以前に何度か車を運転して伊豆半島に遊びに行きました。
三島から伊豆中央道路で、溶岩の盛り上がった中央山地を通り、天城峠を越え河津に下たこともありました。
河津川の岸辺に延々と咲き乱れる河津桜のもとを散歩したのです。
その時に河津で撮った菜の花の写真を示します。
1番目の写真は河津川の岸辺に咲いていた菜の花です。
河津で桜と菜の花をゆっくり見たあとは伊豆半島の東海岸沿いに熱川、稲取、伊東と北上し、火山の小室山の麓で金目鯛の昼食をとり、小室山に遊びました。
2番目の写真は火山の小室山です。
写真のように小室山は小さな火山で頂上までリフトで簡単に上がれます。
頂上からは火山の大室山や富士山や大島の三原山が鮮明に見えます。
この伊豆半島に来ると、その奇異な地形から地質形成の歴史への興味がむらむらと湧き上がってきます。
そして伊豆半島の火山群は富士や箱根の火山群とどのような関係があったかという疑問も湧きあがります。
まず富士山と箱根の噴火による形成の模型展示図を示します。
3目の写真は富士山と箱根の噴火による形成の模型展示図です。
この展示はつくば市にある地質標本館にあります。
詳しくは、https://www.gsj.jp/Muse/about/outline.html をご覧下さい。
簡単に言うと箱根は約16万年前に噴火して出来た古い火山ですが、富士山は2万年前に出来た新しい火山なのです。
さて伊豆半島はどうして出来上がったのでしょうか?
驚くことに伊豆の火山群は富士・箱根と全く関係無く南太平洋の火山島がフィリピン海プレートに乗って移動して本州へ衝突して半島になったのです。
本州で唯一、フィリピン海プレートの上にのって出来た半島なのです。
伊豆半島に行くたびに「違う!房総半島とはあまりにも違う!」と独り言を言っていましたが、その原因は地学のおかげで明快に判ったのです。
下に伊豆半島の形成の歴史を図示した写真を掲載します。
4番目の写真は伊豆半島の形成の歴史を図示した写真です。
この図の出典は、http://izugeopark.org/izugeomain/ です。
この図を是非拡大してご覧ください。
伊豆半島の歴史は地層などの証拠などによって約2000万年前までたどることができます。
約2000万年前、伊豆は本州から数百km南、現在の硫黄島付近の緯度にあった海底火山群でした。フィリピン海プレートの上にできた海底火山や火山島はプレートとともに北に移動し、やがて本州に衝突して現在のような半島の形になりました。約60 万年前のできごとです。
半島となってから約20万年前までは、陸上のあちらこちらで噴火が起き、天城山や達磨山といった現在の伊豆の骨格を形づくる大型の火山ができました。
これらの大型火山の活動が終わると、日本には数少ない単成火山群の活動がはじまり、現在は「伊豆東部火山群」として活火山のひとつとなっています。
美しい円錐形をした大室山と上の写真で示した小室山はこの単成火山の実例です。
こうした二重三重の地質学的特異性が、多くの美しい景観や温泉を有する伊豆半島を形作っているのです。
地質学的には伊豆半島は、世界のどこを探しても同種の例を見ない、地球上の特異点とも言われています。
なお、隣の三浦半島は数十万年前に海底が隆起して出来たのです。
伊豆半島を旅する度にその形成の悠久な歴史を想います。その歴史を想いながら美しい風景を眺めるとまた感慨が一層深まるのです。
そして明治のはじめに 東京大学設立当時の最初の地質学教授であり 地質調査所の設立にも貢献した ウ ーノ ン. エドムント ・ナウマン (Edmund Naumann) に深い感謝の念を覚えるのです。
ナウマンはナウマン象の発見者としても有名です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)