列島を襲う猛暑。日中も体温を越え40℃近く、夜間も28、9℃と熱帯の世界に、我慢の限界を越え気が狂いそう。
そんな折りに、せめて写真だけでも冷気を呼び起こせと、道央の再西端に位置する積丹半島を捉えてみた。小樽から美国港、海岸線をひたすら西下、とうとう此処まで来てしまった。
両側は絶壁、荒々しい岩礁の海岸線に打ちつける白波、尾根上に出来た小道に容赦なく吹きつける風。先頭に見えるのが灯台で神威岬である。片道20分の道のりである。
風光明媚な場所であるが、古くは西蝦夷三険岬の一つとして、険しい尾根道に、一歩間違えれば海に落ちる危険な場所が何カ所もある。
この尾根道を「チャレンカの小道」と言う。
チャレンカとは神威岩の伝説である。奥州からひそかに逃れた源義経は、日高の首長のもとに身を寄せた。首長の娘チャレンカは義経を強く慕うようになったが、義経は北へ向かって旅立ってしまう。チャレンカは悲しみにくれる。チャレンカは、「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐればすなわち覆沈せん」という恨みの言葉を残して海に身を投げてしまい、神威岩になったと言い伝えられている。以来、女性を乗せた船がこの沖を過ぎようとすると必ず転覆したため、神威岩はかつて女人禁制の地となったと言われている。
チャレンカの小道の入り口に女人禁制の門が立っている。アップダウンの激しい小道に最先端にたどり着く。険しい岩肌に四つんばいになって上り、降りするスリリングな場所もある。先端の広場にはたどり着いた観光客の群れが、海に迫り出した眺めに感動の声が、あちこちから上がる。女人禁制は昔話、群れの大変は若きも老いも女性ばかりであった。
神威岩始め周囲の島は打ち寄せる波は白波とシャコタンブルーと言われる色の青さに感動する。
日本海に迫り出す岬に、思い切り風が吹きまくり、帽子も飛ばされそうに。元より暑さ知らずの神威岬であった。
岩波に打ち寄せる波の色に涼気が、伝わってくる感じがする。
以下、長くなりますが御報告。
子供達がキャンプで本日夕方まで不在だったので横須賀に行ってみました。
残念ながら行く前のブログ復習を忘れてしまったので素直に横須賀しかめぐれませんでした。
しかしながら本日、金曜日に汐入からの軍港めぐりに参加し海軍カレーを食してまいりました。
そう。金曜日は海軍でもカレーの日
案内人が甲板にでていたら昼の料理時間帯なのでカレー臭がするかもしれないと。。。(^^;
原子力母艦「ジョージワシントン」は外洋航海中でしたが滅多に見られないアメリカの海保船。その船体の上にドクターヘリという案内人も始めてみたという組み合わせや格納庫を偶然開けていた母艦などを見ることができました。
クリスマスシーズンは日米双方の舟がイルミネーションを施し、大晦日からの年越しタイムには祝いの汽笛を鳴らす、3・11には米国旗が半旗になる事とマイケルジャクソンが他界した日も実は。。。半旗になったというアメリカネタと軍事ネタを仕入れました。
興味がありましたら是非どうぞ。
まさねこは父が某電気会社にて防衛庁とのコネクションがあり幼少のみぎりに観艦式やオープンキャンプに連れて行ってもらったので軍事物も少しかじっていたりします。本人不思議なのですが固体としてはフィーメルなんですけど。。。中身はおじさんなんですねぇ。。。そして昨日からの旅でしたので自分のブログに書くことができないのでこういった内容がすきそうなYujiさんのブログコメントにご報告させていただきました。
長々と書き込みましてすみません。
可愛い部下を野営キャンプで研修させ
手厚い保護から自立の芽生えを実践する
成果は如何だったでしょう。
身心とも晴れて身軽な気分で
横須賀基地への視察に、男意気を感じます。(笑い)
米海軍の最前線に身を置き、わくわくたる気分で
楽しんだ様子がたっぷり伝わってきます。
3年前の丁度今頃ヨコスカサマーフエスタに行き
米軍イージス級巡洋艦musttinの最新鋭ミサイルを直に見てきました。
折しも、燐国から飛来するテボトンの砲撃用として、話題を呼びました。
今年もヨコスカで海軍カレーを食べ軍艦三笠に行きました。
当初、3.11の地震で予定を延期
5月に行くも丁度、台風を迎え撃ち、
東郷さんの気分で船橋によじ登り、びしょびしょに濡れました。
折しも、セミ大河ドラマ、司馬遼太郎の「坂之上の雲」に背中を押され、何回目かの三笠訪問でありました。
まさねこ海軍将校殿にもお勧めしたい場所でもあります