世界中、どの民族にも隠れた基調低音、英語で言えば、「コア・メンタリテート」というものがあります。その民族特有の心の底に棲みついた考え方や感じ方です。年齢層や時代によって変わるようで、実は変わらないのです。その一つに、陶淵明の詩の冒頭の句があります。
戦後生まれの日本人も心では田舎暮らしにあこがれています。実際に田舎暮らしはしませんが想像して楽しんでいます。
陶淵明の詩の冒頭です。「帰りなんいざ。田園まさに蕪れなんとするに、なんぞ帰らざる・・・」そう言われても、帰る訳にはいきません。それが我々の実情です。その妥協として私は山梨の甲斐駒岳の麓に山小屋を建て足繁く通って来ました。その故に陶淵明の切ない気持がヒシヒシと分かるような気がします。
陶淵明は実際に田舎に帰って、嘆いています。「行く者、津を問う者無し」と。そうです山小屋へ行くと訪ねてくる人は居ません。人間との縁が切れるのです。
その山小屋で何度も考えた日本人の心に棲みついている基調低音についてその幾つかを書いて見たいと思います。続きは明日、書くつもりです。今夜は導入部だけで失礼致します。
おやすみなさい。