後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ゴ・クアン・ディン神父様と私の罪悪感の解消のことなど

2010年11月07日 | 日記・エッセイ・コラム

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今日のカトリック小金井教会のミサは、岡田大司教様の司式でディン新主任司祭様の着任を祝いながら行われました。

山本量太郎主任司祭さまがほぼ10年の任務の後、しばらく後任の主任司祭様が決まらなかったので、一層嬉しいミサになりました。

ゴ・クアン・ディン神父さまはベトナム戦争による難民として日本へ来られたそうです。白柳大司教様の支援とご指導で、日本でカトリックの神父様になった方です。神父様になってもう20年近くなり、日本語もとてもお上手です。そのような方が小金井の教会に着任され信者一同嬉しくて、大歓迎の様子でした。上にその写真を示しました。

話はいきなり飛びます。(このブログではしばしば話が飛びますのでお許し下さい)

1976年にベトナム戦争が終わってから、多くの難民が船にに乗って海に逃れました。アメリカと西ドイツなどの欧米の民間団体がベトナム沖に船をだして難民を助けました。

その頃、オハイオの大学のR教授と共同研究をしていて、彼の家に泊ったことがあります。R教授は日本人がベトナム難民を沖で助ける船を出していないことを激しく非難するのです。日本人は人道的でないと言います。ドイツ出身の奥様も西ドイツでは客船を出していますと非難に加わります。R教授夫妻はベトナム難民を数人自宅に引き取り、就職が決まるまで生活の支援をしたそうです。

私は日本人として恥ずかしくなりました。そして人道的でないという罪悪感を持ったのです。それ以来、「日本人はヒョットして人道的でないのではないか?」という罪悪感を持っていたのです。

今日はその私の罪悪感が少し消えました。嬉しいのです。20年以上前に日本の難民キャンプからディン青年を引き取り、支援した故白柳大司教様に感謝しています。ディン青年は難民になる前にベトナムで神学生だったそうです。その経歴を生かすようにした日本のお役人の関係者も偉かったと思います。

とても個人的な事を書いてしまいました。日本人を誇りに思える日でしたのでお許し下さい。そしてディン神父さまの輝かしいご活躍をお祈り申し上げます。(終り)


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