加齢と共にやってくるのが腰痛である。
朝の散歩も背骨を保護する余り自然に前かがみになって歩く。坂道になると、更に前傾姿勢は益々急になる。
『いけねえ、いけねえ、前かがみだぞっと』と判っていても、最早、胸をはって歩くことも出来なくなった。朝の通勤時間帯に遭遇すると靴音高く背後から人の気配に、縒れる輩を瞬く間に追い越していく。
「情けねえ~」と躊躇いながら、別に張り合うつもりはないが、筋力の衰えを正に見せつけられる。
一方では使わないと益々筋力は衰え、衰退の一途と言われている。
道すがら、休み休み漸く足を動かし、涙ぐましい努力をしているご老体の姿も見受けられる。
同類の仲間として思わず「頑張れ~」と言いたくなってしまう。
こんな老体にムチ討って、先日は勝沼の歴史散策に案内役を引き受けたしまった。
甲州街道、旧勝沼宿周辺は緩い傾斜が続くが、大善寺の急階段は下から見上げると、半端でない高低差に思わず、溜息も出る。
それこそ四つんばいになりながら、眩いばかりの国宝の薬師堂に辿りつく。
古戦場跡、祇園縁、深澤川・日川周辺の渓谷沿い、アップダウンの激しいコースを、何とか周回し、完走できた。
そんな群れ合いの中、帰りの列車の車中では、アルコールも入り疲れを癒す至福の時であった。
「道中、腰曲がる、じいさんが何時も先頭をきり一番早かった」
とは正直な話であるが、づばりと言われ、その哀れな姿に喜びと・悲しみに素直に喜べなかった。
寒さもあって、血流も影響し、師走を迎えるこの時期、朝の冷え込みは例年になく温かいと言われるが、それでも当多摩地域では4℃を割る朝を迎え、腰の鈍痛は付いて廻った。
そんな折に腰痛の救いの神、孫娘がやってきた。
ちゃっかり消費税込みで1000円と言われ、チョット高いけど、格好の小遣い稼ぎと快く「腰揉み」治療に応じてくれる。
「何にしましょうか?」「足踏みで結構です」
それではと横になり、うつっぷせに構える
遠慮なく、背中にのしかかるように踏み込みが始まるが、骨が悲鳴をあげるように『ぼきっ、ぼきっ』音を立てるように衝撃が走る。
思わず『ぎゃ~痛っ、痛っ』と悲鳴に近い叫びながらも、容赦なく、右・左と背中の行軍が襲いかかる。
頼んだ手前、少々の痛みは我慢で耐えるが、踏みつけは暫く続けられる。
時折やってくる孫娘に感覚的に大きく育っていることは判るが、リアルに計っているわけではないが、こうして乗っかられると、改めて、その重みが直に伝わってくる。
幼児時代から急成長に最早小学4年生、身長はクラスで一番高い、体重もそれなりに 、成人並に重くなっている。かっての心地よい、踏み込みは遠い世界であった。
我慢の限界に『ギブアップ』に漸く、降りてもらい荷重の地獄攻めから解放される。
本来なら乗り終わった後の局部の痛みからの解放は余りなく、施術中の苦しみからの解放だけであった。
神様に縋る思いで、その御利益にかけたが、見事に裏切られ、期待感に安易な腰痛の救いの神様ではなかったようである。
此処で国宝にもなっている四天王の姿が紹介されている記事が目に入る。
四天王に足元で踏みつけられ、苦悶の表情、獣のような表情をしているのが邪鬼である。
邪鬼は仏法を犯すものの象徴と言われるが、果たして己の姿か、邪鬼とは思いたくないが、踏みつけられ苦悶の姿がそのまま己の姿に重なってしまう。
「クワ~ギブアップ」と叫んでいるようである。
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