<善光寺本堂>
「牛に引かれて善光寺参り」
昔、善光寺近くに住んでいた不信心で欲深い老婆が、さらしていた布を牛が角に引っかけて走り、その牛を追っていくうちに善光寺にたどり着いてしまった。それがきっかけで度々善光寺に参詣するようになり、信仰の道に入ったと言い伝えがある。
他人の誘いや思いがけない偶然で、よい方面に導かれることの例え。
拝は不信心で欲深い所がこの老婆と似ている所か、これ迄の悪事を救われればと善光寺へ御参りした。
ホテルから出て、朝早かったせいか、参拝客は少なく、がらがらであったこともあって、普段出来そうもない、暗闇の世界の「お戒檀めぐり」をやってみた。
<「お戒檀めぐり」の入り口・・・カタログから>
御本尊は日本では一番古い阿弥陀さまであるが御本尊を見る事が出来ず、中指から紐が垂れている鍵が御本尊の安置されている下にあり、触ることが出来る。御本尊の配下は「お戒檀めぐり」の階段で降りると、光がなくなり完全に暗闇の世界である。中はコの字形になっており、壁を頼りに、辿っていくと、角を過ぎると御本尊の真下にくる。
鍵を触る、幸運に巡り合わせが出来れば罪滅ぼしが出来ると言われている。
宗派がないので誰でも巡れる、
真っ暗闇の中の世界、一歩、一歩確かめながら、歩を進める。壁と、中に入った参拝者の声が唯一の、道しるべ前を行く参拝者と距離を取るが、流れが止まり時々激突する。ようやっと鍵に辿り着き、鍵の感触を確かめながら過去の悪事の払拭をお願いする。そのまま壁伝いに出口に向かう、と薄っすらした光に救われる。
この間数分間の世界であったが、早く脱出した焦燥間から、物凄く長く感じ、改めて光を失うと全く何も出来ないことを体感する。
願い事より、光のある世界の有り難みを、思い切り感じられた。
「牛に引かれて善光寺参り」
昔、善光寺近くに住んでいた不信心で欲深い老婆が、さらしていた布を牛が角に引っかけて走り、その牛を追っていくうちに善光寺にたどり着いてしまった。それがきっかけで度々善光寺に参詣するようになり、信仰の道に入ったと言い伝えがある。
他人の誘いや思いがけない偶然で、よい方面に導かれることの例え。
拝は不信心で欲深い所がこの老婆と似ている所か、これ迄の悪事を救われればと善光寺へ御参りした。
ホテルから出て、朝早かったせいか、参拝客は少なく、がらがらであったこともあって、普段出来そうもない、暗闇の世界の「お戒檀めぐり」をやってみた。
<「お戒檀めぐり」の入り口・・・カタログから>
御本尊は日本では一番古い阿弥陀さまであるが御本尊を見る事が出来ず、中指から紐が垂れている鍵が御本尊の安置されている下にあり、触ることが出来る。御本尊の配下は「お戒檀めぐり」の階段で降りると、光がなくなり完全に暗闇の世界である。中はコの字形になっており、壁を頼りに、辿っていくと、角を過ぎると御本尊の真下にくる。
鍵を触る、幸運に巡り合わせが出来れば罪滅ぼしが出来ると言われている。
宗派がないので誰でも巡れる、
真っ暗闇の中の世界、一歩、一歩確かめながら、歩を進める。壁と、中に入った参拝者の声が唯一の、道しるべ前を行く参拝者と距離を取るが、流れが止まり時々激突する。ようやっと鍵に辿り着き、鍵の感触を確かめながら過去の悪事の払拭をお願いする。そのまま壁伝いに出口に向かう、と薄っすらした光に救われる。
この間数分間の世界であったが、早く脱出した焦燥間から、物凄く長く感じ、改めて光を失うと全く何も出来ないことを体感する。
願い事より、光のある世界の有り難みを、思い切り感じられた。
目標は善光寺のような人間になれたらいいのですが。。。
過激派の危険因子から抜け出せません。
いつか誰にでも分け隔てなく広い心で。。。
なんて。。。高望みですね。。。あはははは
牛に非ず、バスに揺られて善光寺参り
奈落の底に落ちた様な真っ暗闇
壁伝いに恐る恐る、歩を進め、漸く辿り着く、御本尊への道のりの遠さ。
全く、光を失う恐怖心、鍵に辿り着いた時には
すっかり、懺悔は飛んでしまった。
未だ未だ、修行足りず、あの暗闇の世界で、廻り続けるようである。