後藤和弘のブログ

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「私は知らなかった朝鮮の歴史、特に高麗と李氏朝鮮」

2024年12月01日 | 日記・エッセイ・コラム
日本人は中国の歴史は良く知っていますが隣の韓国の歴史や文化をよく知りません。日本人が学校で習うのは百済、新羅、高句麗の三国だけです。その後の歴史は殆ど習いません。
そこで今日は韓国の歴史について調べたことを書きます。
朝鮮の歴史は中国と同じような王朝の興亡の歴史なのです。それは天皇と幕府の二つの権威が並存する日本の歴史とは非常に違うのです。
百済、新羅、高句麗の三国の後の朝鮮ではいろいろ戦乱があり、918年、後高句麗の豪族の健が新羅を滅ぼして王位を奪い、高麗という王朝を建国したのです。
この高麗は現在の韓国の英語名のKorea になったのです。
この高麗王朝は918年から始まりましたが、この高麗は1259年に モンゴル帝国の元に屈し属国化します。そして元の皇帝の女婿の国になるのです。
高麗は1274年、1281年 の元の2度の日本侵攻(元寇)への協力と出兵により甚大な被害をこうむったのです。しかし1392年まで存続しました。
1392年に朝鮮王朝の開祖李成桂に滅ぼされ、李氏朝鮮が始まったのです。
一方、現在の北朝鮮は渤海、東丹国、元朝に支配され、特に元は朝鮮半島全部を支配し、日本へまで攻め込んで来たのです。
その日本も秀吉の出兵により李氏朝鮮の首都、漢陽(現在のソウル)も陥落したのです。それは1592年の 文禄の役(壬申の倭乱)と1597年の 慶長の役(丁酉の倭乱)です。秀吉の軍が朝鮮のほぼ全域を占領します。
しかし 李舜臣の活躍で日本軍は撃退されました。
ですから現在、韓国では李舜臣の銅像があちこちにあります。
 
さて朝鮮の歴史を概観すると、百済、新羅、高句麗の三国時代がありました。そしてその後、高麗王朝が出来ました。この高麗は918年から1392年まで続きましたが1259年に モンゴル帝国の元に屈し属国化します。1392年からは李朝朝鮮になるのです。
 
もう一つ韓国の歴史を理解するために重要なことは地方、地方によって歴史が違うことです。現在でも百済、新羅、高句麗のあった地方はそれぞれ異なる文化と政治意識を持っていると聞きます。
 
今日の挿絵は世界遺産の済州島の王宮の2枚の写真と当時の復元した街と仏教のお寺の本堂の写真です。観光客用に作ったものですが、韓国の王宮と仏教の本堂が理解出来て興味深い写真です。写真の出典は、http://mdavinci.exblog.jp/7132453/ です。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
 
===参考資料===============
(1)朝鮮の歴史の詳細:出典は朝鮮の歴史に関するWikipedea などより。
三国時代(4世紀中葉-676年)南部三韓は、百済・新羅・任那となる。
 
1.高句麗
2.百済
 3.新羅
 
統一新羅(676年-935年)初めての統一政権渤海(698年-926年)高句麗の滅亡後建国した高句麗流民中心の国家後三国時代(892年 - 936年)1、新羅2、後高句麗(894年-918年)→高麗3、後百済(892年-936年)
 
高麗:918年、後高句麗の豪族の健が新羅を滅ぼして王位を簒奪し、高麗を建国する。
 
933年 - 後唐の冊封を受ける。
935年、新羅の敬順王、高麗に国を譲渡し、ここに新羅滅亡す。
936年 - 後百済を滅ぼし朝鮮半島統一。
976年 - 田柴科の創設。
1010年 - 契丹の侵入。
1018年 - 契丹の再侵入。
1033年 - 高麗の長城の建設開始。
1126年 - 李資謙の乱。金に服属。
 
1259年 - モンゴル帝国(元)に屈し、属国化。皇帝の女婿の国になる。
1274年、1281年 - 元の2度の日本侵攻(元寇)への協力と出兵により甚大な被害をこうむる。
この頃より倭寇に悩まされるようになる。
1388年 - 親明派の武将李成桂がクーデターを起こし実権者になる。
 
朝鮮王朝の開祖李成桂は1392年に開城で王に即位し李氏朝鮮が始まる。
 
(2)済州島の概要、 出典は、http://mdavinci.exblog.jp/7132453/ です。
済州島は、韓国の最南端、高知県とほぼ同じ緯度にあり、韓国唯一のミカンの産地である。人工は56万人、面積1,845k㎡(淡路島の約3倍)あり、巨大な火山島である。済州島の特徴を端的に言う言葉に『三多』「三無」がある。三多は「石、風、女」で、三無は「泥棒、乞食、大きな門」である。また、人半分、馬半分と言われるくらい馬が多い。この馬は、元が勢力を伸ばした時代に馬を放牧したことに由来する。古くは、独立国「耽羅(タムナ)」を名乗るなど、島独自の歴史、文化、風俗を有している。また、李氏朝鮮時代は流刑地としても有名である。
現在は、済州特別自治道に指定され、国際的リゾートアイランドを目指し、中文観光団地を中心に観光産業に特に力を入れている。その他、ありのままの自然を大いに生かし、時代劇のロケ地としても脚光を浴びている。「チャングムの誓い」「朱蒙(チュモン)」「太王四神記」などの舞台となっている。
2007年には、『済州の火山島と溶岩洞窟群』が世界自然遺産に登録された。島の中央に聳える漢拏(ハルラ)山(1950m)、城山日出峰、溶岩洞窟がそれである。

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