昨今のコロナ禍で感染症対策と言われる、「密閉」、「密集」、「密接」の3密を避けることを背景に、外出は控えた。
こんなことから、5分程の往診に、敢えて1~2時間待合室で待たされる3密の渦の中、隅っこで怯え、耐えている。
退職以来続いていた花の銀座、ライオンホールでの毎年恒例のOB会もわいわいがやがやと口角泡を飛ばして、絶好の感染源となり、自粛規制の網にかかってしまった。
<引きこもりの世界で>
ふと、頭によぎったことは外に出られず引きこもりの毎日、こんな時に果たして出来ることは、普段手つかずの、身辺整理であった。
輩の育った世界は戦後間もなく、今日の豊かな世界とは全く異なる貧乏、耐乏生活が強いられた。この貧困生活に自然と身についてしまい、捨てることの出来ないケチな根性が、自然に植え込まれ、廃棄物に埋もれているようであった。
今回は身近な所にある往時の技術の先端を走り華やかな姿を留めるケンウッド社のステレオコンポーネントであった。更に時代物のコロンビア社のラジオであった。
<ケンウッド社のステレオコンポーネント>
1995年12月八王子のムラウチ電気(既に閉店)で17万で購入した。
機能単位でユニット化され、チューナ、アンプ、MDレコーダー、CDレコーダーカセットデッキ、レコードプレイヤーで分類されていた。
中枢を担うチューナ、アンプ、レコーダー間は専用の平べったい平行コードで接続され、多数ユニットの操作指令などシステムコントロールの役割を担っている。
使っているうちにメカ部分主体で色々障害が発生し八王子大和田のケンウッド社の修理窓口に預け、同社の新潟工場まで回送され点検修理された。
そんな修理預けが何度か繰り返され、延命処置を取るなどユーザーの要望にに応えてくれた。
しかし、発売からの時間経過が交換部品の補充が滞り、遂に修理不能が宣告されてしまった。
晩年はMDレコーダー、CDレコーダーの全然動かず、液晶も殆ど読めず、唯、鳴り続けるラジオだけが辛うじて生命線を維持する植物人間状態であった。
最早、生命維持装置で延命される植物状態に、救う道も無しと、これまで傍で寄り添い存在感を発揮した仲間との離別を遂に決断した。
◇aiwaステレオも潰れた
ケンウッドが成仏したが、我が家には半身不随のaiwaのMD/CD/カッセト一体型ステレオシステムが居間にあった。
aiwaの肝心のMDは長い休眠に、埃などでMDを読み込むレンズが汚れたか、全然反応せず、MDディスクが全く読めなく、更に挿入したMDが内部で固着し、取り出しもが出来なくなっていた。
前述の通りケンウッド社のステレオコンポーネンが倒れ、残された道は遺児にあたる重症のaiwaの蘇生しかなかった。こんなことから、急遽aiwaにをかけた。
そんな背景からMD復活に急遽aiwaの分解にかけたが、厚き門は容易に開かなかった。
◇難解な解体作業
ケースの内部は各ユニット、プリント板がびっしり積み込まれ、しかもコネクター付きのフラットケーブルがクモの巣の ように過密に張り巡り、機構的にも拘束されている。
これを抜かないと各ユニット、プリント板は外すことが出来ない。
しかもケーブルは宇宙空間を勝手気ままに走り回り、組み立て戻しに、果たして元のさやに納まるか自信がなかった。
肝心のMD要部は重箱の様にプリント板他機能部品が何層に過密に積み込まれ、その御姿に辿り就くのは容易ではなかった。
こうした中で、解体作業中にフラットケーブルの抜き差しを繰り返し、コネクタ差し込みの微小な金属接触の部分が変形し、最早元に収まることが出来ない致命的な状態に陥ってしまった。こんなことから、同機によるMDの復活は諦めた。
◇追走、2重の連鎖事故
ケンヲウッドは老衰による自然死であったが、aiwaは未だ蘇生の可能性もある中での、人間に例えれば未熟な処置ミスで致命的な生命線である動脈(フラットケーブル)の欠損事故である。
生命維持で辛うじて生きていたが2日間懸命な蘇生に報われる事無く、完全に成仏した。
<離別>
袋を被され、行く先を告げるメモが貼られ、哀れな離別の姿であった。
コロナ禍の中、閉居で埋もれ、追いつめられる中、身の近くの同心のあの世の旅たちに
後を追うような仲間の連続死は取り分け辛かった。
下記で詳細を掲示してます。是非ご覧ください
ステレオ・ラジオの大量処分
こんなことから、5分程の往診に、敢えて1~2時間待合室で待たされる3密の渦の中、隅っこで怯え、耐えている。
退職以来続いていた花の銀座、ライオンホールでの毎年恒例のOB会もわいわいがやがやと口角泡を飛ばして、絶好の感染源となり、自粛規制の網にかかってしまった。
<引きこもりの世界で>
ふと、頭によぎったことは外に出られず引きこもりの毎日、こんな時に果たして出来ることは、普段手つかずの、身辺整理であった。
輩の育った世界は戦後間もなく、今日の豊かな世界とは全く異なる貧乏、耐乏生活が強いられた。この貧困生活に自然と身についてしまい、捨てることの出来ないケチな根性が、自然に植え込まれ、廃棄物に埋もれているようであった。
今回は身近な所にある往時の技術の先端を走り華やかな姿を留めるケンウッド社のステレオコンポーネントであった。更に時代物のコロンビア社のラジオであった。
<ケンウッド社のステレオコンポーネント>
1995年12月八王子のムラウチ電気(既に閉店)で17万で購入した。
機能単位でユニット化され、チューナ、アンプ、MDレコーダー、CDレコーダーカセットデッキ、レコードプレイヤーで分類されていた。
中枢を担うチューナ、アンプ、レコーダー間は専用の平べったい平行コードで接続され、多数ユニットの操作指令などシステムコントロールの役割を担っている。
使っているうちにメカ部分主体で色々障害が発生し八王子大和田のケンウッド社の修理窓口に預け、同社の新潟工場まで回送され点検修理された。
そんな修理預けが何度か繰り返され、延命処置を取るなどユーザーの要望にに応えてくれた。
しかし、発売からの時間経過が交換部品の補充が滞り、遂に修理不能が宣告されてしまった。
晩年はMDレコーダー、CDレコーダーの全然動かず、液晶も殆ど読めず、唯、鳴り続けるラジオだけが辛うじて生命線を維持する植物人間状態であった。
最早、生命維持装置で延命される植物状態に、救う道も無しと、これまで傍で寄り添い存在感を発揮した仲間との離別を遂に決断した。
◇aiwaステレオも潰れた
ケンウッドが成仏したが、我が家には半身不随のaiwaのMD/CD/カッセト一体型ステレオシステムが居間にあった。
aiwaの肝心のMDは長い休眠に、埃などでMDを読み込むレンズが汚れたか、全然反応せず、MDディスクが全く読めなく、更に挿入したMDが内部で固着し、取り出しもが出来なくなっていた。
前述の通りケンウッド社のステレオコンポーネンが倒れ、残された道は遺児にあたる重症のaiwaの蘇生しかなかった。こんなことから、急遽aiwaにをかけた。
そんな背景からMD復活に急遽aiwaの分解にかけたが、厚き門は容易に開かなかった。
◇難解な解体作業
ケースの内部は各ユニット、プリント板がびっしり積み込まれ、しかもコネクター付きのフラットケーブルがクモの巣の ように過密に張り巡り、機構的にも拘束されている。
これを抜かないと各ユニット、プリント板は外すことが出来ない。
しかもケーブルは宇宙空間を勝手気ままに走り回り、組み立て戻しに、果たして元のさやに納まるか自信がなかった。
肝心のMD要部は重箱の様にプリント板他機能部品が何層に過密に積み込まれ、その御姿に辿り就くのは容易ではなかった。
こうした中で、解体作業中にフラットケーブルの抜き差しを繰り返し、コネクタ差し込みの微小な金属接触の部分が変形し、最早元に収まることが出来ない致命的な状態に陥ってしまった。こんなことから、同機によるMDの復活は諦めた。
◇追走、2重の連鎖事故
ケンヲウッドは老衰による自然死であったが、aiwaは未だ蘇生の可能性もある中での、人間に例えれば未熟な処置ミスで致命的な生命線である動脈(フラットケーブル)の欠損事故である。
生命維持で辛うじて生きていたが2日間懸命な蘇生に報われる事無く、完全に成仏した。
<離別>
袋を被され、行く先を告げるメモが貼られ、哀れな離別の姿であった。
コロナ禍の中、閉居で埋もれ、追いつめられる中、身の近くの同心のあの世の旅たちに
後を追うような仲間の連続死は取り分け辛かった。
下記で詳細を掲示してます。是非ご覧ください
ステレオ・ラジオの大量処分
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます