春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

虚しく、変わる事業所の姿

2005-07-05 01:23:00 | 世の中変わる
4半世紀余りも会社人間として育ち、そして放り出された今日も染みついた垢は中々ぬぐいきれない。もう振り返っても、ご縁が無くなった今日、事業所の門を潜ることは殆どなくなった。
OB顔して、顔パスで守衛を通り抜けられたが、それも既に昔の話、セキュリテイ面から何時までも、そんなことが許せなくなってしまった。
汗で染みぬいた作業着,作業帽も捨てられることもなく、使い道もならず、そのまま残されている。
只、近隣のOBとして、事業所の催しの案内も来なくなったが、事業所で続けている市会議員からの挨拶が続いており、選挙の時は希少な有権者として、扱われているようである。
時と共に既に疎遠の状態であるが、しかし、長い痕跡は完全に断ち切れずその後の行く末は気になるものである。

◇佇まいの変貌振りに驚く
時々近くに通りすがり、目に入るその佇まいの変貌振りに驚かされる。
写真は事業所の西門であるが、門を通って構内の左側は事業所の敷地で工場の建屋があったが、売り払われ、16階建ての大型のマンションが建ってしまった。
その裏手にある住宅地から、日照権や美観の問題もあって、反対運動ののろしが上がり、行政を含め話題になったが、その抵抗も虚しく、計画を阻むことは出来なかった。
広い事業所の中、目に入るのは事業所の建物だけであったが、道を隔てて、すぐ隣は威圧的なマンションであり、ただでさえ狭くなった敷地に上から絶えず見下ろされ、閉塞感に覆われる窮屈な環境になってしまった。

◇やせ細る事業環境
会社の厚生施設として、存在した周辺のグランド、野球場やテニスコートは仕事から離れ、運動に集中し健康維持、ストレス発散の場でもあった。
春は運動会、夏の一時期は提灯で飾られ、仮設のステージから催しで賑わい、シートを敷いて、車座になり咽喉を潤おすことも定例行事の一つであった。
周辺の施設は手放し、まあこのご時勢、仕方ないのかなあと思っていたが、年を追うごとにどんどん蝕まれ、遂に本丸までせまり、敷地がやせ細り、大型のマンションに取り囲まれてしまった。
安い労働力を背景に物作りの中国へ転移と国内の空洞化など不況の嵐は容赦なく襲いかかってきたのだろう。
事業所は駅に近く、都心へ通勤の最適地で格好の宅地でもあり、住宅不動産としては引く手あまたであった。
一時の不況の渦に会った時、事業経営から縮小を余儀無くされ、退職金上乗せによる高年齢層の早期退職促進など行われた。そんな背景から資金繰りはもう、なりふり構わず土地売却しか選択の余地は無いのかもしれない。

そこで汗をかき、徹夜で作業した苦い青春の思い出の建屋も、そんなロマンチックな感傷に浸る余裕も、無いぐらいにきれいになくなってしまった。
「おい!!げんき出せよ」なんて言葉は不謹慎かもしれない

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