後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「韓国の韓さんと慶州のお寺の思い出」

2024年02月26日 | 写真
日本の技術援助で韓国南東地域の浦項に近代製鉄所が出来た。技術研究所の所長は、以前東京大学にいた金鉄祐氏であった。その金鉄祐氏に招待されて講義に行った。1985年のころでした。
観光のために、慶州の寺をいくつも案内してくれたのは技師の韓さん。慶州周辺の山々には多くのお寺があり、韓国人の観光客が登り下りをしていた。お寺は山の中腹に本堂を置き、その屋根瓦の稜線は山の稜線と調和したなだらかな曲線を描いている。山全体がお寺になっている。
瓦屋根のなだらかな曲線は「釈迦の慈悲」を象徴しているようで、参拝する人々の表情を優しげにしてくれてい
お寺の前に看板があります。
「韓さん、この看板は何ですか?」「十六世紀、日本の秀吉の軍隊が朝鮮半島を侵略したとき、このお寺は秀吉軍に完全に焼かれてしまった。その後再建したものが現在のお寺であると書いてあるのです」「きょう回った六つのお寺には全部この看板があったが?」「そうです。秀吉軍に全部焼かれたのです」「そんなに徹底的に焼いたのですか?」「慶州だけでなく朝鮮の全域の寺が焼かれました。当時の朝鮮の軍隊は寺を宿舎にして、そこから出陣していました。だから、秀吉軍は徹底して焼いたのだと思います」
韓さんは柔和に話し続ける。「日本の方は朝鮮合併だけを覚えていますが、秀吉の時代から韓国はひどい目にあっているのですよ」。

写真は慶州のお寺の風景です。
https://japanese.visitkorea.or.kr/svc/whereToGo/locIntrdn/locIntrdnList.do?vcontsId=110951&menuSn=351