後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「年老いて振り返る我が人生(12)ドイツ留学で受けた影響」

2024年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム
老境に至って自分の人生を振り返ると、外国への留学で深い影響を受けたことをつくずく思います。
はじめにアメリカへ留学しました。留学のおかげで私はアメリカが大好きになりました。
アメリカ留学は24歳から26歳まででしたが、34歳のときドイツに留学し、今度はドイツにも魅了されました。
外国に住むと、その国が好きになってしまうのです。
今日はドイツでどのような影響を受けたか二つほど書いてみます。
まず初めに私が3ケ月住んでドイツ語を集中的に勉強したローテンブルグの風景写真と隣町のバンベルグのをご紹介しましょう。

1番目の写真はローテンブルグの夜の風景です。
写真の出典は、
https://beautiful-photo.net/medieval-town-of-rothenburg-ob-… です。

2番目の写真はローテンブルグのルクト広場と市庁舎です。出典は、https://washimo-web.jp/Trip/Rothenburg/rothenburg.htmです。

3番目の写真は「市庁舎の塔」から眺めたローテンブルク市内の家並みです。出典は、https://washimo-web.jp/Trip/Rothenburg/rothenburg.htmです。

4番目の写真は世界遺産に登録されている「バイエルンの真珠」と称えられるバンベルクの風景です。
出典は、https://tabizine.jp/2017/09/25/146378/2/です。

5番目の写真は木造家屋が並ぶ、レグニッツ川沿いの風景です。出典は、https://tabizine.jp/2017/09/25/146378/2/です。
ドイツでの生活は1969年夏のにローテンブルグでの3ケ月間のドイツ語研修から始まりました。そしてその後、シュツットガルト市にあるマックス・プランク金属研究所で1年間の研究生活をしました。シュツットガルト市に移るとすぐに家内と子供2人を呼びました。
ドイツは気候も社会も若い頃留学したアメリカのオハイオ州とは全く違うのです。
同じ欧米人なのにアメリカとドイツでは人々の考え方が驚くほど違うのです。
「ヨーロッパの階級社会や伝統社会から逃れた人々がアメリカに行って国家を作った」という一行の文章の意味がしみじみ理解出来るのです。
それはさておき、まずはじめに受けた大きな影響を書きます。
それはドイツの暗くて寒い冬の影響でした。その長い冬を体験した結果、ドイツの文化を理解するためにはこの冬の厳しさを考慮に入れて考えるべきと思ったのです。
これは重要なことで、その後、私がいろいろな外国の文化や社会を考える時、必ずその国の天候や自然条件を考慮に入れるようになったのです。
例えば北欧の観光写真を見ると、ほとんど全てが夏の晴天の日に撮ったものです。そんな輝く晴天の日は年間でほんの数日しか無いのです。北欧の人がそんな夏の日に感じる歓喜が想像出来ようになったのです。
内陸のヨーロッパの人々が明るい地中海沿岸のイタリヤや南フランスに強く憧れるのは暗くで長い冬のせいなのです。
私が外国を理解するとき天候や自然の条件を考慮に入れるように変わったのです。
もう一つドイツで受けた大きな影響は歴史に関する考え方です。
不思議なことにドイツの研究所の実験室に必ず冷蔵庫があってビールが沢山入っています。実験に疲れたとき1、2本水がわりに飲むのです。そんな折りの雑談の話題は決まったように中世の「30年戦争」のことなのです。
確かなことは忘れましたが1600年代にドイツの町や農村を徹底的荒廃させ人口の何割かが殺された内戦のことです。
戦争の発端はカトリックとプロテスタン宗派との争いでしたが、すぐに領土をかけた地方の領主同士の欲得にからんだ戦争が30年間も続いたのです。そしてフランスやスエーデンやウイーンのハプスブルグ家の軍隊を巻き込んだ大戦争になってしまったのです。誰が敵で、誰が味方か分からない混戦になってしまったのです。丁度、現在の中近東の戦乱状態に似ているのです。
私は日本の学校で「30年戦争」がそんなにドイツにとって重要だとは習いませんでした。ですから「30年戦争」など記憶になかったのです。
ところがドイツ人はビールを飲むたびにこれを話題にして喧々諤々の議論をするのです。
そこで判ったのです。人々が習う歴史とは国々によってまったく違うという事実です。
この世に絶対的に正しい歴史などは存在しないのです。
「歴史は権力者に都合良く書かれている」ということは昔から知っていました。
しかし歴史とは国々によってまったく違うという事実を体験的に理解できたのです。
それでは「30年戦争」の時代は誰が権力者だったのでしょうか?それが判らないからビールを飲んだ時の格好の話題になったのでしょう。
ビールと言えば面白いエピソードがあります。
「30年戦争」の時、ローテンブルグを包囲した敵将が市長に難題を言います。この大ジョッキのビールを一気に飲み干したら町は焼き尽くさないと言ったのです。市長は喜んで飲み干し、町を救ったのです。現在も市庁舎の上にビールを飲む市長の動く人形があります。
アメリカでビールを飲んだ時の話題はプロ野球やアメリカン・フットボールに関することが多いのです。あるいは趣味の話が多いのです。歴史が話題になったことを私は知りません。これもドイツ人とアメリカ人の違いの一つですね。

ドイツ留学で受けた影響はもっといろいろありますが、今日はこれぐらいにします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)







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