美に出て湯河原温泉に泊まりました。
それでは伊豆半島の三津浜から戸田にかけての西浦地方の海岸の風景写真を示します。

1番目の写真は内浦湾の重須ヨット係留地の風景です。
ヨットのマストの上に富士山がぼんやり写っています。晴天でしたが富士山には薄い雲がかかっていて鮮明には見えませんでした。

2番目の写真は重須ヨット係留地から海沿いに車を走らせたところの風景です。養殖用のいかだの前にヨットが並んでいます。

3番目の写真は更に南下した場所のヨットの係留風景です。
伊豆半島の西側はヨットの係留料金が格安なのです。その上、漁協が経営している係留地が多く、安心してヨットを係留出来るのです。そのため多くの東京の人は沼津から伊豆半島の西海岸にヨットを係留しているのです。

4番目の写真は三津浜に近い漁港の風景です。岸壁は漁船が使い。ヨットは沖に係留します。

5番目の写真は2009年の5月に乗せて貰ったハンスクリスチャン41という北欧風の木造のヨットです。
当時あった東京湾ヨットクラブの帆走技術の先生をしていた毛利さんが船長をしてくれました。

6番目の写真はそのハンスクリスチャン41で駿河湾を帆走している場面の写真です。
五月晴れの日だったので雪のある富士山が駿河湾の上に輝いていました。

7番目の写真は戸田港を高台から見下ろして風景です。
湾を囲んでいる岬は潮流が運んだ砂が砂洲となりやがて樹木が生い茂って半島になった珍しい地形です。伊豆大島の波浮港のような火口湖ではありません。
戸田の町は現在、沼津市に合併されて沼津市戸田町と呼ばれています。
写真の左奥の戸田峠を越すと修善寺へ行けます。修善寺からはもう一つの峠の亀石峠を越すと相模湾側の宇佐美に出ます。
この山岳道路は険しい道でした。それでも午後4時には湯河原温泉の三枡家に着きました。
途中の三津浜では貝殻亭で食事をしましたが、魚類の新鮮さと美味しさに家内も感動していました。
その後でこの地方の特産品の西浦ミカンを一箱買いました。帰宅後、賞味しましたら美味絶佳の昔風のミカンの味で、これにも感心したのです。

今日は西伊豆の戸田と三津浜の美しい海の風景をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「遥かなる伊豆、美しい伊豆半島の東海岸」

2024年02月02日 | 日記・エッセイ・コラム
伊豆半島は感動的の美しい自然に覆われています。自宅から遠い場所ですが何度も泊りがけで行きました。
伊豆半島の東側の観光名所は城ガ崎海岸、一碧湖、池田20世紀美術館、稲取漁港、外浦海水浴場、爪木崎の野生の水仙群生地、須崎のえびす島、下田の玉泉寺、などなどです。
私の旅日記をご紹介したいと思います。
しかし旅日記の前に伊豆半島がどのようにして出来たかを書きたいと思います。
伊豆半島は小さな火山の連続的爆発で盛り上がった山々が半島になったと考えられます。従って山々が急峻で、黒い溶岩が固まった凸凹の激しい地形になっています。溶岩がそのまま海に流れ落ちて崖になっていて、その崖が伊豆半島をぐるりと囲んでいます。それでも注意深く観察すると狭い砂浜が所々にあり小さい漁船が発着できます。堤防で囲って漁港が崖のくぼみにあります。
溶岩で出来た半島なので稲作や畑作は無理です。しかし人間は山影にしがみつくようにして住んでいます。温かい黒潮が半島を洗っているので冬でも温暖です。山々は常緑樹で覆われています。ミカンの栽培が盛んです。関東地方の平野にはケヤキ、クヌギ、コナラ、カシワなどの樹木が生えていますが、伊豆半島はタブノキ類の木種で覆われています。その植生は武蔵野と全く違います。伊豆半島は伊豆七島の大島や神津島、そして八丈島と土地の出来方が非常に良く似ています。
本州に繋がっていますが、元来は伊豆七島のように太平洋に浮かぶ島だったのかも知れません。植生が本州とあまりにも違うのです。伊豆半島は別世界なのです。
伊豆半島を紹介する方法はいろいろあります。多くの観光名所もあります。しかし私はこの半島が伊豆七島の親類だということを最初に強調したいのです。写真は家内が撮ったものです。私は伊豆半島の自然を調べ車の運転を担当しました。
早速、伊豆半島の東海岸から撮った伊豆七島の写真を示します。北から大島、利島、新島、式根島、神津島、遠く離れて三宅島があります。そして八丈島や青ヶ島もあります。このように島の数は多いのですが略して伊豆七島と言います。あいにく天気の悪い日の夕刻でしたので暗い寂しい風景です。
1番目の写真は伊豆半島の稲取海岸から見た伊豆七島です。左から新島、それに付いているように見える小さな式根島、そして右へ離れて神津島が写っています。大島は左の方で視界に入って居ません。
2番目の写真も稲取海岸から見た新島です。そして右へ離れて神津島です。
3番目の写真の真ん中は大島です。左の岬は伊豆半島です。稲取海岸から北へ数キロ行ったところから撮った写真です。
半島が伊豆七島の親類だという話はこれくらいにして以下では伊豆半島の城ガ崎海岸と下田港、玉泉寺などをご紹介いたします。
4番目の写真は城ガ崎海岸です。この日は良い天気でした。
5番目の写真は城ガ崎海岸の岩礁に砕ける波の光景です。
6番目の写真は下田港です。ヨットが舫っています。

7番目の写真は下田の玉泉寺にあるペリー艦隊の兵士の墓の写真です。
玉泉寺の裏山には、ペリー艦隊の5人の死亡者のお墓もあります。

今日は「遥かなる伊豆」という連載記事の第一回として、美しい伊豆半島の東海岸の写真をお送り致しました。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)