◇火力発電所にその役割を果たした
東電川崎火力発電所に行き、既にその役割を果たした、発電所の姿を見届けに行く。前回の時は生憎、関西電力、美浜の事故の影響で現場に入る事ができなかったが、今回は、制約なく、たっぷりと見ることできた。
10月1日から40年近く働き続け、その役割を終えて停止したが、系統内の事故が会った場合、何時でも運転出来るようになっているが、その役割がなければ、そのまま新しいガスタービンに置き換わり、スクラップの運命になってしまう。
テカテカに輝いたタービンフロアーに6機の発電タービンが居並び、かってはスポットライトを浴びた機器もその役割を終え、更に高効率で大型なものに置き換わる。
門前の小僧が此処川崎臨港の僻地に叩き込まれ、苦渋を味わい、朝は朝星、夜は夜星の毎日に涙したことなど色々物語があった。
仕事はもとより、社内や外国人含め、色々な人との関わりを含めインパクトのある出来事が昨日のように鮮烈に思い出され大事なスキルを此処で授かり、結果的には貴重な経験機会を与えて貰い感謝している。その物語も間もなく消えようとしている。
◇トランスを通じて電力が供給
このトランスを通じて、ライフワークの一つである大事な電力が供給される。
この建屋にボイラー及びタービンがあり、東京オリンピックの頃、建設された。新幹線が走り始め、高速道の先駆けとして首都高が出来たのもこの頃で、国内が建設ラッシュで沸いた時期であった。その火力設備もとうとう、その役割を終え、次の世代にバトンタッチする時期を迎えた。当時の最新鋭の設備も目ざましい技術革新で大型化、高効率化の火力設備に置き換わるようである。
◇建設にかけた関係者集合
欧州系の最新技術を国内に導入する、歴史を飾る大きな仕事であった。
営業、技術、設計、工事、現地試験、建設スタッフなど40名近く
集まった。
川崎火力発電所は電力の供給として約40年で役割を終えることになった。
本「春夏秋冬」の日記で既に記録済みの記事であるが、そのタイムスリップした姿とも併せ当日の集まりの様子を拙宅のHPで載せてみた。
写真は当日のプログラムの一部で火力設備を扱う工場設備をつぶさに見学した。大型機械と製缶工場は言葉のイメージから研磨の鉄粉と溶接の火の粉が飛び交う、男臭い環境とイメージしていたがとんでもない幻想であった。クリーンな環境の中、エレクトロニクスで高度化された製造ラインに目を見張るものがあった。安い労働力を求めて生産拠点の海外進出と国内の空洞化の中で、誇るべき技術の伝承と近代化努力をもろに見るようで、まだまだ物作りに頑張っているなあと言う感想であった。
東電川崎火力の幕引き
◇建設と試運転に青春をかけた
現場の別れを告げ、慰労を労うパーテイを川崎で行われた。
何十年ぶりの再会に、時の経過で希薄した顔と名前が直ぐに出
なかったがあの青春時代の顔が直ぐに思い出した。
タービン他稼働中の姿を見届けたかったが、折しも関西電力の5人亡く
なった原発事故の影響で現場を見る事は出来なかった。
パーテイ会場では当時の苦労話や当火力の思い出など、歴史を飾った
一頁を披露され、楽しい一時を過ごす事が出来た。
それぞれ燃焼した一時期、再会する機会を作ってくれた関係者に感謝
する
この建屋で機械の騒音とボイラー暑さの中で、設備の完成を目指し、建設と試運転に埋没し、青春のエネルギーぶっつけたフィールドであった。その毎日の厳しい物語が昨日のように鮮烈に思い出される場所でもあった。その設備が何れ、消える運命にあり、設備が見える内に是非見届けたかった。
悲願が実り、以下で整理した。
東電川崎火力現場でのお別れ
東電川崎火力発電所に行き、既にその役割を果たした、発電所の姿を見届けに行く。前回の時は生憎、関西電力、美浜の事故の影響で現場に入る事ができなかったが、今回は、制約なく、たっぷりと見ることできた。
10月1日から40年近く働き続け、その役割を終えて停止したが、系統内の事故が会った場合、何時でも運転出来るようになっているが、その役割がなければ、そのまま新しいガスタービンに置き換わり、スクラップの運命になってしまう。
テカテカに輝いたタービンフロアーに6機の発電タービンが居並び、かってはスポットライトを浴びた機器もその役割を終え、更に高効率で大型なものに置き換わる。
門前の小僧が此処川崎臨港の僻地に叩き込まれ、苦渋を味わい、朝は朝星、夜は夜星の毎日に涙したことなど色々物語があった。
仕事はもとより、社内や外国人含め、色々な人との関わりを含めインパクトのある出来事が昨日のように鮮烈に思い出され大事なスキルを此処で授かり、結果的には貴重な経験機会を与えて貰い感謝している。その物語も間もなく消えようとしている。
◇トランスを通じて電力が供給
このトランスを通じて、ライフワークの一つである大事な電力が供給される。
この建屋にボイラー及びタービンがあり、東京オリンピックの頃、建設された。新幹線が走り始め、高速道の先駆けとして首都高が出来たのもこの頃で、国内が建設ラッシュで沸いた時期であった。その火力設備もとうとう、その役割を終え、次の世代にバトンタッチする時期を迎えた。当時の最新鋭の設備も目ざましい技術革新で大型化、高効率化の火力設備に置き換わるようである。
◇建設にかけた関係者集合
欧州系の最新技術を国内に導入する、歴史を飾る大きな仕事であった。
営業、技術、設計、工事、現地試験、建設スタッフなど40名近く
集まった。
川崎火力発電所は電力の供給として約40年で役割を終えることになった。
本「春夏秋冬」の日記で既に記録済みの記事であるが、そのタイムスリップした姿とも併せ当日の集まりの様子を拙宅のHPで載せてみた。
写真は当日のプログラムの一部で火力設備を扱う工場設備をつぶさに見学した。大型機械と製缶工場は言葉のイメージから研磨の鉄粉と溶接の火の粉が飛び交う、男臭い環境とイメージしていたがとんでもない幻想であった。クリーンな環境の中、エレクトロニクスで高度化された製造ラインに目を見張るものがあった。安い労働力を求めて生産拠点の海外進出と国内の空洞化の中で、誇るべき技術の伝承と近代化努力をもろに見るようで、まだまだ物作りに頑張っているなあと言う感想であった。
東電川崎火力の幕引き
◇建設と試運転に青春をかけた
現場の別れを告げ、慰労を労うパーテイを川崎で行われた。
何十年ぶりの再会に、時の経過で希薄した顔と名前が直ぐに出
なかったがあの青春時代の顔が直ぐに思い出した。
タービン他稼働中の姿を見届けたかったが、折しも関西電力の5人亡く
なった原発事故の影響で現場を見る事は出来なかった。
パーテイ会場では当時の苦労話や当火力の思い出など、歴史を飾った
一頁を披露され、楽しい一時を過ごす事が出来た。
それぞれ燃焼した一時期、再会する機会を作ってくれた関係者に感謝
する
この建屋で機械の騒音とボイラー暑さの中で、設備の完成を目指し、建設と試運転に埋没し、青春のエネルギーぶっつけたフィールドであった。その毎日の厳しい物語が昨日のように鮮烈に思い出される場所でもあった。その設備が何れ、消える運命にあり、設備が見える内に是非見届けたかった。
悲願が実り、以下で整理した。
東電川崎火力現場でのお別れ
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