宮沢賢治は悲しい、美しい物語を沢山書きました。
その物語の基調低音は「他人の幸福のための自己犠牲」というものでした。
彼は法華経の精神をそのように理解し、実行しようとして苦しんだのです。38歳で亡くなるまでの短い人生を苦しんだのです。
随分と昔に亡くなった人ですが、彼の作品は時代を越えて現在の日本人の心に澄んだ美しい鐘の音を打ち鳴らし続けています。時代が変わっても宮沢賢治の作品は日本人の記憶に残り愛されているのです。
この私のブログでも賢治の鳴らしている鐘の音を聞こうと何度も記事を書いては掲載してきました。
過去に掲載し記事の一覧を、末尾に示します。それぞれの記事の後ろに掲載年月日が示してあります。
ブログは、http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama です。
そして特に「銀河鉄道の夜」を詳しく書きましたので、下に2編の記事を再録致しました。どうぞ貴方自身の「銀河鉄道の夜」を探す旅にお出かけ下さい。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===2013年月25日掲載記事:
あなたの「銀河鉄道の夜」、私の「銀河鉄道の夜」(1)星祭りの夜のカンパネルラの水死と再会、===
宮沢賢治の作品には彼の心象風景や謎めいた表現が沢山書き込んであります。ですから読む人はその心象風景や謎めいた表現を自分なりに想像してしまいます。
そうすると宮沢賢治の作品は彼から少し離れて、読んでいる人特有のものになるのです。大げさに言えば宮沢賢治の作品は読者の数だけ違ったものになるのです。
「あなたの「銀河鉄道の夜」、私の「銀河鉄道の夜」
」とはそういう意味を込めているのです。ですから、私の「銀河鉄道の夜」も、読む自分の年齢にしたがって違ってきます。賢治の作品を何度も読み返している人が沢山いるのはそのせいもあるのでしょう。
そこで筑摩書房の宮沢賢治全集第十巻の中にある「銀河鉄道の夜」をもう一度読んでみました。
第十巻には「ポラーノの広場」、「オッペルと象」、「風の又三郎」、「北守将軍と三人兄弟の医者」、「グスコーブドリの伝記」、「銀河鉄道の夜」、そして「セロ弾きのゴーシュ」が編纂されています。
その中で何故か「銀河鉄道の夜」には、私にとって理解できない謎が沢山あって、気になって仕方が無い作品なのです。
しかしいずれは私もこの銀河鉄道に乗って旅立つのです。自分がこの世と別れて「銀河鉄道」に乗ったと考えて、この作品を読んでみると書いてあることがよく分かるのです。
この作品のあらすじです。
夏の夜空にかがやく天の川には銀河が流れていて、そこに鉄道があり列車が走っているという話です。人間は死んで天に登り、星になる。ですから銀河鉄道の汽車に乗っている人は死んだ人です。
主人公のジョバンニ少年が、星祭りの夜に水死した親友のカンパネルラを探しに行きます。カンパネルラは、水に落ちて溺れそうになっている友人のザネリを助けるために飛び込んで、水死したのです。一方ザネリは助かるのです。
カンパネルラを探そうと暗い丘に登って行きます。そしてジョバンニは、いつの間にか銀河鉄道の汽車に乗っているのです。そして其処でカンパネルラを見つけ、一緒に汽車の旅をします。
その列車にはいろいろな人が乗ってきます。
ただ一つだけご紹介すれば、大きな氷山にぶつかった豪華客船の沈没の時、無理にボートに乗らずに死んでしまった少女と弟がぬれ鼠で乗って来るのです。大学生の家庭教師も一緒です。
3人は皆、沈没の衝撃で靴を失い、裸足です。それがいつの間にか温かい柔らかい靴を履いています。それがこの汽車の不思議なところです。童話ですから「タイタニック號」という名前は書いてありませんが私はそのように想像しています。
最後に、一緒に乗っていたカンパネルラもみんなも銀河鉄道の列車から消えて行きます。ジョバンニは降りて現世に帰る時が来ます。
親友のカンパネルラと永遠の別れです。ジョバンニは現世に戻り、病気の母親を助け、真の幸福を求めて元気よく生きて行きます。この童話の一行、一行がしみじみとしています。一行、一行にこの世の悲しみが滲んでいるのです。涙が出て来るのです。
もう一度読んでみてこの作品のキーは死んでしまった愛する人と再会するという奇蹟です。
再会出来るために重要なのは、ジョバンニとカンパネルラの心温まる強い絆です。
カンパネルラは川に落ちたザネリを救って、自分が死んでしまうのです。
友のために死んだ者は天国へ行くのです。
行方不明になったカンパネルラの捜索を見ながら、彼の父が自分の腕時計を凝視して、キッパリ言うのです。「もう駄目です。落ちてから45分たちましたから。」
この一言に父の悲しみが溢れています。ですからこそジョバンニは死せるカンパネルラともう一度会わねばなりません。
そして銀河鉄道の中でカンパネルラを見つけるのです。(続く)
この悲しい、美しい物語の基調低音は「他人の幸福のための自己犠牲」です。宮沢賢治の多くの作品の基調低音と同じです。彼は法華経の精神をそのように理解し、実行しようとして苦しんだのです。
38歳で亡くなるまでの短い人生を苦しんだのです。(終り)
今日の挿し絵代わりの写真はハップル宇宙望遠鏡から撮った星々の写真です。
写真の出典は、https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/15/327803/040900003/ です。
==下は宮沢賢治についての私のブログの掲載記事です==
(後藤和弘のブログ、http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama)
(1)宮沢賢治の作品を気楽に読む・・・注文の多い料理店、風の又三郎、オッペルと象、ドングリと山猫、よだかの星、、、掲載年月日:2013/10/27
(2)あなたの「銀河鉄道の夜」、私の「銀河鉄道の夜」(2)北十字、鳥捕り、豪華客船沈没など 2013/10/26
(3)あなたの「銀河鉄道の夜」、私の「銀河鉄道の夜」(1)星祭りの夜のカンパネルラの水死と再会 2013/10/25
(4)宮沢賢治、「銀河鉄道の夜」・・・あなたの銀河鉄道、私の銀河鉄道、2013/10/24
(5)「風の又三郎」・・・あなたの又三郎、私の又三郎 2013/10/24
(6)金子みすずの童謡詩と鯨の戒名 13/04/10
(7)みにくいヨタカの姿・・・宮沢賢治の童話「よだかの星」の鳥 、13/04/04
(8)宮沢賢治の作品を気楽に読む(11)完結編:注文の多い料理店、風の又三郎、オッペルと象、ドングリと山猫、よだかの星、、、12/06/01
(9)日本人の手で全世界を佛教国にするという発想は悪くない・・・そして宮沢賢治のこと、 2012/05/09
(10)宮沢賢治の作品を気楽に読む(9)「雨ニモマケズ」は法華経から生まれた詩、 12/05/09
(11)宮沢賢治の信奉していた法華経と国柱会の説明、12/05/08
(12)宮沢賢治の信奉した法華経の特徴は何でしょうか? 2012/05/08
(13)宮沢賢治が終生会員だった国柱会とは何か? 12/05/08
(14)宮沢賢治の作品を気楽に読む(8)「注文の多い料理店」の序、12/05/08
(15)37歳で逝った賢治の親不幸・・・そして残された原稿の山、12/05/04
(16)宮沢賢治の作品を気楽に読む(7)数多くの旅をしていた宮沢賢治、12/05/03
(17)宮沢賢治の作品を気楽に読む(6)膨大な作品群に踏み迷う、 12/05/02
(18)宮沢賢治の童話集、「注文の多い料理店」の出版、2012/04/20
(19)宮沢賢治の作品を気楽に読む(5)大正13年出版の「春と修羅」から、12/04/20
(20)宮沢賢治の活躍始まる・・・農学校、羅須地人協会、東北砕石工場技師、そして東京、樺太、大島への旅、12/04/17
(21)宮沢賢治の作品を気楽に読む(4)盛岡高等農林学校時代の作品、12/04/16
(22)宮沢賢治の作品を気楽に読む(3)盛岡中学卒業し、病気で岩手病院に入院、 12/04/15
(21)宮沢賢治の作品を気楽に読む(2)盛岡中学3年の頃、2012/04/05
(22)盛岡高等農林学校と宮沢賢治、12/04/04
(23)宮沢賢治の作品を気楽に読む(1)盛岡中学の頃、12/04/03
(24)突然ですが、宮沢賢治の「慟哭」という詩とその朗読をお送りします、11/11/01
(25) 時代が変わっても宮沢賢治の作品は愛されている 2015年12月16日