ベトナム カントーで日本のODAで建設中の橋が崩落し、200人以上の人が亡くなる信じられないような大事故が発生したが、何故か報道官制が敷かれている様で、詳細は全然伝わって来ない。一方ではプラント建設で名門のIHIがエネルギプラント部門で未曽有の赤字を出し、会社の成り行きにも影響する決算であった。
最近では再生紙で企業ぐるみで偽りが発覚し、日本全体が何か奇怪しくなっている。
かっては日本を支えていた一流企業がどうしてしまったのであろうか・・・。
国内が設備投資で沸き立つ頃、プラント建設に身を置き、右肩上がりの成長時期に幾つかの現場を夢中ではしりまわったが、そんな世代感覚から、とても信じられないことである。
それはさておき、たまたま古い写真を整理していたら、過去の古傷が色々蘇ってきた。
写真は入社早々駆け出しのころ、最初に送り出された中国地方で最初の一貫製鉄所として仲間入りした日新製鋼の呉製鉄所の建設中の写真である。新興国の追い上げ、乱立など不況の風に業界再編成など起きる中、何とか生き残っているのもこの一貫製鉄所の役割は大きく、未だ現役でがんばっているようである。
元より右も左も判らぬ駆け出し小僧は瀬戸内に面する一製鉄所で、一言で語れない、驚天動地の世界で半年間を冷や汗をかき、神経をすり減らし、色々学んできた。
同僚のWさんとは同じ釜の飯で寝食共にしながら、仕事の上で色々教えて貰った、お師匠さんの一人であった。さほど違わない世代であり、お互いに気心知れた中であったが、ことを起こすのに何よりも慎重であった。そんな慎重派はなによりも、自分の体も人一倍ケアーしたと思えるが、昨年病で御亡くなりになった。
多感な時期に暮らした呉の生活を思い出しながら、書いて見た。
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プラント建設に身を沈める
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