日本民族が長い間信仰して来たある宗教が忘れられようとしています。消えてなくなるのです。
それは宗教の興亡の実例として非常に興味深い文化現象です。
今日は中國の道教から日本へ導入された妙見信仰の様子をご紹介致したいと思います。
妙見信仰は北極星を宇宙を司る神として崇める宗教です。仏教とはまったく異質の道教起源の信仰です。
妙見信仰の明快な説明は「戸原氏のホームページ」( http://y-tohara.com/index.html )にあります。
それによると妙見信仰とは道教の北極星(北辰)と北斗七星に対する信仰です。
妙見信仰は、インドに発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星信仰と習合し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したものです。
日本では仏教と混淆した北辰妙見菩薩に対する信仰として隆盛しました。
一方、神道と混淆したのが「天御中主神」(アメノミナカヌシノカミ)です。
この北極星信仰は、その動かない星が北の空にあって宇宙の全てを支配する最高神、すなわち天帝として崇める宗教なのです。
そして北斗七星は天帝の依頼を受けて人間の行状を監視し、その生死や禍福を支配しているのです。
この北極星と北斗七星の信仰は推古天皇のころ日本へ入ってきたと言われています。
奈良の明日香にある高松塚古墳の天井に北斗七星が描かれ、北壁には北極星の象徴である玄武像(カメと蛇が絡み合った像)が描かれていたのは日本へ北極星と北斗七星の信仰が入ってきた証拠と言われています。
正倉院の御物にも北斗七星が描かれているので奈良時代に間違いなく北辰妙見信仰が入っていたと考えられています。
この北辰妙見信仰が時代とともに仏教と混淆して、妙見菩薩信仰へと変化していったのです。
私的なことで恐縮ですが、私の祖父が住職をしていた兵庫県の正林寺に行くために何度も乗った能勢電鉄の終点が能勢妙見さんでした。
本尊は北辰妙見菩薩なのです。
このお寺は能勢氏が1600年頃に建立したものです。そして能勢氏は日蓮宗の信者だったので法華経の守護神の北辰妙見菩薩をご本尊にしたのです。
この能勢の妙見さんは三大妙見の一つとして江戸時代中期頃から参拝者が増え、大いに賑わっていたのです。関西地方の名所の一つだったのです。
ですからこそ能勢電という鉄道も出来たのです。
下に能勢妙見の写真を示します。写真は、http://www.myoken.org/menu.html からお借りしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/72/2d0b668f8209f361b9c479b42bc785c2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/c1/09e44197dc25ef2c7dd62526416b9c9e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/28/758c2cc486f820d0fb05d1b08f2d586c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/c4/2dcc03ca1a79e2f815ec4122456e12cb.jpg)
尚、三大妙見はこの能勢妙見(大阪府)と相馬妙見(福島県)と八代妙見(熊本県)のことです。
詳しくは、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9 をご覧下さい。
この妙見信仰は江戸時代に大変盛んになりました。特に能勢の妙見さんは隆盛を極めました。
しかし明治維新以後、文明化開化の波に押されて次第に衰微してしまいます。
わずかに相馬中村神社(相馬妙見)と八代神社(八代妙見)と大阪の能勢妙見菩薩の三大妙見だけになってしまったのです。しかし参詣する人々は元来の北極星への信仰を忘れているようです。
このようにある宗教の流行と衰微が起きるのは自然な文化現象なのです。
今日はその一例として道教起源の妙見信仰をご紹介いたしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
それは宗教の興亡の実例として非常に興味深い文化現象です。
今日は中國の道教から日本へ導入された妙見信仰の様子をご紹介致したいと思います。
妙見信仰は北極星を宇宙を司る神として崇める宗教です。仏教とはまったく異質の道教起源の信仰です。
妙見信仰の明快な説明は「戸原氏のホームページ」( http://y-tohara.com/index.html )にあります。
それによると妙見信仰とは道教の北極星(北辰)と北斗七星に対する信仰です。
妙見信仰は、インドに発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星信仰と習合し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したものです。
日本では仏教と混淆した北辰妙見菩薩に対する信仰として隆盛しました。
一方、神道と混淆したのが「天御中主神」(アメノミナカヌシノカミ)です。
この北極星信仰は、その動かない星が北の空にあって宇宙の全てを支配する最高神、すなわち天帝として崇める宗教なのです。
そして北斗七星は天帝の依頼を受けて人間の行状を監視し、その生死や禍福を支配しているのです。
この北極星と北斗七星の信仰は推古天皇のころ日本へ入ってきたと言われています。
奈良の明日香にある高松塚古墳の天井に北斗七星が描かれ、北壁には北極星の象徴である玄武像(カメと蛇が絡み合った像)が描かれていたのは日本へ北極星と北斗七星の信仰が入ってきた証拠と言われています。
正倉院の御物にも北斗七星が描かれているので奈良時代に間違いなく北辰妙見信仰が入っていたと考えられています。
この北辰妙見信仰が時代とともに仏教と混淆して、妙見菩薩信仰へと変化していったのです。
私的なことで恐縮ですが、私の祖父が住職をしていた兵庫県の正林寺に行くために何度も乗った能勢電鉄の終点が能勢妙見さんでした。
本尊は北辰妙見菩薩なのです。
このお寺は能勢氏が1600年頃に建立したものです。そして能勢氏は日蓮宗の信者だったので法華経の守護神の北辰妙見菩薩をご本尊にしたのです。
この能勢の妙見さんは三大妙見の一つとして江戸時代中期頃から参拝者が増え、大いに賑わっていたのです。関西地方の名所の一つだったのです。
ですからこそ能勢電という鉄道も出来たのです。
下に能勢妙見の写真を示します。写真は、http://www.myoken.org/menu.html からお借りしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/72/2d0b668f8209f361b9c479b42bc785c2.jpg)
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尚、三大妙見はこの能勢妙見(大阪府)と相馬妙見(福島県)と八代妙見(熊本県)のことです。
詳しくは、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9 をご覧下さい。
この妙見信仰は江戸時代に大変盛んになりました。特に能勢の妙見さんは隆盛を極めました。
しかし明治維新以後、文明化開化の波に押されて次第に衰微してしまいます。
わずかに相馬中村神社(相馬妙見)と八代神社(八代妙見)と大阪の能勢妙見菩薩の三大妙見だけになってしまったのです。しかし参詣する人々は元来の北極星への信仰を忘れているようです。
このようにある宗教の流行と衰微が起きるのは自然な文化現象なのです。
今日はその一例として道教起源の妙見信仰をご紹介いたしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)